「……早く来てくれると良いね」
 さくらが一番綺麗なときを見てくれると良いねと。
 どれだけ人間を好きになっても、どれだけ人間に恋い焦がれても、叶うはずがない。それならば、せめて。桜が満開の間に。最も美しく咲いている間に。
「そうだね……」
 少し目を細めて、小さく同意した。叶うはずがない想いでも、それでもあきらめることが出来ない。そのことを理解した上で、クロは側にいてくれる。側で見守っていてくれる。
 さくらは触れることが出来ないとわかっていて、それでもクロを優しく撫でた。所詮は実体を持たない精霊。風が頬を撫でるよりも感触がない。暖かさも、冷たさも、何も。
「ありがと、クロ」
 桜の精霊は、その花よりも美しい満面の笑みを浮かべて礼を言った。
 黒猫はぼんやりと思った。
 ぼんやりと、黒猫でよかったと。
 黒猫でなければ、彼女の友人でなければ、笑顔が見られなかっただろう。
 これはこれで、きっと幸せなのだろう。
 そう思いながら黒猫はそっとまぶたを下ろした。

Fin.