幸いなことに自分は猫。
 人間より嗅覚の優れた生き物。
 クロは自分の鼻に全てを任せることにした。
「……こっち、か」
 鼻をひくひくと動かしながら、クロは黙々と歩き出した。
 けれど彼は重大なことに気付いていなかった。
 桜。深緑。風。色々な春の香り。その中からクロは人間の匂いを探し出せた。難しいことではなかった。ただ問題があるとしたら一つだけ。
「……どんなにおいだったっけ」
 見かけるのは一年に一度。しかも出来るだけ見つからないように、遠くからちらりと姿を確認するだけだった。一瞬嗅いだだけのにおい。自分の匂いがついていればまだ見つけやすいが、そんなもの付けてるはずもなく。
 クロは目的の人間を見つけることが出来なかった。
 申し訳なさそうにそのことを話すと、さくらは「気にしないで」と笑った。
「忙しくて、ここに来る暇がないのかもしれないでしょ? もしかしたら遠くに引っ越したのかもしれない」
 その笑顔にいくらかの違和感を覚えたけれど、クロは「わかった」と答えた。
 さくらは、クロが探しに行くことを望んではいないから。そこで無理に我を通すつもりはない。さくらの望みを聞き入れたクロは、もう一度樹を見上げた。
 探しに行っている間に随分散ってしまったのだろうか。少し花が寂しそうに見えた。

Fin.