「……ね、ね。さっきからあの子、私たちのこと尾行してるんじゃないかな?」
 楽しそうな、何かを期待しているような、そんな目で彼女は言った。
 後ろをちらりと見てみたが、それらしい子供はいなかった。
「気のせいじゃないのか?」
 子供なんていないし。そう付け足したら、彼女は少しふくれたようにして彼を見上げた。
「誰も子供のことなんて言ってませんー。後ろの黒猫さんのことよ」
 そんな馬鹿な話があるだろうか。猫に尾行されるなんて。
 考えが顔に出ていたのか、彼女は更に不服そうな顔をしていた。これ以上機嫌を損ねるわけにもいかず、もう一度だけ後ろをちらりと見てみた。
 すると、確かに黒猫がいた。
 人に踏まれないように避けながら。けれど真っ直ぐこちらに向かって歩いているように見える。
 確かに付けられているように見えなくもない。見えなくもないが、他だの勘違いではないだろうか。
「あの子、さっきからずーっと付いてきてるのよ!」
 声を潜めながら、けれど気持ちが抑えきれずに頬を染めて。彼女は熱っぽく語り出した。
「これって絶対尾行よね! やっぱりいるんだよそう言う猫! 三毛猫じゃないのはちょっと残念だけど……でも三毛猫限定じゃないって事よね。しかも黒猫よ、黒猫! いかにもミステリーの王道って感じでそれも有りだと思うの! いーなぁーやっぱり飼い猫なのかなぁ。野良だったら飼いたいなぁ。素敵よねー探偵猫! トール君とも仲良く出来ると思うの。あー何で尾行されてるのかしら。ドキドキしちゃう」
 彼女はミステリーマニアだった。それも若干電波気味の。
 最近普通の刑事ドラマも見るようになったが、基本は電波ミステリー三昧だった。
 いくら恋人とは言え、さすがの彼も時折ついていけなくなる。
 もっとも、そういうところをわかっていて、付き合っているのだが。
「ね。ちょっと立ち止まってみない? それであの子捕まえようよ!」
 ついに彼女は突っ走り始めた。
 目を爛々と輝かせた彼女を止めるすべを、彼は知らない。

 それからしばらく後、彼女の家にはトールの他にもう一匹。黒い猫が家族として加わることになった。

Fin.