赤い糸、信じますか?

運命に関するお仕事。

「ゆいゆい。仕事だよ」
 学校の帰り道を歩いているといきなり男が声をかけてきた。
「……その呼び方止めてくれません?」
 ゆいゆいと呼ばれた少女――紅坂結維は呆れたように男を見た。
 結維にとってみればその男は一応上司に当たるので敬語は使っているが、態度が上司に対するそれとはずいぶん違った。
「ゆいゆいが嫌ならゆいりんとかにしようか?」
 面白がっているのが傍目にもよくわかった。
 結維は男――大神一馬の言葉を無視することにした。
「早く仕事渡してくれませんか? 私も暇じゃないんです」
 それだけ言うと結維は一馬の手にあった紙を奪い取った。
「……なんですかこれは?」
 結維は一馬から奪った紙に一通り目を通した後、一馬を睨み付けた。
 一馬は楽しそうに笑いながら紙を奪い返した。
「俺のバイト。今日はチラシ配りなんだよね」
「そんなことは聞いてません! リストはどこですか?! と言うか管理人がバイトなんてして良いんですか?!」
 結維がわめき散らしたが、一馬はそれを簡単に流していた。
「だってさー、本職だけじゃ生活苦しくてさぁ」
「人の運命管理してる自覚もって下さい!!!」
 一馬は結維の頭を軽く撫でながら笑った。
「ゆいゆいは真面目だねー」
「アナタが不真面目なだけです! それと、頭撫でるのもその呼び方も止めて下さい!」
 一馬は渋々結維の頭を撫でるのを止め、ポケットから取り出した紙を渡した。
「それが今回のリストだよ」
 結維はそのリストから目を離さずに言った。
「……増えてませんか?」
「十人くらいはね」
「……バイト代は変わらないんですか?」
「不景気だからね」
「仕事増えているのに?」
「……不景気だからね」
 結維はちらりと一馬を見た。
「最初の頃と給料は変わらないのに仕事量だけ倍以上になってますが?」
 一馬はハハッと乾いた笑いを浮かべて目をそらした。
「…………ごめん」
 結維は小さくため息をもらすと、呟いた。
「まぁ、中間管理職に言っても仕方ないことですからね」
「ゆいゆい何気にひどいこと言ってない?」
 結維は小さく笑うと「そんなことありませんよ」と言った。
「じゃ、早速今日の分の仕事片付けてきますよ」
 結維は後ろを振り返らずに駆け出した。
 走りながらリストを鞄の中にしまう。リストはもう覚えたから必要ない。
「あ、あの人……」
 ふいに横切った店の中に見覚えのある顔がいた。リストに載っていた人だ。
「……で、相手は……」
 周りを見回してある人を捜す。その人も店の中にいた。
「ふー……ん。お客と店員か……」
 結維は店の中に入るとその二人の間を通り過ぎた。
 その通り過ぎる瞬間に仕事を終わらせる。
 一瞬で赤い糸を結ぶ。
 これがバイト。
 リストの通りに赤い糸を結んだり、切ったりする。
 結維は何故か赤い糸が見える。遺伝ではなく、突然変異だった。
「……それにしても……恋愛ってこんなものだったんだなぁ……」
 この仕事を始めた頃から知ったこと。恋愛も人生も全部運命に縛られているのだと。
 それを知ると、何をやるにもやる気がなくなってしまう。学校に行く気も、恋愛をする気にも。
 どうせ運命で決まっているなら自分でどうこう出来るものじゃないのだと知ってしまった。
「そう考えると嫌な仕事……」
 赤い糸が見えなければよかったと思ったこともあった。
 人の運命を勝手に変える権利は自分にないと思ったこともあった。
 こんな仕事止めてしまおうかと思ったこともあった。
「……私の赤い糸きれてるし……」
 小指からのびている糸は途中でブツンと切れている。
 いつの日か自分で自分の糸を結ぶ日が来るのかもしれない。
 自分で結ぶのは嫌だけど、他人に結ばれるのはもっと嫌だった。
「……自分の糸結んだら仕事止めるのかな、私」
 ずいぶん先の話のような気がしていた。だから、結維はずっと保留にしていた。
「ゆいゆーい?」
 ふいにかけられた声に驚いて結維は声を上げそうになった。
「な、なんですか?! いきなり声なんてかけて……」
 声は上げずに済んだが、それでも声はうわずっていた。
 一馬は結維頭を軽く小突いた。
「わっ! ……ちょっと! 何なんですか?」
 いきなり小突かれて結維はもう訳が分からなかった。
「さっきから呼んでたのに何がいきなりだって? ゆいゆいが聞こえてなかっただけだろ?」
「ぅ……」
 考え事をしていると周りが見えなくなると昔から何度も言われていた。
 反論のしようがないのだ。
 結維がどう言葉を返そうか悩んでいると突然、一馬は結維の手を引いて歩き始めた。
「え? ちょっ……どこ行くつもりなんですか?」
 慌てる結維をよそに一馬はズンズン歩いていく。
「とりあえず、何も買わずに店の中でボーっと突っ立ているのだけは止めようと思って」
 結維には自覚がなかったが、仕事をしてからずっと店の中でボーっと考え事をしていたのだ。店員に話しかけられても聞こえていなかった。
 それがわかると結維は途端に恥ずかしくなった。
「ゆいゆいは、もう少し注意力持った方が良いと思うよ」
「……はい……」
 それは結維も常日頃思っているのだが、なかなか上手くいかないでいる。
「めずらしー。ゆいゆいが素直に返事するなんて」
 珍しく素直に返事を返した結維はその言葉にムッとなった。
「それはつまり、いつもの私は素直じゃないと言いたいんですか?」
「そこまでは言ってないよー。何でもすぐ顔に出るのは素直だと思うよ。かわいーし」
 一馬が楽しそうに言うのに対して、結維は恥ずかしさから来るイライラとまたからかわれているという思いから腹が立っていた。
「あまり部下をからかって楽しまないで下さい! そう言うの迷惑です!」
 一馬はふいに足を止めた。
「……迷惑だった?」
「すごく迷惑です! 大体、やる気あるんですか? 人をからかってばかりで仕事をしているところなんて見たことありません。やる気がないなら止めた方が良いんじゃないですか?」
 結維は口から出る言葉を止めることが出来なかった。
 最後まで言い切ってやっと止まった。
「……そっか。そう思ってたんだ」
 一馬はそれだけ言うと黙ってしまった。

「ねぇ、君が結維ちゃん?」
 次の日、昨日と同じ場所で声をかけられた。
 いつもと同じ人物だと思っていた。
「……どちら様ですか?」
 結維は自分の名前を呼んだ男が知らない男だと知った。
「新しい『運命の管理者』だよ。よろしく」
 それがどういうことか理解するのに時間はかからなかった。
「新しいってことは……前の人は……?」
 声が震えているのがわかる。
 けれど、どうして声が震えているのかはわからなかった。
「あぁ、大神一馬なら辞めたよ」
 結維の中に何かが走った。
 その何かは一瞬で全身を駆けめぐった。
「はい、今日の分のリスト。じゃ、がんばってね」
 渡されたリストに目を通したが、ほとんど頭に入らなかった。
 頭が真っ白で何も考えられなかった。
「……え」
 それなのに、目に付いてしまった名前があった。
 結維の全身を駆けめぐったものが一瞬ではじけた。
 あてもなく結維は走り出した。
 いや、当てならあった。確率は低いけれど、一カ所だけあった。
 夕ヶ丘公園。
 一度も来たことのない公園だった。
「……やっぱりいた……」
 探していた人は確かにそこにいた。
 いたけれど、なんて声をかければいいのかわからなかった。
 昨日、ひどいことを言った。もう、向こうは会いたくないと思っているかもしれない。だから、仕事を辞めたのかもしれない。それでも、会いたかった。
「……仕事、しないんですか?」
 結維はなけなしの勇気を振り絞って声をかけた。
 すると、向こうはいつもの笑顔で結維を見た。
「ゆいゆい、こんなところで何してんの?」
「いきなり仕事を辞めた上司に一言言ってやろうと思ったんです」
 結維は一馬のそばまで寄ると真っ直ぐに瞳を見つめた。
「なんで『運命の管理者』辞めたんですか?」
 一馬はやっぱりそれかと呟きながら笑っていた。
「辞めたんじゃなくて正しくはクビにされたんだよ」
「……え?」
 結維は首を傾げた。
 その様子を一馬は楽しそうに見ていた。
「上司に喧嘩売っちゃった。そしたらあっという間にクビ」
「ちょっと! どこの世界に上司に喧嘩売るバカがいるんですか?!!」
 結維に言われて一馬は笑顔で自分を指さしていた。どうやら本物の馬鹿らしい。
「……もぅ、何で喧嘩なんて売るのよ……」
 呆れ混ざりのため息と一緒に言葉を吐き出すと、一馬は一瞬答えに悩んでいた。
「……答えたくないなら良いですよ」
「いや、答えるけど……」
 視線が落ち着かず、きょろきょろしていたが、やがて結維を真っ直ぐに見た。
「これから言うことは本当のことだからね?」
「?」
 結維は嘘をつく必要があるような質問をしただろうかと一瞬考えた。だが、そんな結維には構わず一馬は言った。
「今日、受け取ったリストに紅坂結維の名前があったからこの仕事は出来ないって言ったらクビにされた」
 それはあまりにも意外な答えで、結維は言葉を失った。
「……ど……して?」
 かろうじて出た言葉は問いかけの言葉。
 どうして自分の名前があると仕事が出来ないのか、不思議だった。
「言わなくても通じて欲しかったなぁ……」
 小さく呟くと一馬はもう一度結維を真っ直ぐ見た。
 そして、もう一度同じ言葉を言った。
「これから言うことは冗談でも何でもなくて、本当のことだから」
 結維は小さく頷いた。
「好きな子が知らない奴と結ばれるのを手伝いたくなかったから」
「…………好きな……子?」
 首を傾げる結維を一馬は指さした。
「そ、好きな子」
 その意味を理解するのに数秒の時間を費やした。
 理解をした途端の反応は早かった。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」
 信じられなかった。
 また冗談を言ってからかわれているのかとも考えた。けれど、二度も本当だと言っていた。
「ちょっと待って下さい! だ、だって私……え? なんで? え、えっと……」
 結維の頭の中はごちゃごちゃだった。
 もらったリストの中には自分の名前があって、同じクラスの人と糸を結ばなきゃいけないことになっていた。それに……
「だって……リストには貴方の名前も載ってましたよ?」
 見間違えるはずがない。
 確かに大神一馬の名前がリストに載っていた。今日、ここで、知らない人と糸を結ばなきゃいけないことになっていた。
 それなのに、何故か好きだと言われている。これは運命とは違う。
「そう言われたって、俺は好きでもない子と結ばれたくないし」
「で、でも……このリストって神様が作ったって……」
 神様の作った運命を変えて良いのだろうか、神様に逆らう事と同じなのではないだろうか、そんなことを人間がやっても良いのだろうか?
 悩んでいる結維の頭を軽く小突くと、一馬は笑顔で言った。
「で? 返事は?」
 何の返事か聞かなくてもわかる。
 結維の中でも答えは出てる。それでも、その答えを口にしていいのかはわからなかった。
 悩んでいた結維はふいに自分の小指からのびている糸を見た。
 そう言えば、今目の前にいる人は赤い糸が見えているのだろうか?
 見えていないで欲しいと思いながら、結維は自分の赤い糸を掴んだ。
 そして、今までで一番の速さで糸を結んだ。
 ほんの少しだけ背徳感というものを感じた。
「……返事は?」
 いつまでたっても返事が返ってこないのでしびれを切らしたらしく一馬がもう一度質問を繰り返した。
 それを聞き、やっぱり見えていないんだと結維は安堵した。
「私もこの仕事辞めます」
 質問と返事が合っていない。
 一馬が何か言おうと口を開きかけていたが、それを遮るように結維は言葉を続けた。
「上司と部下じゃなくなったんだから、敬語じゃなくて良いよね? 一馬さん」
 今までなんとなく呼べなかった名前。
 初めて呼んでみた。
 それは運命を自分の手で変えた日の出来事だった。

 

書いた日付が2003年……言い訳も出来ません