一瞬、何が起きたのか理解できなかっただろう。
花月に襲いかかろうとしていた鬼に、何かが当たったのだ。だが、そこには何もない。
秋雨ですら、鬼に追いつけなかったのだから。その後ろにいる初音が届くはずもない。
鬼の動きが止まっている間に、秋雨は花月をかばうように立った。だが、鬼はもう花月も秋雨も見てはいなかった。
「貴様、何者だ」
ゆっくりと振り返り、初音を睨み付けた。
睨み付けられた当の本人は、箒を構えたまま微笑んでいた。
「鬼のくせに、気がつかないの?」
嘲るかのような微笑み。たかが人間の小娘に嘲られることが鬼に耐えられるはずもない。だが、鬼は動けなかった。初音に気迫で押されていた。
「妖守神社の初音、と言ったらわかるかしら?」
その一言で全て理解できた。
鬼はわずかに後ずさった。
「魔女、か」
鬼が絞り出すように出した声に、初音は答えなかった。ただ、ゆっくりと箒を振り下ろした。
瞬間、鬼を囲むように光の柱が立ち上った。
「滅しなさい」
初音のその一言で、光は消えた。だが、そこにはもう鬼の姿はなかった。ただあるのは塵のみ。
その様子を花月も秋雨もただ呆然と見つめていた。
やがて、思い出したように秋雨は呟いた。
「……魔女……」
魔女とは、普通の人間でありながら、妖怪をも凌ぐほどの力を持って生まれた人間のこと。人間の世界では受け入れられない者。
なぜなら、人間は自分と違う者を受け入れることが出来ないほど弱いから。
初音を見る、二人の表情は恐怖だった。
その表情は今までも、何度か見てきた。その度に初音の頭の中を巡る声。
――どうして妖怪の子なんて生まれてきたんだ
――お前なんかいらない。今すぐ目の前から消えてくれ
小さくため息を吐きながら、この場から早く立ち去ろうと思った。これ以上二人に恐怖を与えても仕方ない。
一歩踏み出す前に、初音の眼に映る光景が動いた。
二人が倒れた。
それだけではなく、その後ろにもう一人いた。この屋敷には不似合いな着物を着崩した男。
「槐?!」
初音は、その男の名前を口にした。
槐は、わざと大げさにため息を吐いて見せた。
「ったく。何度も言わせんじゃねぇよ。一人で仕事すんなって言ってんだろ」
こういうことになるから、と言いたげに倒れている二人を見下ろした。初音は少し不服そうにしながら言葉を返してきた。
「だって、依頼が来たのに槐が留守にしてるから……私がやるしかないなぁと思って……」
我ながら言い訳のようだと思ったが嘘ではない。
そんな初音を、槐は何も言わずに煙管で小突いた。
「自分の正体がばれないようにやるか、催眠術覚えろって言ってんだろうが。馬鹿かオマエは」
それに対して初音は、小突かれた頭を押さえつつ、わめき散らした。
「仕方ないじゃない! 催眠術苦手なんだから。それに、気づかれないようにしようって気をつけてはいたのよ。でも、ちょっと色々あって気づかれちゃったのよ!」
専ら、攻撃専門の初音には催眠術や記憶操作と言った補助的な物が向いていない。前に槐で実験をして殺しそうになったくらいだ。
「だから、こうやって毎回記憶操作してもらってるのは感謝してるのよ。一応」
「そう思ってんなら礼を言え。礼を。大体、一応って何だよ」
相当機嫌が悪いらしい。
槐は眉をひそめて、眉間にしわを寄せて、めんどくさそうに初音を見下ろしていた。
「……どーもありがとーございます」
そっぽを向いて、棒読みのお礼を返した。一応、お礼ではある。
槐はもう一度煙管で、初音の頭を小突いた。
「あんまり叩かないでよ! 馬鹿になったらどうするのよ!」
「これ以上馬鹿になるわけねぇ」
「女の子相手に馬鹿馬鹿連呼するなんて失礼よ!」
「ホントに馬鹿なんだから仕方ねぇだろ」
初音の箒が槐に炸裂した。
今日も、天下は泰平なようです。
おわり
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