「いえ、まずこの屋敷の中を案内してください」
花月は一瞬戸惑ったが、すぐに笑顔で「わかりました」と答えた。
屋敷は予想以上に入り組んでおり、案内されるだけで日が落ちてしまった。
初音は先に案内を頼んで正解だったなと思った。案内を後にしてもらっていては、屋敷の中がよくわからずに仕事をしなければならなくなっただろう。
だが、屋敷の誰からもこれと言った話は聞けなかった。
姫が鬼に狙われる原因が、未だに分からなかった。
「もう、ずいぶん暗くなってしまいましたね」
空を見上げながら、花月が不安そうに呟いた。
鬼は言った。新月の夜にまた来る、と。
そして、今日は新月。
不安になるのは仕方ないだろう。
「花月さん、一度姫様の部屋に行っておきましょうか」
安易に大丈夫ですよとは言えない。どれだけの鬼なのかもわからずに、そんな言葉を口には出来ない。けれども、笑顔を浮かべれば少しは安心させてあげられるだろう。
初音の笑顔を見て、花月は多少は安心できたのか、小さく微笑んで「はい」と答えた。
月のない夜。
部屋から漏れる行燈の灯だけが、廊下を照らす。頼りない灯。それでも、ないよりはずっと良い。
しばらく行くと、姫のものらしい部屋に着いた。
「姫様、お客様をお連れしました」
障子に向かって花月が囁いたが、帰ってきた小さな返事は初音の耳には届かなかった。花月が微笑みながら「こちらです」と言って、障子を開けた。
目の前に広がる部屋は、立派なものだった。部屋自体も、その部屋を彩る家具も。だが、その中で最も目を引くのは部屋の中央に座っている姫の姿だった。美しいとか、そんな理由ではなく、瞳に強さを感じた。その強さが目を引くのだ。
「姫様、こちらが妖怪退治を引き受けてくださった初音さんです」
花月にそう紹介されてから、初音はやっと我に返った。完全に姫に魅入ってしまっていた。
「初音さん、こちらが私の主である秋雨姫です」
だが、秋雨は微笑みもせずに言い放った。
「私に会いもせず、屋敷の中を勝手に彷徨いていたようだな?」
屋敷の者から聞いたのだろう。秋雨は、二人の反応を待たずに淡々と続けた。
「依頼主に会いもせず、許可もなく、人の屋敷を探って良いと思っているのか?」
初音は黙った。
言い返せない。確かに、依頼主と面識もなく、承諾もなく勝手に屋敷の中を探っていた。それは嘘ではない。
初音を不安そうに見つめていた花月だが、何か言おうとして口を開いたが、秋雨はそれを許さなかった。
「花月。帰ってもらいなさい」
それは命令だった。
仕える者としては、逆らえなかった。
花月と初音は、秋雨の部屋を後にした。
「申し訳ありません」
か細い声で謝る花月に、初音は気にしないでと笑って言った。
だが、どうすればいいだろう。
このまま帰れば、秋雨は確実に鬼に襲われるだろう。それを見逃すことは出来ない。けれども、依頼主の機嫌を損ね、追い出されてしまっては何も出来ない。
初音は、秋雨の部屋の前でしばらく考え込んでいた。
そのとき。部屋の中から、物が倒れる音がした。むしろ、壊された音だろうか?
「姫様?!」
花月が障子に向かって呼びかけたが、返事はない。
二人が思わず、部屋に飛び込んだときには全ては終わっていた。
倒れている家具。壊された壁。ただそれだけ。
鬼どころか、秋雨の姿もなかった。
おわり
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