「花月さん、ちょっと山神様のお社まで行きません?」
初音の言葉に花月は不思議そうな顔をした。当然だろう。鬼を退治することと山神の社に行くことはどうやっても結びつかない。
「ちょっと、山神様にお参りしておこうかなと思いまして」
笑いながら初音が言うと、花月はそうですねと言って承諾してくれた。
「それにしても」
社へと続くらしい獣道を歩きながら、花月に声をかけた。
「山神様のお社なんて、珍しいですね」
一般的に、山の神というものは農民猟師と言った者達に山を支配するものとして信じられている神である。詳しいことはわからないが、この屋敷は農民や猟師と言った身分には見えない。
それなのに、何故山神を信じ、祀っているのか。
初音の数歩前を歩いている花月は、馴れた足取りで獣道を進んでいた。
「元々、この家は百姓屋敷だったんですが、数代前に戦に駆り出されたとき、その活躍を認められ、今の地位を戴いたそうです」
自分で聞いておいて何だが、花月の答えに驚いた。ただの女中にしか見えない少女が、何故そこまで知っているのだろう。
「花月さん」
よく考えれば、花月は確かにおかしい。
主人である秋雨に、臆せずに反論をしていた。それに、おそらくこの依頼は秋雨ではなく花月が依頼主であろう。ただの女中がそこまでするだろうか。
そして、ほとんど人が通っていない獣道を馴れた足取りで進んでいく姿もよく考えれば妙だった。
「何者なの、あなた」
歩く速度をゆるめず、振り返りもせず、淡々と答えた。
「今は、ただの女中です」
初音が「今は?」と聞き返す前に、花月は振り向いた。
そして、優しげに笑ってみせた。
「初音さん。お社に着きましたよ」
山の中にひっそりと佇むそれは、社と言うよりもむしろ祠だった。小さな子供ですら隠れることが出来ないくらい小さかった。だが、思ったより荒れていなく、むしろ定期的に誰かが手入れしているようなくらい整えられていた。
「随分、綺麗にしてるんですね」
初音はそう言いながら、社の前に座り込んだ。
「どれくらいの頻度でここに通ってるんです?」
「十日に一度は通うようにしてます」
笑いながら、「やはり、気づいていたんですね」と続けた。
社に触れながら、初音は花月の方を振り向いた。
「ここまでの道を、あんな風に苦にも思わず歩けるって言うことは、あの道を歩くのが習慣になってるってことですから」
初音の言葉に、花月はただ微笑んでいた。
それを見て、初音は更に続けた。
「それで、今はただの女中と言うことは、昔は何だったんですか?」
「おそらく、初音さんの想像通りですよ」
どこか遠くでも見ているような瞳をして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は、秋雨の幼なじみです」
何故山神を祀っているのかも、この社の存在も、幼い頃に秋雨本人から聞いたのだろう。そして、年を重ね、関係が変わってしまった今でも、幼なじみだったという名残がある。
「幼なじみとして、心配だったから依頼したんですね?」
ため息を吐き、呆れたように呟いていたが、その表情はやけに優しげだった。
「鬼が相手だと言うのに、自分には刀があるから一人で大丈夫だと言って聞かないんです」
これで、いくつかの謎は解けた。だが、まだ一番大事なことはわかっていない。
「花月さんは、どうして秋雨さんが鬼に狙われているか知ってるんですか?」
この謎だけは、どう頑張っても解けない。そして、この謎の鍵はおそらく花月にある。
だが、花月は小さく首を横に振った。
「私も気になって、秋雨に何度か尋ねたんですが、何も答えようとしないんです」
やはり、秋雨は全てを知っているらしい。それなのに、何故か答えようとはしない。
初音はしばらく考え込んでいたが、ふいに思い出した。
「花月さん! まだ薬持ってましたよね?」
薬を渡したのは、ついさっき。渡したすぐ後にこの社への道を見つけたのだから。
「え、持ってますが?」
持っていて当然なのに、何故そんなことを聞くのだろうと花月は不思議そうにしていた。だが、すぐにわかった。
「もう夜なんです! 今から屋敷に戻って飲ませても遅いんです!」
道を見つけたときは、まだ日暮れ前だった。だが、ここまでの道のりは思ったよりも長く、陽の届かない山の中では日が暮れたことに気づくのも容易ではなく。気がつけば時間は夜。鬼が来ると言った時間。
今から急いで屋敷に戻ったところで間に合うだろうか。そもそも、帰れと言われたのに秋雨の前に姿を現して良いのだろうか。不安は多々あるが、そんなことを考える余裕はない。
急いで屋敷に戻る。
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