人は誰でも人生で一度、一番綺麗なときがあると思う。
私の一番綺麗なときはいつだろう?
それは……もうとうの昔に終わったんだろうか?THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜序章〜
誰かが言ったから。誰だったかなんて覚えてないけど。この色素の薄い髪を、私の大嫌いだった髪を好きだと言ってくれたから。だから伸ばし始めた髪も今は今はもう地面につきそうなくらい長い。
なんて暗いところなんだろう……光が全く差し込まない。
一体どれくらい昔からここに居たんだろう?
ずいぶん久しぶりに目を覚ました気がする。
「……どれくらい眠っていたの?」
誰もいない部屋でそう呟くと返事が返ってきた。
「百四十七年二ヶ月十四日三時間二分五秒間です」
機械的な声。
百五十年前に聞いたときと変わらない声。
「何もかわりなさそうね」
嫌みたらしく言ったのに相手は全く気が付かない。相変わらず機械的な返事を返してきた。
「はい。この屋敷はご主人様が眠りにつかれたときと全く同じ状態にあります」
そう。嫌みなんて通じる相手じゃない。そんなこと作った本人が一番よくわかってるでしょ?
今更、なんてバカなことをしているんだろう?愚かだ。私はこんなに愚かだったんだ。
「ご主人様。お食事はどういたしましょう?」
愚かな私が作った人形は百五十年前と同じことを言った。
「……貴方のプログラムを書き換えておかなきゃいけないわね。私の食事はもう貴方じゃ用意できないのだから」
百五十年前に……違う。もっと前だ。昔、書き換えるのを忘れていたプログラム。もっと早く書き換えておいた方が良かったかしら?
私はベッドから出ると人形に言った。
「とりあえず部屋から出て。他の部屋の掃除でもしてて」
人形は「はい」と答えて部屋から出ていった。
プログラムされたことしかしない。話さない。ただの人形。人の形をしているだけで人間ではない。わかっていたはずなのに……
「本当に……私はなんて愚かしいんだろう……」
屋敷の外は、百五十年前と変わってしまっているのだろう。変わっていないのは屋敷だけ。
私が求めていたのはこんな変化しない物じゃなかったのに……
「……食事に行こう……」
私は誰にいうでもなく一人呟くと屋敷を出た。人形達が「いってらっしゃいませ」と言う。これも全て私がプログラムしたこと。
屋敷の外は真っ暗だった。夜だ。人の気配もない。おそらく深夜……
百五十年前とは全く違う景色。知らない街のようだった。
「……全て変わってしまった……」
夜の街を一人あてもなく歩く。冷たい風が心まで通りすぎていく。心が冷えるのを感じて少しだけ嬉しくなった。まだ私には心があったんだ。昔なら何とも思わなかったことが今となっては嬉しく感じる。
ふいに足がもつれた。転びそうになる。慌てて近くの柱に掴まる。
寝過ぎたのだろうか?それとも食事をとっていないから?こんな身体でも足がもつれるのか……
「あの……大丈夫ですか?」
やわらかな女の声。
顔を上げると声のイメージ通りの女が立っていた。心配そうにこちらを見ている。
「……大丈夫です……ただの立ちくらみですから……」
私はそう言って女の腕を掴んだ。
女は一瞬ビクッと身体を縮ませたが、私が咳き込むと心配そうに顔を覗き込んできた。
「家まで送りましょうか?」
この女は知らない。この優しさが命取りになると。
私は顔を上げて優しく微笑んだ。
「……ありがとう」
女の気がゆるむのを見逃さなかった。
私はその隙をついて女の首筋に牙を立てた。女が何か叫ぼうとしたが私はその口をしっかりと塞いだ。
そしてゆっくりと時間をかけて食事をした。
腹が満たされると私は女から離れた。もっとも今はもう『女』ではなかったが。
「ごめんなさいね。殺すつもりじゃなかったんだけど……つい」
口に付いた血を拭いながら女だった物に向かって詫びた。
満たされた気持ちとは裏腹に、やりきれない物があった。
目の前に横たわっている物と自分のしたこと。自分で進んでやったことなのにどうしてもやりきれない。
「……私……どうして生きてるのかしら……」
きっと、あの時に死んでしまえば良かったんだ。こんな身体になる前に死んでしまえば良かったんだ。
手を堅く握りしめてみた。長い爪が肌に食い込み血が流れる。けれど、その手を開くとすでに傷はない。
「どうしてこんな身体になるのを選んだんだろう……」
不変の物の何が良いんだろう?
変わるから良いんじゃないの?
なんて今更な考えだろう。もっと早く気付けば良かったのに。
「…………帰ろう……帰ってプログラムを書き換えなきゃ」
そして私は結論も出せないまま家路につく。逃げてる。答えを出すのを怖がってる。
「おかえりなさいませ」
機械的な声が響く。私は何を思ってこの人形達を作ったんだろう?思い出せない。
もう一度眠りにつこうか?今度は永遠の眠りに。
「……本当にバカね……」
出来もしない考えに思わず笑ってしまった。自分から命を投げ出すなんて出来ないくせに何を考えてるんだろう。
そうして私はもう一度眠りにつく。次に目を覚ますのはいつだろう?覚めなければいいのに。
まだ朝は遠い。
朝はまだ来ない。
それでも朝が早く来るのを願う。
叶うはずのない願い。叶わぬ願いを胸に眠りにつく者がいた。
朝を求めて歩き続ける物が近づいてきてるとは知らずに。
「……ここが……人形の館……?」
屋敷の前で声にならない呟きをもらすと、恐る恐る屋敷の戸を叩いた。
人の気配の消えていた屋敷に戸を叩く音だけが響いた。
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