私は魚です。
 空を夢見て、泳ぐのを止めた魚です。
 こんな魚、生きていちゃいけないんでしょうか?
 翼を持たない魚は空を夢見てはいけませんか?

THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜空を夢見る泳がない魚〜

 私は出来損ないです。大切な人を守れませんでした。

「どちら様ですか?」
 戸が開き、中から女の人が出てきました。綺麗な人。でも、瞳がまるでガラスみたいに薄っぺらい気がします。
 私が答える前に屋敷の中から別の人の声がしました。
「この屋敷に人が尋ねてくるなんて……珍しいこともあるのね」
 声の主が気になり私は屋敷の中を覗き込みました。
 屋敷の中は暗く、明かりが何一つ灯っていませんでした。おかしな家。
 でも、それでも声の主の姿はやけにはっきりと見えました。まるで自身が光を放ってるようにはっきりと。
 声の主は全体的に薄い感じの人でした。何が薄いと言われても全部としか答えようがありません。肌・髪・瞳の色はもちろん。今にも消えてしまいそうな儚い感じがしました。
 そして声の主が少女であることがわかりました。
「……長い髪ですね……」
 私がやっとの思いで出した言葉はそれでした。透き通るような水色の髪の毛は地面に毛先が届いていました。
 少女は私の声を聞きハッとしたように目を見開きました。そして頭のてっぺんから爪の先までじろじろと見られました。
「……どうしてこんなところに来たの?」
 答えるのに少し戸惑いましたが、これをお願いするために来たのだから言わないわけにはいきません。
 私が答えようと口を開いたと同時に彼女も口を開きました。
「とりあえず、私の部屋に行きましょう。話はそこで聞くわ」
 返事も聞かずに彼女は私の手を引いて歩き出しました。それをさっきの女の人が見送ってくれました。でも、相変わらずガラスみたいな瞳でした。
 つれてこられた部屋はとても広く、天井が高くてまさにお嬢様の部屋という感じでした。私のいた家とは比べ物になりませんでした。
「……それで?この屋敷に来た理由を教えてもらえるかしら?」
 彼女は私に椅子を勧めながら言いました。
 こんなに幼いのに良くできた人だなと思いました。
「……あの……私、五月真魚と言います」
 どこから話せばいいのかわからず私はとりあえず頭を下げて名乗りました。彼女はそれを見て優しく微笑んでくれました。
「私はシラン。氷魚紫蘭よ」
 紫蘭……私の頭には赤紫の花が浮かびました。
「お花の名前ですね。私の家の庭にもありました」
 そう言うと紫蘭さんは少し眉をひそめました。私は何か言ってはいけないことをいったんでしょうか?もしそうなのなら……やっぱり私は出来損ないです。
「……貴方の家じゃないでしょ」
「え?」
 紫蘭さんの言ったことの意味が理解できなくて思わず首を傾げると、紫蘭さんは淡々とした口調で続けました。
「貴方の家じゃなくてそこは貴方の主人の家でしょ?間違えないで」
 あぁ。気付かれていたんだ。どうやって切り出そうと思っていたことはもう知られていました。ホッとした反面、不安が胸をよぎりました。
「……あの、紫蘭さんは……私がなんだか知っていたんですか?」
 知っていたのに人間と同じように扱ってくれたのでしょうか?知っていて人間に勧めるように椅子を勧めてくれたのでしょうか?知っていたのならどうしてそんなことをしたんでしょうか?
「気付いていたわよ。貴方の声を聞けば簡単にわかるわ」
 人間の声とは違うなんてこと知りませんでした。どこが違うのでしょうか?声なんてみんな違うと思っていました。
「だって貴方の声、普通の人間には聞こえないもの」
――人間ニハ声ガ届カナイノ?
 私の考えてることがわかったのでしょうか、紫蘭さんは表情のない灰色の瞳で私を見ながら言葉を続けました。
「知らなかったみたいね。でも残念ながら事実よ。貴方がどれだけ叫ぼうが人間は気付かない」
 私の声は届かない。それはつまり、私はやはり役立たずだったと言うことですか?役に立とうと頑張ったのに届いていなかったのでしょうか?
 何も言えずにいると紫蘭さんは優しく肩を叩いてくれました。
「とりあえず落ち着きなさい。貴方はそもそもなんでこんなところに来たの?普通ならここまで来られないはずよ?」
 そう。やっとの思いでここまでやって来たんです。たった一つの願いの為だけにここまで来たんです。言わなきゃ……
「あの……私……」
 手を堅く握りしめて私は言葉を続けました。
「私、人間になりたいんです」
 たった一つの願いはたった一人のために。どうしても助けたい人がいるんです。
 紫蘭さんは大きく一つだけ息を吐くと真っ直ぐに私を見ました。私は紫蘭さんの口から出る言葉に期待していました。
「……無理よ」
 頭が真っ白になりました。
 今聞こえた言葉は幻聴であって欲しいと思いました。
 けれど私の期待を裏切るかのように紫蘭さんはもう一度はっきりと言いました。
「無理よ。私は貴方を人間に出来ない」
「……どうして……ですか?」
 私が人間だったら泣いているのでしょう。でも私は人間ではないので涙は流れませんでした。
 私が人間だったら胸が痛いのでしょう。でも私は人間ではないので胸の痛みを知りません。
 私が人間だったら……
「貴方は勘違いをしているの。私は神じゃない。人間なんて作れない」
 信じたくない。
 信じられない。
 信じない。
「だって……ここは人形の館なんですよね?生きた人形のいる館……それなら……」
 私も人間にしてくれたって良いじゃないですか。
 けれど、紫蘭さんは小さく首を横に振りました。
「生きた人形なんていないわ。ここにいるのはただのアンドロイド。感情を持たないロボットよ」
 紫蘭さんの言葉を信じられず私が小さく首を横に降り続けていると紫蘭さんは立ち上がりました。
「私の言葉を信じられないなら自分で確認しなさい」
 そう言うと紫蘭さんは部屋を出ていきました。
 部屋に残された私は何をすればいいのかわかりませんでした。
「確認するって……どうすればいいのですか?」
 何もわからずその部屋で呆然としていると戸をノックする音がしました。驚いた私は自分の部屋でもないのについ「どうぞ」と言ってしました。私はどうしてこんなに出来が悪いんでしょうか?
「失礼します」
 深々とお辞儀をして入ってきたのはさっきのガラスの瞳の女の人でした。私はつられてお辞儀をしましたが、顔を上げたときにはもうすでに女の人は掃除を始めていました。
 その様子を見ながら私は首を傾げました。人形に掃除が出来るはずありません。それにどこから見てもこの人は人間です。それなのに紫蘭さんは人形だと言いました。少し考えてから私は声をかけてみました。
「あの……お掃除手伝いましょうか?」
 女の人は一旦、手を止めてガラスの瞳で私を見ました。
「そのような言葉はプログラムされておりません。プログラムを書き換えて下さい」
「……え?」
 私の理解できない言葉を発すると女の人は動きを止めました。そして、ガラスの瞳から光が消えました。
「……あの?どうしたんですか?」
 おずおずと女の人の肩に触れてみるといきなり背中が開きました。
 驚いて後ろに下がりましたが、私はすぐに女の人の背中を覗き込みました。すると開いた背中の中にカラフルなコードと液晶の画面とキーボードのようなボタンが見えました。
「これ……って……」
 ガラスの瞳の持ち主は人間ではありませんでした。
 頭の中に紫蘭さんの言った言葉が蘇りました。
『生きた人形なんていないわ。ここにいるのはただのアンドロイド。感情を持たないロボットよ』
 人間になれると信じていた。
 誰かが言っていたから。
 とある街のはずれに館がある。その館は『人形の館』と言って人形を生きた人形にしてくれると。
 その言葉を信じていたのに。
 全てはただの噂だった。
「……ご主人様……私は出来損ないの人形です……ご主人様を救うことが出来ません」
 動かないアンドロイドを前に私は呆然とすることしかできませんでした。
 そんな私にいつの間にかいた紫蘭さんが声をかけてくれました。でも、それは私にとってはあまり嬉しくないものでした。私が勝手に信じていただけですが、それを裏切られたんです。その裏切った人に声をかけられても嬉しくありません。
「ねぇ……真魚さん?貴方はどうして人間になりたかったの?」
 私は声をかけてくれた紫蘭さんを突き放しました。嫌な子です。でも、どうしても言いたくなかったんです。紫蘭さんだったから?それだけじゃありません。誰にも話したくなかったんです。
 突き飛ばされ、床に倒れている紫蘭さんを見て私はハッとしました。私は何をしているんでしょうか?人形なのに人間を突き飛ばしました。
「……あ…………ごめんなさ……い…………私……」
 人間に作られた人形が人間に暴力を振るって許されますか?
 許されるはずありません。許してはいけないんです。
 けれど、私は確かに人間を突き飛ばしました。
 私は人形として犯してはいけない罪を犯しました。
――人間ニ逆ライマシタ。コノ罪ヲ償ワナケレバ。ソノ亡キ命ヲ持ッテ償イナサイ。滅ビナサイ。

 気が付くと窓から飛び出していました。
 その時、ここが何階なのかわかりませんでした。しばらくしてから思い出しました。ここは二階。けれど普通よりも天井の高い家。二階だけれど普通の家の三階と同じくらいの高さでした。
 窓の近くに立っている紫蘭さんが何か言っていました。
 けれどなんと言っているのか私にはわかりませんでした。

 朝を求めていた。
 けれど、朝は来ることがなかった。決して。
 朝が来ないことを知り、それに耐えられなかった。
 耐えられずに自ら命を絶とうとした物がいた。
 それを止めようとした者がいた。

「止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 朝がまだ遠い真夜中。
 人の気配のない街に一人の少女の声だけが響いた。

 

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第二章