俺は、何を持っているんだ?
 権力?金?名声?それだけ?
 そんな物、持っていても意味はないって知っているのか?

THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜嫌いな仕事のために人生をかける人〜

 こんな仕事、誰が好き好んでやるか

「……ここが人形の館……か」
 朝が明けたばかりの時間。
 目の前の屋敷を見上げて呟いた。
 ポケットに手を入れると確かにある。この屋敷の鍵。どこから手に入れたのか知らないが、あの親が持っていた。
 ポケットから取り出した鍵で扉を開けようとした。
「…………開いてる?」
 この屋敷に人が住んでいるという話は聞いたことがない。話によれば昔幼い少女が住んでいたらしいが今はその少女もいなくなり無人のはずだ。
 疑問を感じつつそっと扉を開けた。
 屋敷の中は暗い。人の気配がしない。だが、人は住んでいる。
「埃がたまっていない……蜘蛛の巣一つもない」
 人が住んでいる証拠だ。
 誰が住んでいるのかはわからない。けれど、確実に誰かが住んでいる。
「…………」
 住んでいるのなら追い出さなければならない。それが仕事だ。どうやって追い出そうか考えながら階段を上った。
「……?」
 わずかに人の声がする。
 耳をすませ、声のする方に歩いていく。
 男と女の声?
 ある部屋の前に立つと、男女が何か言い争っているような声が聞こえた。だが、話の内容までは聞き取れない。
 確か、この部屋なら廊下よりも隣の部屋との壁の方が薄かったはずだ。
 とっさに頭の中にある図面を開いた。
 もとは一つだった部屋を二つにわけたのか、その壁だけは薄いと記されていた。
 音を立てないように扉を開け、隣の部屋に足を踏み入れた。
「!!」
 誰もいないと思って入った部屋に誰かがいた。
 暗くてよく見えないが人がいる。
 そちらをじっと見ていたが人影は全く動かない。
 不思議に思い、恐る恐る近づいてみるとそれが人ではないことがわかった。
「……人形……」
 壊れかけた人形だった。
 人形なだけはあって顔の造りは整っていた。
 けれど、それだけではなかった。
 その人形に何故か引きつけられた。
「……人形なのに……」
 人形なのに人間のような表情をしていた。
 人形のする悲しそうな顔ではない。人間のする泣きそうな表情をしていた。
 その人形に手を伸ばしかけたときだった。
「何も知らないくせに口を挟まないで!!!」
 隣の部屋から少女の声がした。
 そうだ、あの部屋の会話を聞くためにこの部屋に入ったのだ。なのにどうして人形なんかに目を奪われていたんだ?
 壁に耳をつけてじっと息をひそめて会話を聞いた。

「何も知らないから聞いてるんだろう?!アオキアキラって誰だよ?!」
 あの人と同じ声でその名前を言わないで。
「貴方には関係ない!!早く出ていって!」
 自分の瞳から涙が流れているのに気付かなかった。
「わけがわかんないんだよ!なんでそこまで俺を否定するんだ?!」
 もういや。その声をこれ以上聞きたくない。
「黙って!!早く出ていって!!」
 耐えきれなくなり、私はその場に座り込んでしまった。
 それを見てどう思ったのか、あの男はそっと手を伸ばしてきた。
「……どうしたんだよ?大丈夫か?」
 その声が……顔が……表情が……手の伸ばし方……仕草……どれをとってもあの人に似すぎている。
「さわらないでっ!!!」
 恐くなって伸ばされた手を叩き落とした。
 何か言われる前に立ち上がり、部屋を飛び出した。
 この部屋の他に鍵のかかる部屋は一つだけ。隣の部屋。
 私は隣の部屋に駆け込み、鍵をかけた。
 ふと、顔を上げると知らない顔がいた。美少女というような顔だが、人形ではなかった。

 しまったと思った。
 まさかこの部屋に入ってくるとは思わなかった。
 少女は瞳に涙を浮かべたまま不思議そうにこちらを見ていた。
 とっさに壁からは離れたから盗み聞きをしていたのは誤魔化せるだろう。けれど問題はこの部屋にいると言うことだ。
「……初めまして」
 笑顔を浮かべてみたが、返事は返ってこない。
「……どちら様?」
 やっと状況が把握できてきたのだろうか。少女は涙を浮かべた瞳で睨み付けてきた。
「深雪と言います。どうぞよろしく」
「……深雪さんね。それで貴方はどうしてこんなところにいるの?」
 涙を拭おうとしないところを見ると泣いていることに気付いていないのだろうか?
「……涙、拭かなくて良いんですか?」
 そう声をかけると少女は不思議そうに眉をしかめた。それからそっと目尻に触れた。
「…………なみだ……」
 自分が泣いていることに初めて気付いた少女は慌てて服の袖で涙を拭った。
「そんなことは良いから質問に答えて下さい!」
「道に迷ったので、道を尋ねようと思ったんです」
 笑顔で言うと少女は疑いの眼でこちらを見た。
「……どうして勝手に人の屋敷に上がり込んでるんですか?」
「ノックしても誰も出てきてくれないので勝手に上がらせていただきました」
 疑われているのはわかっている。だが、ここで動揺を見せれば負けだ。勝たなくてはいけない。仕事を無事に終わらせるには勝たなくては。
「……それは申し訳ないことをいたしましたね。お詫びにお茶でもいかがですか?」
 少女はやけに大人びた笑顔を浮かべた。
 疑いが晴れたようには思えない。では、少女は諦めたのだろうか?何を考えているのだろうか?
「おい!出てこい!!まだ話は終わってないんだぞ!」
 扉を荒々しく叩く音。少女と言い争っていた男の声だろう。
 少女が小さくため息をもらしていた。
「ごめんなさい。お茶は無理かもしれないわ」
「いえ、構いませんよ。それより彼は?」
 扉の外でわめき散らしている男のことを聞いているのだと少女は簡単に理解できたようだ。あからさまに言いたくないという態度をとっていた。
「……知りません。いきなり押し掛けてきたんです」
 いきなり押し掛けてきた男と部屋で言い争うだろうか?
 疑問は残るが、とりあえずそう言うことにしておこう。
「では、彼の言う話とはなんですか?」
 笑顔は絶やさない。それがこの仕事をしていく上で一番楽な方法だと思うから。
「どうしてそんなことまで話さなくてはいけないんですか?」
 大人びて見せても所詮は子供だ。不機嫌さを隠せていない。
「ただの興味本位ですよ。自分の好奇心を満足させるための質問です」
「……好奇心なら話す必要はないわ」
 話したくないことは何があっても話さない子だとわかった。
 この屋敷の主人を相手に仕事をするのはかなり面倒になる。そう思ってからハッとした。こんな小さな子供が主人のはずがない。
「……では、質問を変えましょう」
 少女はもはや扉の外のわめきを気にしていなかった。
「貴方の名前は?」
「……紫蘭。氷魚紫蘭よ」
 書類に書いてあったこの屋敷の最後の持ち主と同じ名前だった。
「では、紫蘭さん。ここは貴方の屋敷ですよね?ご家族の方は?」
 紫蘭と名乗った少女は冷たい瞳で遠くを見つめていた。
「……ここに住んでいるのは私だけよ。家族は皆死んだの」
 冷たい、表情のない瞳は子供のそれとは違った。大人でもこんな瞳をする者はいない。
「申し訳ありません。そうとは知らずに失礼な質問を……」
「別に構わないわ。悲しいとも思わないし」
 紫蘭は「それに」と付け足して部屋の隅にいた人形を見て微笑んだ。
「彼女もいるから。ひとりぼっちではないの」
 壊れかけている人形。
 手を伸ばそうとして、途中で止めた人形。
「……彼女の名前は?」
 気が付くと男のわめき声が聞こえなくなっていた。
「真魚さん。五月真魚さんよ」
 もう一度手を伸ばした。今度こそ、人形の頬に触れた。
「……まな……」
 そう呼ぶと人形―真魚の口がわずかに動いた。
『 ア ナ タ ハ ダ レ ? 』
 そう動いたように見えた。気のせいかもしれない。
 名前を教えたくなった。思わず口を開いた。

「開けないなら、こっちから開けてやるからな!!」
 あの人の声がした。
 違う。あの人じゃない。あの男だ。
 声は扉の方からじゃなかった。別のところ。
 声のした方へ振り向くとあの男がいた。窓の外に。ここは二階。木を登ってきたのだろう。
「……なにを……かんがえているの?」
 わからない。何をしようとしているの?
 あの男は木から飛んだ。窓から入ろうとしているの?窓は閉じているのに?窓と木との間は2メートル以上もあるのに?
 窓ガラスの割れる音が耳に届いた。飛び散るガラスの破片が見える。
 あの人がそこに立っている。
「納得のいく話を聞かせてもらおうじゃないか?」
 その笑顔が、少し意地悪に笑うその顔が、全てがあの時と同じだなんて……
「…………明くん……」
 知らないうちにあの人の名前を口走っていた。もう二度と口にしないと決めていたのに。

 朝が近い。けれど、まだ夜は明けない。
 誰かが朝を運んできた。
 朝を望んでいた者のために?
 朝がないと思いこんでいた者のために?
 朝を諦めていた者のために?
 それとも……自分のために?

「俺の名前は深雪祐也。よろしく、真魚」
 朝が来る。朝が来る。もうじき夜が明ける。
 その言葉は仕事の為じゃなかった。

 

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第四章