私は出来損ないです。
 俺は俺だ。
 誰が好き好んでやるか。

THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜動き出した物語〜

 私、死にたい。

「俺の名前は深雪祐也。よろしく、真魚」
 祐也にとって初めてかもしれない。仕事抜きでの笑顔。
 けれど、その笑顔に言葉は返ってこなかった。
「どうして泣きそうな顔をしているんだ?泣きたいなら泣けばいいのに」
 人形は反応を返さない。それでも祐也は話しかけた。
「でも、出来れば真魚の笑顔が見てみたい。笑って欲しいんだ」
 仕事抜きでの優しい言葉。初めての本当の祐也の言葉だった。
 真魚はぴくりとも動かなかった。ただ、どこか遠くを見つめているだけだった。
「笑ってくれ。真魚」
 その時、真魚の口元がわずかに動いたのは気のせいだろうか?笑顔に見えたのは気のせいだろうか?
 例えそれが気のせいだったとしても祐也にとっては気のせいではない。
「ありがとう、真魚」
 これが嬉しいという気持ちなのだと祐也は知った。

「…………明くん……」
 どうしてその名を呟いてしまったのか紫蘭にはわからなかった。
 けれど、達巳を苛立たせるには十分だった。
「俺は山野達巳だ!他の誰でもない!!」
 達巳が紫蘭につかみかかろうとした。けれど、白く冷たい手がそれを制止した。
「ご主人様に危害を加えないで下さい」
 表情のない瞳で達巳を見るのは人形だった。この屋敷にいる人形のうちの一体。
「……違う……明くんは違うの……明くんじゃない……明くんは……」
 紫蘭の瞳は何も映していなかった。
 映しているとしたらただ一人。この場に存在しない少年の姿。
「おい!お前!!わかってるのか?!俺は山野達巳だ!アオキアキラじゃない!!おい!」
 人形を間に挟んだまま達巳は紫蘭に怒鳴り散らしていた。
 けれど、紫蘭の耳に届いているのは達巳の声ではなかった。
「違う!お前じゃない!私は紫蘭なの!!氷魚紫蘭よ!紫蘭って呼んで!お願い!!」
 強く目を閉じ、首を横に振りながら紫蘭が叫んだ。
 けれど、それは達巳に対していった言葉ではなかった。
「いつもの声で紫蘭って呼んでよ!明くん!!」
 幻影の少年の名を呼んだ。けれど、紫蘭にとっては夢でも幻でもない。ここに本当にいるのだ。
「……なんだよ……そんなにアオキアキラに会いたいのかよ……」
 堅く拳を握りしめて達巳は紫蘭を睨み付けた。けれど紫蘭は達巳を見なかった。
「……紫蘭って呼んで……明くん……」
 達巳は間にいた人形をどかすと紫蘭の肩を掴んだ。
「俺が今、アオキアキラになったら俺の話を聞くか?」
 紫蘭の瞳に達巳が映った。けれど、紫蘭にはそれが達巳には見えなかった。
「……明くん」
「……わかった」
 答えを返さない紫蘭の肩から手を離し、達巳は目を閉じ、不思議な響きを持つ声で何かを唱えた。人の声のようでそうでない声。
 唱え終わり目を開けると達巳は紫蘭の肩を掴んで微笑んだ。
「紫蘭。わかる?僕だよ」
「……明くん」
 紫蘭が小さく微笑むと達巳―明は頷いた。
「そうだよ。僕の紫蘭」
「明くん……」
 そう呟くと紫蘭はやっと達巳を見た。
「……明くん?」
 目の前の人物はよく似ているが明ではなかった。
「明くんじゃない……よね?」
 明は少し意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
「そうかもね」
「……そうなの?」
 不安そうに見つめる紫蘭の肩を抱き、明は笑顔を浮かべたまま言った。
「僕であって僕じゃないよ。それが答え」
「え?わかんないよ?明くん?」
 あまりにも顔が近くにあって紫蘭は動揺していたが明はそれをおもしろそうに笑っていた。
「とりあえず、この身体を返すよ。また貸してくれるかもしれないけどね」
「返すって……何を言ってるのかわからないよ!」
 静かに目を閉じた明に必死に声をかけるが返事は返ってこない。
 一瞬、ひょっとしてと言う考えが頭をよぎった。
「明くん!明くん!!明くん!!!」
 必死にその肩を掴み、揺さぶった。
「あー……わかったから揺するな。気持ち悪い……」
 揺さぶられたせいか、顔色が良くないが明は声を発した。
「明くん!良かった!大丈夫なんだね!」
 紫蘭が嬉しそうに笑ったが、その笑顔は次の瞬間には消えた。
「俺は山野達巳だ。青木明にはもう身体を返してもらったから」
「…………どういうこと?」
 さっきまでの笑顔は消え、紫蘭は達巳を睨み付けた。
「さっきまでは笑顔なんて浮かべて可愛かったのに……そんな顔してると可愛くないぞ?」
 達巳が冗談半分に言ったが紫蘭の耳にそれは届いていなかった。
「良いから質問に答えなさい」
「口寄せでしょう?」
 真魚を抱いたまま祐也が呟いた。
「普通はイタコがやるはずですが……男の口寄せは初めて見ましたよ」
 達巳と紫蘭が呆然と祐也を見ていると、祐也はふと気が付いたように微笑んだ。
「挨拶がまだでしたね。俺は深雪祐也と言います。どうぞよろしく山野達巳くん」
「なんで俺の名前を……」
「先程から何度も自分の名前を連呼してましたから」
 達巳が不思議そうにしていたが、祐也の話を聞いてそう言えばそうだと納得していた。
「深雪さん……男の方だったんですね」
 紫蘭が呆然と呟いたがそれは誰の耳にも届かなかった。
「口寄せなんてよく知っていたな」
「そう言うことに興味がありますから」
 達巳の言葉に祐也は笑顔で返した。
「それなら知ってるはずだろう?男のイタコなんて存在しないはずだと」
「えぇ。一般的にイタコは巫女がやる物ですからね」
 二人の会話が一向に見えてこない紫蘭はいぶかしげに眉をひそめた。
「もう少しわかりやすく説明してくれませんか?」
 達巳が口を開きかけると祐也が笑顔を浮かべたまま話した。
「さっき達巳くんがしたのは『口寄せ』と言って死んだ人の霊を自分の身体に降ろして、話をすることなんです。そして、イタコというのはそれをする巫女のことです」
「……まぁ、大体そんな感じだな」
 達巳が横で頷くと紫蘭は祐也に尋ねた。
「男のイタコはいないんですか?それなら彼は何者なのですか?」
「それは本人に聞いた方が良いと思いますよ」
 笑顔で答えた祐也はちらりと達巳を見た。
「……こっちが聞きたいくらいだよ」
 達巳はふいと目をそらし、ぼやいた。
「それより……祐也はなんで人形を抱いてるんだよ?」
 何か言葉を返される前に達巳は話題を逸らした。
 祐也は相変わらず笑顔だった。
「いけませんか?」
「別にそうは言ってないけどな」
 達巳はなんとなくその笑顔が苦手だと感じた。
「祐也さん、真魚さんを直しましょうか?」
 紫蘭が真魚のヒビが入った顔を見ながら言った。
「直せるんですか?」
 紫蘭は見ていなかったが祐也の笑顔が明るくなった。それを見た達巳はこの笑顔なら苦手にはならないのにと思った。
「道具さえあれば。もっともその道具が今は手元になくて直せないんだけど……」
「買ってきます!何が必要なんですか?」
 紫蘭から道具の名前を聞くと祐也は笑顔で屋敷を飛び出した。
 屋敷に二人だけ残された。正確にはそれと数体の人形。
 真魚の修理をすると部屋にいた人形に紫蘭が言った。すると人形は真魚を抱えてどこかに行ってしまった。
「……あの人どこに行ったんだ?」
「地下室。人形の修理をするのに必要な道具は全部そこにあるの」
 部屋に二人きりにされた達巳と紫蘭は目を合わさずどこか遠くを見ていた。
「……ここ、何人ぐらい人がいるんだ?」
「人はいないわよ」
 それを聞いた達巳は驚いて紫蘭を見た。紫蘭は相変わらず窓からどこか遠くを見ていた。
「人がいないって……それならさっきの人とかはなんなんだよ?」
「人形。アンドロイドって言った方がわかりやすいかしら?」
 紫蘭は決して達巳の方を見ようとしなかった。
「それなら……お前はここに一人で……」
 そこまで言って気付いた。紫蘭はここには人間が一人もいないと言った。それはつまり……
「……お前はなんなんだ?」
 紫蘭自身も人間ではないと言うことだと気付いた。
「私は紫蘭よ」
 そこまで言って紫蘭は初めて達巳を見た。そして感情のない瞳で微笑んだ。
「少なくとも人間ではないわ」
 返す言葉がなかった。達巳はただ呆然と紫蘭を見ていた。次の言葉を待っていた。
「だって、一度死んで、生き返されたんだもの」
 達巳の表情が恐怖に変わっていく。
「恐いの?当然よね。私は化け物なんだから」
 その声を合図に達巳は立ち上がった。
「早く逃げなさい。でないと追う楽しみがないからね」
 達巳が部屋を飛び出すと紫蘭はまた窓の方に瞳を向けた。
 その瞳は何も見ていなかった。ただ、空を映しているだけだった。
「やっぱり逃げるのね。それが普通の反応だもの」
 逃げない方がおかしいのはわかっている。逃げられるのを覚悟して話した。
 それでも紫蘭は涙を流していた。
「……明くんに似すぎてるのよ……達巳くん……」
 明に逃げられたような感覚に襲われるから泣いているのだと自分に言い聞かせた。

 朝が近づいてきている者がいる。
 朝に近づいていく者がいる。
 それなのに、朝を遠ざける者がいる。
 自覚のないまま、朝を遠ざける。

「……さようなら………」
 どうして朝は平等に近づかないのだろう?
 その別れの言葉は誰のもの?

 

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第五章