憎い。アイツが憎い。
 憎いアイツの言いなりになっているのに?
 それは言いなりじゃない。復讐のためだ。

THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜私は貴方の幸せを望む〜

 敵を討ちたい。ただそれだけ。

「…………私は……」
 紫蘭が口を開きかけたときだった。勢いよく扉が開いた。
「紫蘭さん、俺の願いを一つ聞いてくれませんか?」
 祐也が真魚を抱きかかえて紫蘭に近づいてきた。
 聞いてくれませんかと言っているが、逆らえさせない雰囲気を放っていた。
「……私に出来ることなら」
 紫蘭がそう言うと祐也は笑顔を浮かべた。優しそうな笑顔だが、優しくはなかった。
「貴方がこの館の主人なら出来ることです」
 紫蘭の目の前まで来ると祐也は立ち止まり、紫蘭を見下ろすようになっていた。
「真魚を人間にして下さい」
「……無理よ」
 理由を述べようとした。けれど、祐也はそれを聞こうとしなかった。
「無理だ?ふざけるな!さっさと真魚を人間にしろ!」
「出来ないわよ。そんなこと……私は神じゃないんだから」
「人形の館は人形に命を与える館なんだろう?出来ないわけないだろう?!」
「落ち着けよ祐也!」
 祐也がわめき散らす。それを見ていた達巳は止めにはいるが、祐也の耳にはほとんど聞こえていない。
「普通に考えて、人形に命を与えるなんて出きるわけないじゃない」
「お前は普通じゃないだろう!!」
 紫蘭の言った言葉に対して間髪入れずに祐也が言った。それは一番知られたくないことだった。
「……え……」
「二百年近く前から生きてるのに普通だと思ってるのか?」
 祐也はだいぶ落ち着いたらしい。だが、嫌な笑いを浮かべていた。
「……何で知ってるの?」
 紫蘭の声が震えている。
「俺の家はこの辺一帯の土地の所有者なんだよ。この館に最後に住んでいた奴のデータだってきちんと残ってるんだ」
 けれど、祐也は紫蘭の様子の変化にも気付かずに続けた。
「同姓同名で、身体的特徴が同じ。こんな偶然あり得ないだろう?」
 祐也の話が終わると紫蘭はうつむいていた顔を上げた。苦しそうな顔だった。
「……でも……それでも、私には人形を人間にする力はないのよ」
 まるで紫蘭の話に耳を傾けなかった。
「黙れ化け物!!お前は大人しく真魚を人間にすれば良いんだよ!」
――バケモノ……
「……そう……化け物ね……私は化け物よ……」
 紫蘭はうつむくと、自嘲した。それはとても子供と思えない不気味さがあった。
「分かり切ったこと言ってる暇があるならさっさと真魚を人間にしろ!」
「貴方はどうして真魚さんを人間にしたいの?」
 顔を上げた紫蘭は子供の顔をしていなかった。それどころか、人間らしい感情がなかった。人形のようだった。
「真魚に笑って欲しいから、真魚と話がしたいからだよ!」
 祐也の答えに紫蘭は笑った。人を小馬鹿にしたような笑いだ。
「あら……貴方には見えないの?真魚さんの笑顔が……真魚さんの声も」
「お前には見えるっていうのかよ!」
 紫蘭の態度に祐也は腹を立てた。いや、そんな綺麗な物じゃない。キレた、だ。
 けれど、そんな祐也を気にもとめずに紫蘭は微笑んだ。
「真魚さんと話がしたいのなら、その願いを叶えてあげるわ」
「最初から大人しくそうすれば良いんだよ!」
 紫蘭の言葉に祐也は満足したように笑った。それに対し、達巳が不安そうに紫蘭に声をかけた。
「紫蘭?本当にそんなこと出来るのかよ?」
「心配しないで。化け物に任せなさい」
 自ら化け物と名乗る者は微笑んだ。背筋が凍るような冷たい笑顔。
「さぁ、真魚さんのところへ行きましょう」
 冷たい笑顔を浮かべたまま紫蘭は祐也を促し、消えていった。
「……人間に出来ないんじゃないのかよ」
 部屋に残された達巳は小さく呟いた。
 人形を人間にすることは出来ないと紫蘭は言った。
 それなのに紫蘭は祐也に真魚と話をさせて上げると言った。
「……矛盾してる……」
 つじつまが合わない。それとも、人形を人間にする以外に人形と話をする方法があるのだろうか?
「…………紫蘭には人形の言葉がわかるのか?」
 そう取れることを言っていた。
 もしそれが事実なら、人形と話をする方法というのは……
「嘘だろう?」
 嘘だと信じたかった。
 事実であって欲しくなかった。
 それでも、考えれば考えるほど自分の考えが正しいような気がした。
「……紫蘭!!!」
 思わず声を張り上げた。駆けだした。
 地下室の前にはメイドが一人。
 そのメイドに掴みかかると達巳は吠えた。
「そこどけろ!!紫蘭に会わせろ!!」
 メイドはぴくりとも、動かない。
「どいてくれよ!早くしないと紫蘭が……」
 メイドに掴みかかったまま達巳はその場にうなだれた。
「私が何?」
 地下室の扉が開いた。
 そこに、紫蘭が不思議そうに達巳を見下ろして立っていた。
「……紫蘭?」
「だから何?」
 達巳は紫蘭に掴みかかると慌てて叫んだ。
「祐也はどうしたんだ?祐也に何したんだ?なぁ!答えろよ紫蘭!」
「……何って……見ての通りよ?」
 そう言って紫蘭は達巳を部屋に入れた。
 部屋は薄暗く、映画にでも出てきそうな何かの実験室のようだった。実際、よくわからない機械の類が所狭しと並んでいる。
「……ここ……は?」
 周りを見回しながら達巳が呟くと紫蘭は小さく微笑んだ。
「この館が人形の館と呼ばれる理由……かしらね?」
「……理由?」
 達巳が聞き返すと紫蘭は振り返らずに答えた。
「後で話すわ。それよりも今は深雪くんが心配なんでしょ?」
 少し前を歩いていた紫蘭はふいに後ろを振り返った。
 そして微笑んだ。
「さぁ、深雪くんとご対面よ」
 紫蘭の背後に何かがあった。
 大きな機械だ。
 なんの機械かは達巳には理解できなかった。
 それでも、驚くには十分だった。
「………………祐也?」
 その機械の中に祐也がいた。
 そして、真魚も機械の中にいた。
「……祐也に……何したんだ?」
 達巳が口を開くと、紫蘭は機械を見つめながら答えた。
「眠っているのよ。それ以外は何もしてないから安心して」
「……こんな機械に入っていて、眠っているだけ?」
「そうよ。そして、夢を見ているの」
 怪訝そうに達巳が眉をしかめた。
「夢?」
「そう、夢。真魚さんの意識を深雪くんの夢の中に入れるの」
「だって……人形だろう?人形に意識なんて……」
 それはおかしいことだ。人形に意識など存在するはずがない。それなのに紫蘭は人形の意識を夢の中に入れるという。おかしい。
「人形でもね、持ち主の思い入れによっては意識を持つようになるの」
 それはつまり、真魚の持ち主は真魚に対して相当強い思い入れがあったと言うこと。
「真魚さんの意識を深雪くんの夢に入れ、話をさせてあげるのよ」
 紫蘭はゆっくりと振り返り、達巳の瞳を見つめた。
「私にはそれ以外の考えが思いつかなかったの」

「……初めまして。祐也さん」
 祐也は夢の中で初めて真魚の声を聞いた。
「初めましてじゃないよ。俺は君のことを知っているよ」
 真魚の声は思った通りの可愛い声だった。鈴の鳴るような声って言うのはこの事を言うのだと思った。
「そうですね……祐也さんは私に話しかけてくれたのですから」
 真魚はそう言って笑った。
――あぁ、そうだ。俺はこれを見たかったんだ。
「可愛いよ……真魚」
 祐也がそう言うと真魚は少し恥ずかしそうに俯き、そして上目遣いで祐也を見た。
「……ありがとうございます……」
 とても人形とは思えない、人間らしい仕草だった。
「真魚は……どうして人形なんだ?」
 口をついて出た言葉。
 誰も答えることの出来ない疑問。
「……それも……運命なんですよ。きっと」
 運命という言葉で終わらすことが出来る。
 けれど、それで誰が納得できるという?
「……運命って言葉……嫌いだな」
 祐也の小さな呟きは真魚の耳に届いていた。
 真魚は小さく首を傾げて「どうしてです?」と聞き返した。
「……あんまり人には話したくないけど……真魚になら話しても良いかな」
 祐也はへへと声を出して笑った。
「俺の親……バカみたいにでかい会社の社長なんだよね」
 真魚が静かに話を聞いている。
「母さんは病弱で、でもアイツは仕事が忙しくて俺にも母さんにもかまっちゃくれなかった。母さんが倒れたときだってアイツは仕事だった。母さんが死んだときだって……」
 アイツ……誰と聞かなくても真魚にはわかった。父のことを言っているんだと。
「母さんが死んだとき、アイツはなんて言ったと思う?これも運命だ。諦めろ……自分の責任を認めようとしなかったんだ」
 俯いたまま祐也は笑った。
「それ以来、俺はアイツの仕事を手伝わされるようになった。母さんを死なせた原因を。いつかそれを全て継がされるんだ。冗談じゃないよな」
 それを見た真魚はそっと祐也の肩に手を乗せた。
「……無理に笑わないで良いんですよ?」
 祐也の頭の中にある言葉がよぎった。
『無理に笑っちゃダメ』
 誰の言葉か、考えなくてもわかる。
「……かー……さん……」
 幼いときに言われた言葉。
「……笑いたくないのに笑わないで下さい」
――どうして、母さんと同じことを言ってくれるんだろう?
「……俺さ……あの会社を潰そうと思ってるんだ……」
 俯いたまま祐也は小さな声で呟いた。
「あの会社が裏でやっていること……全部バラして……アイツに地獄を見せてやりたいんだ……」
「……どうしてそんなことをするんですか?」
 真っ直ぐに祐也の瞳を見つめて、真魚が言った。
 真魚の瞳は、深い青だった。
「母さんの敵を討ちたいから」
 深い青に飲み込まれそうになって、祐也は視線をそらした。
 それでも真魚の瞳の色は変わらない。
「……そんなことしても……お母様は喜びませんよ」
 祐也は思わず真魚の瞳を見つめた。
――どうして母さんの気持ちが分かる?どうして母さんが喜ばないと言える?
「親が望むことは……いつだって、子供の幸せなんですよ。自分のために敵をとられても嬉しくありません」
 祐也はもう、深い青に吸い込まれていた。
「……どうしてそう言いきれるんだ?」

「……紫蘭……」
「なぁに?」
 達巳の瞳を見つめたまま紫蘭が微笑んだ。
「俺のことどう思ってる?」
「……しつこいよ?」
 答えることの出来ない質問を笑ってやり過ごそうと思った。
 けれど、それは許されないこと。
「まだ、返事は聞いてない」

 近づき、遠ざかり、また近づく。
 どうして朝はこんなに気まぐれなんだろう?
 世界がおかしいせい?
 どうして世界はおかしいの?

「……私の……私のご主人様が……そうだったんです」
 世界がおかしいのは、世界が壊れそうなのは、誰のせい?
 その瞳は、深い悲しみの色をしていた。

 

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第七章