伝えたかった。
 泣かないでと。
 私がいるから悲しまないでと。

THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜もう少しだけ夢を見ていたいから〜

 この世には、望んで叶う願いと叶わない願いの二つがあるんです。

「……私の……私のご主人様が……そうだったんです」
 そう呟くと、真魚は小さく微笑んだ。
「お話しいただいたお礼に私もご主人様の話をさせていただきます」
 真魚の微笑みにつられて祐也も微笑んだが、微笑むべきではなかったと気付くのはもう少し後の話だった。
「私のご主人様の名前は……五月真美と言います。真美さんがどうして私を買ったのか、それは私が似ていたからだそうです……」
 悲しみの瞳が揺れる。

「おかえり……真魚」
 真魚を買ってきた真美の瞳に光がなかった。
 どことなく、狂ったような感じをさせる笑いを浮かべていた。
「あのお店で真魚を見たときびっくりしたわ……でもやっぱりって思ったの。やっぱり真魚は生きていたんだって」
 真美はそれから人形に向かっていろいろ話しかけた。
 端から見れば不気味な光景だった。狂っていた。
 真美が真魚を抱きしめ、笑った。
「今度こそ、お姉ちゃんが守ってあげるからね」
 まだ意志のなかった真魚はその言葉の意味を考えもしなかった。
 けれど、今ならもうその言葉の意味が分かる。
「あなた……どうしましょう?真美がおかしくなっていくの」
 ある日、真美の母親が真魚の前に立ち、父親に話しかけていた。
「……あの子、こんな……真魚にそっくりな人形を買って、真魚と名付けて毎日話しかけているのよ?」
 父親は何も言わずに頷く。
「真魚が死んだことを自分のせいだと思って……だからこんなことに……」
 顔を手で覆い、母は泣き出していた。
 父は何も言わずに母の肩を抱いた。
「……大切な妹があんな風に死ねば、誰だって少しはおかしくなるさ」
 その言葉を聞いた途端、母は顔を上げじっと父の顔を凝視した。
「そこから救ってやるのが親の仕事だ」
 父がそう言うと母はわずかに微笑み頷いた。
 その母の目尻にたまっていた水が涙だと真魚が知るのはもっと後だった。
「大好きだよ、真魚」
 真美の可愛がり方は異様なほどだった。本当に自分の妹だと思いこんでいた。
 だから、真魚に意志が宿った。
 意志が宿り、真美を救いたいと思った。

「私は、真美さんの妹の真魚さんに似ていたんです。でも、その真魚さんは私が作られる少し前に自殺をしたそうです」
「自殺?」
 祐也が驚いたような声をあげた。真魚は小さく頷いた。
「真魚さんはいじめられていたそうです。それが苦しくて自殺をしたそうです」
 どうしていじめられていたかは人形の真魚も知らない。そして、真美も父も母も知らない。
 誰も真魚がいじめられていたことに気付かなかったのだ。
「私があまりにも真魚さんに似ていたので真美さんは妹が生き返ったと錯覚したそうです」
 大切な人を亡くした現実に耐えられず、耐えることが出来ずに真美は逃げた。現実から逃げた。
「真美さんが私を人間のように扱ってくれるのを嬉しく思いました。それ以上を望むつもりはありません」
 人形は、人間のように強欲な物ではない。
 元々、意志という物がないのだから、欲なんて存在するはずがない。
「けれど、意志を持てるようになった私は真美さんに恩返しをしたかったんです」
 欲はない。けれど望みならある。
「壊れかけていた真美さんを救いたかったんです」
 その望みを叶える方法を探した。探して出た答えは一つのことだった。
「真美さんを救うために動けるようになりたかったんです」
 生きているはずのない人形が人間になることを望むのは、魚が空を飛びたいと願うのと同じこと。無茶だった。
 叶うはずのない願い。
「でも、そんな願い叶うはずがないんです。ご主人様を助けることは出来ないんです」
 真魚が小さく笑った。
 その笑いは悲しそうだった。
 寂しそうだった。
 辛そうだった。
「…………真魚……」
 やっとの思いで祐也は声をかけた。
 そして、ここに来る前に紫蘭が言った言葉の意味が分かった。
「紫蘭から伝言だよ……」
 真魚は相変わらず笑顔を浮かべたままだった。
 祐也はその笑顔から目をそらして伝言を伝えた。
「『ご主人様は入院しました。もう壊れる心配はありませんから安心して下さい』だって」
 言い終わると祐也はちらりと真魚を見た。
 すると真魚は泣きそうな顔で、嬉しそうに笑っていた。
「……よかった……ご主人様は助かるんだ……」
 これは喜ぶべきことだ。
 なのに、何故真魚は泣きそうなのだろうと祐也は不思議だった。
 笑顔を浮かべたまま真魚は小さく呟いた。
「私……やっぱり、役立たずなんですね……私がいなくてもご主人様は助かるんですね」
 嬉しいことなのに。
 涙が溢れそうなのは、自分が用なしだとわかったから。
「……やっぱり……出来損ないなんですね……」
 遠い記憶がわずかに蘇る。
『おい、こんなでかい人形作ってどうするんだよ?』
『人形のくせに人間っぽすぎて不気味なんだよ』
『マネキンにしては高すぎるんだよ』
『こんな売れない物どうすれっていうんだ?』
『場所取るだけでじゃまくさい人形だな』
『こんなの作るんじゃなかった!』
『出来損ないの人形なんて作るな!!』
「……やっと役に立てると思ったのになぁ……」
 夢の中なのに涙が流れない。
 それは人形だから?それとも……
「真魚?」
 祐也の声が届いたのか、真魚は祐也に微笑みかけた。
「もうそろそろ時間ですよ?」
 なんの時間なのか祐也はわからなかった。
「時間って……なんの?」
 真魚は変わらずに笑顔を浮かべていた。
「目覚める時間です」
 真魚が遠ざかっていく。
 世界に霧がかかってくる。
 その時になってようやく祐也にも理解できた。
 ここは夢の世界。目が覚めれば真魚と話をすることは出来ない。
「真魚!また、またここで話そう!また会ってくれるよな?!」
 遠ざかる真魚に近づこうと駆け出すが、遠ざかる一方で全く近づかない。
 それでも、真魚は笑っていた。
「もう、会えないんです……」
 走っていた足が不意に止まった。
「……どうして?またこの機械を使えば会えるだろう?」
 真魚が小さく首を横に振るのが見える。
 笑顔が少し暗くなってきたような気がした。
「本当はね、人形なんかが意志を持っちゃいけないんです。だから、私の意志はもう消します。それが一番に良いんです」
 真魚にとってそれが一番幸せだと思った。
 意志を持っていても、人間に声は届かない。人間にはなれない。所詮魚は魚のままだ。
 それなら、空を夢見ることを止めて、また泳ぎ出す方が良いんだ。
 それが、真魚の考えた結果だった。
「祐也さん、短い間でしたがありがとうございました。そして、さようなら……」
 真魚は微笑んだまま遠ざかっていく。
 祐也は苦しくなった。
 その笑顔を見るのが苦しかった。
「笑うなよ真魚!泣いてくれ!!」
 一瞬、驚いたような表情を浮かべたが、それでも真魚は微笑んでいた。
「……祐也さんは本当に優しい方ですね……」
「……違う……」
 祐也はそんな言葉を求めていなかった。
 優しさで言ったつもりじゃなかった。
 あの笑顔を見るのが辛いから、泣くのを我慢するくらいなら泣いて欲しかったから。
 言葉はいらないなから泣いて欲しかった。
 優しさで言った言葉じゃなかった。祐也の望みだった。
「……お願いだ……」
 強くなろうと決めていた。
 母の敵を討つために強くなろうと決めていた。
 あの日以来泣いたことはなかった。
 けれど、祐也は涙を流していた。
 母を亡くしたときと同じように泣いていた。
『母さん!お願いだから死なないで!!』
 あの日も同じことを言っていた。
「お願いだから、消えないでくれ!!」
 それでも、真魚は首を横に振った。
「叶わない夢は捨てなきゃいけないんです……だから私は……」
 叶わないとわかっている夢を見続けるのは辛いことだから。
 役立たずだとわかっているのにこの世に存在するのは苦しいから。
「俺が真魚の夢を叶えるから!!」
 真魚が目を見開いた。
 祐也は涙を浮かべたまま必死に叫び続けた。
「真魚の夢のためならなんでもするから!!だから消えないでくれ!!」
 遠ざかっていく中、真魚はじっと祐也を見つめていた。
「……どうして?」
 どうして、他人の夢を叶えてくれると言ってくれるのだろう?と思った。
 不思議でたまらなかった。
「……どうしてって……」
 少し、答えづらそうに下を俯いたがすぐに顔を上げて祐也は叫んだ。
「真魚が大切だからだよ!真魚が必要なんだ!!真魚が……」
 そこまで言って、真魚が何か言おうとしているのに気付いた。
「………………」
 真魚の口が動いている。なのに何も聞こえない。
 それは、夢がもう終わるという証拠。
「くそっ!」
 まだ、返事を聞いてない。
 まだ、一番伝えたい言葉を伝えてない。
 時間が足りない。
「醒めるなよ……俺の夢だろう?」
 思いっきり息を吸い込んで、祐也は声の限り叫んだ。
「まだ醒めないでくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!」

「まだ、返事は聞いてない」
 達巳の瞳から目をそらし、紫蘭は呟いた。
「……だって……」
 紫蘭の呟きとほぼ同時に機械が声を上げた。
 その音は祐也の夢が終わったという知らせだった。
「深雪くんが起きるわよ」
 そう言うと紫蘭はじっと祐也を見つめた。
 ゆっくりと瞼を開けた。
「おはよう、深雪くん。気分はどう?」
 紫蘭はまだ頭が働きだしていない祐也に声をかけ、機械をいじっていた。
 すると、祐也を取り込んでいた機械は音を立てて前を開けた。
 ボーっとしながら祐也は機械から降りた。そして、真魚を見つめていた。
 紫蘭は手早く真魚の方の機械も開けた。
 すると、祐也は機械から真魚を出して紫蘭の方を向いた。
「……真魚の意志は……消えた」
 祐也は周りの表情も見ずに真魚だけを見つめて話を続けた。

 そしてまた、夜に逆戻り。
 それとも、そう感じているだけ?
 朝が近づき遠ざかるのはただの気のせいで、本当は着実に近づいてきている?
 世界はおかしくなんかないの?

「真魚は……最期まで笑っていたよ……」
 まだ、世界は壊れていないの?
 真魚は幸せそうな表情を浮かべていた。

 

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第八章