もう誰も傷つけたくなかった。
 人が傷つく様を見るのは辛いから。
 だから、私は嘘をつきました。

THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜お願いだから私を見て下さい〜

 私は、許されない嘘をつきました。

「真魚は……最期まで笑っていたよ……」
 紫蘭はそっと手を伸ばし、真魚の髪に触れた。そして微笑んだ。
「真魚さんの意志はまだ消えてないわよ」
「え……」
 祐也は驚いたように紫蘭を見た。
 それを見た紫蘭は微笑みを浮かべたまま言った。
「真魚さんが言ってるわよ『最後、何を言おうとしてたんですか?』って」
 最後、時間が足りなくて伝えられなかった一番伝えたかった言葉。
 祐也は少し顔を赤くしていたが、地下室は暗く誰も気付かなかった。
 真魚を見つめて祐也は微笑んだ。優しげに。
「今度、夢であったときに話すよ」
 どうして真魚の意志が消えていないのか祐也は知らない。けれど、どうでも良いような気がした。
 真魚とまた話が出来るなら他はどうでも良いと思った。
「深雪くんが望むなら、今すぐでも会わせてあげるけど?」
 そう言ってから紫蘭は少しだけ後悔した。
 その後に何が起きるかが想像できたからだ。
「すぐに出来るのか?」
 祐也が嬉しそうに聞いてきた。そんな様子を見て紫蘭は『やっぱり出来ない』とは言えなかった。
「……出来るわ」
 答えながらなんてバカなんだろうと後悔していた。
 それでも紫蘭は機械に向かった。
「さっきと同じように中に入って。真魚さんも入れてね」
 二人が機械に入ったのを確認すると紫蘭はキーを叩き始めた。
 カタカタと軽快な音を立てて命令が入力されていく。手慣れた手つきだ。
 機械が閉じる。祐也の瞼が落ちていく。
 しばらくすると、キーを叩く音が止んだ。
「……終わったのか?」
 紫蘭の背後から達巳の声がした。
 振り向かずに紫蘭は小さく頷いた。
 このままだと、自分の予想していた事態になるとわかっていた。
「ここが人形の館と呼ばれる理由はね」
 達巳が口を開く前に紫蘭は話を始めた。
「この地下室のせいなのよ。この地下室で私がある研究をしていたせい」
「おい、紫蘭?」
 達巳が困ったような声を出した。
 紫蘭はそれに安心しながら必死に話し続けた。
「小さい頃からここで人形の研究をしていたのよ。人形の研究って言っても人形を作っていたわけじゃないわ」
 紫蘭は話すのに必死だった。
 だから、気付かなかった。
「人形を人間にする研究……無理だったんだけどね。その過程で出来たのがあの人形達……」
「紫蘭!」
 いきなり肩を掴まれ、紫蘭は後ろを向かされた。
 後ろを向くと、達巳が真剣な瞳で紫蘭を見ていた。
「…………な……に?」
 さっきまでの声とはうって変わって紫蘭は絞り出すような声を出した。
「返事を聞いてない」
 一番恐れていた展開。
 起きて欲しくなかったこと。
 もう犯したくない罪。
「……なんの……こと?」
 瞳をあわせようとしなかった。必死に視線をそらしていた。
「俺のこと、どう思ってるんだ?」
 達巳は真っ直ぐに紫蘭を見つめていた。
「どう思うって聞かれても……そんなの答えられないよ……」
 答えられないんじゃない。それぐらい紫蘭だってわかっている。
「ただ、どう思ってるか言えばいいだけだろう?簡単だろう?」
 答えを聞くまで達巳は紫蘭を解放しようとはしなかった。
 逃げることを許さなかった。
「簡単じゃないの……答えられないの……」
「どうしてだよ?」
 どちらも一歩も譲らない。
 譲れない。
「だって……」
 その理由を紫蘭は正直に答えるわけにはいかなかった。答えてはいけなかった。
 だから、嘘をつく。
「貴方は……明くんに似すぎているんだもの……」
 今、この嘘は一番言ってはいけない嘘だったような気がした。
 それを紫蘭は言ってから気付いた。
 恐る恐る紫蘭は達巳に視線を戻した。
「……なんでだよ……」
 辛そうだった。
 達巳も、紫蘭も辛そうに見つめ合っていた。
「……どうして……誰も俺を見ないんだよ……」
 後悔していた。紫蘭はどうしてこんな嘘をついたのだろうと後悔していた。
 達巳の言葉が痛かった。
「なんで……他の奴を見てるんだよ……」
「…………ぁ……あの……」
 やっとの思いで絞り出した声もほとんど意味をなさなかった。
「黙れ!!!」
 いや、意味をなすどころか逆効果だった。
「慰めるつもりなのか?俺を見てないくせに俺を慰めるつもりなのか?冗談じゃない!!」
 達巳は紫蘭を睨み付けた。
「お前なんか大嫌いだ!!!」
 そう叫ぶと達巳は地下室を飛び出した。
 それを呼び止めることが紫蘭には出来なかった。
「……ごめんなさい……」
 謝っているのに、心のどこかでは安心している。
 これで、もう大切な人を傷つけなくてすむと思ったから。
「……これで……良かったのよ……」
 自分に言い聞かせるように呟いた。けれど、その瞳は涙を浮かべていた。
「だって……明くんと同じ様になって欲しくないから……」

 山野の一族は代々イタコだった。
 昔から、男が生まれることなんてなかった。なのに、ある日男が生まれた。それが達巳だった。
 忌み子だとか、吉凶だとか騒がれたが、達巳が山野歴代稀にみる能力者だとわかるとそれもピタリと止んだ。
――なんだ。みんなわかりやすいんだ
 散々騒がれていた当の本人は至って冷静だった。
 一族のことに興味はなかった。
 自分の持っている能力だってどうでもよかった。
 けれどそう言うわけにもいかなかった。
 一族がその才能を放っておくはずもなく、達巳は仕事をさせられていた。
 死んだ者の魂を自分の身に宿し、依頼者と話をさせる仕事。
 男なのに巫女だなんておかしな話だと達巳は思っていた。それでも無理矢理やらされていた。
 仕事中、自分の身に他人の魂を降ろしているが、意識はきちんとあった。
 依頼者が泣いているのが見えていた。仕事が終わっても依頼者は達巳を通して誰かを見て泣いていた。
 決して達巳を見ていなかった。
 一族の人間だってそうだった。
 山野達巳を見ていなかった。山野家の最高能力者としか見ていなかった。それは、すごく便利な言葉で、『道具』として見ている事実を隠すことが出来た。
「どうして僕を見ないの?」
 一言そう言いたかった。
「僕を見てよ」
 そう言えば楽になれるような気がした。
 けれど、言えるはずがなかった。
 この一言を口にすれば全てが壊れる。
 所詮は忌み子。能力が高いから一目置かれているだけ。忌み子は忌み子なんだ。
 人形の館の側を歩いていたときも、仕事の帰りだった。
 自分を見てくれない人のために仕事をしていた。
 仕事の帰りに聞こえた声は、誰かの叫び声だった。その叫びは助けを求めている声だった。
 その時、嬉しくなった。この声の主を助ければ、自分を見てくれるかもしれない。
 考える間もなく体は動いていた。走っていた。
 そこで会ったのが紫蘭だった。
 けれど、彼女も達巳を見なかった。最初から違う誰かを見ていた。
 それが決定的になったのは少年の霊を身に降ろしたとき。
 少年の名前は『青木明』と言った。
 その少年が彼女にとってどんな存在だったのかはわからない。けれど、大切な存在だったことはわかった。
 そして、その少年に似ているという理由で自分を見てくれなかった。
 それでも、少女を守りたいと思った。あまりに弱く、儚く見えたから、手を差し伸べた。すると彼女はその手を取ってくれた。
 ほんの少しの期待を持った。
「俺のことをどう思ってるんだ?」
 山野達巳を見てくれているのか、それが知りたかった。
 けれど、彼女はやはり見てくれなかった。
「貴方は……明くんに似すぎているんだもの……」
 誰も山野達巳を見てはくれなかった。
 期待を持つだけ無駄だったんだ。期待なんてしない方が幸せなんだ。

――どんなに期待しても誰も俺を見てはくれないんだ

「あー……アホらしい……」
 地下室を飛び出したは良いが、どこに行く気も起きなかった。
 どうする気も起きず、達巳は地下室の前に腰を下ろしていた。
「……俺自身を必要としてくれる奴なんてやっぱり誰もいないんだな」
 先程巻かれた包帯を見つめながら小さく呟いた。
 この包帯さえなければ少しも期待を持たなかったのに。
 そんなことを思ってもどうしようもない。
「ばかだな……俺は……」
 思わず自嘲した。

「だって……明くんと同じ様になって欲しくないから……」
 これで、達巳は明と同じようにはならないだろう。けれど、下手をすればそれ以上に傷つけてしまったのかもしれない。
「……私……本当にダメね……」
 涙を浮かべたまま微笑んだ。その笑顔は自嘲じみていた。
 傷つけたくなくて嘘をついた。
 その嘘で余計に傷つけた。
「やっぱり私は……もっと早くに死んでおくべきだったのね……」
 そうすれば、明を傷つけずにすんだ。達巳を傷つけずにすんだ。
 紫蘭はそっと機械に近づき、見つめた。
「……貴方達二人は……このままの方が幸せよね?夢が醒めない方が幸せよね?」
 祐也も真魚も何も言わなかった。当然だ。眠っているのだから。
「深雪くんの目が覚めるときに……この機械を止めなければ、夢は二度と醒めないから……ずっと二人でいられるから」
 紫蘭は機械からある程度離れるともう一度だけ機械の方を――二人の方を見た。
「さようなら……お幸せに……」

「……ぁ」
「……ぇ」
 地下室の扉を開けると今一番会いたくない人がいた。
「……帰ったんじゃなかったんですか?」
 紫蘭がそう言うと達巳は瞳をそらし小さく呟いた。
「……仕方ないだろ……あの家には帰りたくないんだから……」
 道具としてしか自分を見てくれない家にはもう帰りたくなかった。
 だが、紫蘭は当然そんなことを知らなかった。
「帰りたくないなんて知らないわよ。早くこの家から出ていってくれない?」
 わざと冷たい言葉を返した。そうしなければ、本音がこぼれてしまいそうだったから。弱音を吐いてしまいそうだったから。
 けれど、その言葉では達巳を帰らせることは出来なかった。逆効果だった。
「……んだよ……」
 あまりにも小さな声で紫蘭の耳には届かなかった。いや、届いたが何を言ってるのかははっきりと聞こえなかった。
「笑ったと思ったら泣いて、最後には帰れだと?!お前にとってなんなんだよ!そのアオキアキラは!!わけが分かんないんだよ!」
 もうそれは叫びだった。
 達巳は叫んでいた。
 しばし呆然としたが紫蘭はすぐにハッとして言い返した。達巳とは違って落ち着いて。
「そんなこと、貴方には関係ないでしょ?そんな……死んだ人間のことなんか聞いてどうするの?」
 落ち着いていたが、気持ちはもうぐちゃぐちゃだった。整理が追いつかない。
「……あぁ、そうかよ……」
 さっきまで叫んでいたのに、達巳は不気味なぐらい落ち着いた声を出していた。
 あまりの不気味さに紫蘭はどきっとしたが、すぐにいつもの態度に戻す。
「なに?言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「忘れてないか?俺がイタコだってことを」
 紫蘭の質問に達巳は間髪を入れずに答えた。けれど、質問と答えは合わなかった。
「……なにを言いたいの?」
 紫蘭が眉をひそめていたが、達巳は小さく笑って答えた。
「お前が答えないならアオキアキラ本人に聞くまでだって言ってるんだよ」
「!!」
 イタコは死んだ者の霊と話が出来る。一般的に霊を身体に降ろして他人と会話させるが霊と直に話をすることもできる。
 紫蘭が答えなければ、本人に聞けばいい。それだけだ。だが、霊が話したくないと言えば何も聞けない。この事に紫蘭が気付くか。一か八かだった。
「どうする?自分で話すか、それともアオキアキラに話してもらうか。俺はどっちでも構わないけど?お前の好きなようにしな?」
 達巳は平静を装っていた。紫蘭がさっきまでそうだったように。
 だが、今の紫蘭はそうじゃない。平静を装う余裕なんてなかった。自分で話したくないが、明に話されるのはもっと嫌だった。
「…………卑怯者……」
 睨み付けられると達巳は意地の悪い笑顔を浮かべた。
「なんでだよ?好きな方を選べって言ってるんだぜ?親切だろう?」
 紫蘭はため息を一つ吐き出すと、達巳を真っ直ぐに見た。

 世界がまだ壊れていないのなら、どうして朝が遠ざかったような気がするの?
 どうして夜を長く感じるの?
 何故朝が遠ざかったような気がするの?
 それはどうして?

「わかったわよ。話してあげるわよ。明くんのことを」
 それは、貴方が朝なんて来ないと思っているから?
 挑戦的な笑顔だった。けれど、それが偽りだと誰か気付いてくれるだろうか?

 

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第九章