一つだけ、願いがありました。
叶わないとわかっている願い事。
それでも、願っていました。THE DOLL HOME
―ニンギョウノヤカタ―
〜叶わない願いを叶えてくれると言ったから〜
その願いを見破ってくれたのは貴方でした。
「それ以来、私は年を取らなくなったの。見た目はこんなのでも中身は百を軽く越えてるわ」
紫蘭は話し終わると達巳に背を向けた。それ以上は何も話す気になれなかった。
本当はこの事実さえも胸の内にしまっておきたかった。誰にも話したくなかった。
「さぁ、これを聞いた貴方はどうするの?私に同情でもするの?」
返事は返ってこない。
呆れているのだろうか?つまらない話だと思ったのだろうか?だが、紫蘭はどっちでも良いと思った。
もし、そのどちらかなのなら紫蘭への興味は消えるだろう。そうなれば、もう二度とこの館には近づかないはずだ。それが、一番なんだ。
「……くだらねぇ……」
紫蘭の耳に届いた言葉は望んでいたものだった。
――これで、この人はもう私に近づかない。
それは、喜ぶべきことなのに。なのに、胸が痛かった。
「くだらないでしょ?でも、こんなくだらない過去が私にとっては大切なのよ」
紫蘭は偽りの笑顔を浮かべた。
背を向けているのだから、見えるはずがないのにそれでも、偽りの笑顔を浮かべた。
「……同情はしない」
達巳の言葉は望んでいたものばかりだった。
けれど、胸の痛みは増すばかり。
「別に、同情なんてして欲しくないわ」
強がりじゃない。これは本当の気持ちだ。
なのに、嘘をついているような気持ちになる。
「けど」
達巳は紫蘭の腕を掴むと、ゆっくりと言葉を続けた。
「許せないな」
掴まれた腕を振りほどいて良いのかわからなかった。振りほどいたら、もうそれきり腕を掴んでくれないんじゃないだろうか?
「……何を言ってるの?」
「決まってるだろ」
ふいに、掴まれていた腕を強く引っ張られた。
バランスを崩した紫蘭はそのまま達巳の腕の中に堕ちた。
「紫蘭をこんな目に遭わせた奴ら」
耳元でそっと囁くように言われると、頭の中が真っ白になっていった。
それでも、残っている強がりな心が精一杯の言葉を紡いだ。
「ちょっ……ちょっと!放しなさいよ!」
それを、達巳はまるで耳に届いていないかのように聞き流した。
「でも……少しだけ感謝してる」
紫蘭を抱く腕に力が入った。
「そいつらのおかげで紫蘭に会えたから……」
まともな考えもできないような頭から正常なシグナルが出た。危険信号。
これ以上、達巳の側にいてはいけないと言う信号。
「放して!!」
達巳を突き飛ばすと、紫蘭は乱れた呼吸を整えながら見下ろした。
「……近づかないで……」
これだけ言うのが精一杯だった。それ以上の言葉が出てこなかった。
言葉のかわりに出てきたのは涙だった。
「…………紫蘭?」
達巳がそっと手を伸ばしてきた。
けれど、それに触れることは出来ない。触れたくても触れてはいけない。
「触らないで!!」
紫蘭が叫ぶと、達巳の動きが止まった。
「もう……私に関わらないで……」
涙をこらえることもせず、流れる涙をそのままにして、紫蘭は達巳を見つめていた。
「これ以上……私に関わっても何も無いわ。早く帰りなさい」
精一杯の強がりな言葉。
それとは裏腹に願う心。
「……なんで何も無いって言い切れるんだよ?」
意志の強そうな瞳が紫蘭を見つめていた。
弱い心を見透かされるかもしれないと思いつつも、紫蘭は瞳をそらさなかった。
「長年の経験上、わかるのよ」
「この世に百パーセントとか、絶対って言葉はないんだよ」
達巳は、もう一度紫蘭の腕を掴んだ。紫蘭の考えていたことは現実にはならなかった。
「でも、それでも……」
言葉が出てこなかった。
言葉を知らないわけじゃない。心が、もうこれ以上嘘の言葉を発したくないと言っていた。
「……でも……わたしは…………」
嘘を並べなければ、また傷つける。また、殺してしまう。
それがわかっているのに、本当の言葉を発する勇気はなかった。
「俺は」
達巳が小さな言葉を発した。
「関わるなって言われても、紫蘭に関わるからな」
――ほら、まただ……
紫蘭の頭の中にシグナルが響く。もうダメだと。
「…………ど……して?」
紫蘭の小さな疑問に達巳は笑みを浮かべた。
「紫蘭の側にいたいから」
そんな単純な理由。
単純だけれど、それはとても嬉しい言葉。
「…………」
言葉が出ない。口が動くだけで言葉が出てこない。
達巳が不思議そうに紫蘭の口元に耳を寄せる。
「……ばかじゃないの……」
紫蘭の頭にシグナルが響く。
小さく微笑んだ紫蘭が達巳を見下ろしていた。
「そんな理由で私の側にいるつもりなの?」
でも、もう危険信号なんて気にしない。
「ばかみたい」
それだけ言うと、紫蘭は達巳に背を向けて地下室への扉を開けた。
「お、おい!紫蘭!」
思わず、ぽかんとしてその様子を見ていたが、達巳は慌てて紫蘭の後を追った。
紫蘭はちらりと達巳が追ってきているのを確認すると、達巳に背を向けたまま呟いた。
「でも、いたいって言うならいても良いわよ」
それが達巳の耳に届いたか確認せずに紫蘭は話題を変えた。
「深雪くん達、早く起こさなきゃね」
「は?」
後ろから素っ頓狂な声が聞こえた。
「早く起こさなきゃ、永遠に夢の中から出られなくなるの」
さっきまでは、夢の中にいた方が幸せになれると思っていた。でも、少しだけ、考えが変わった。
「……あの二人には、現実で幸せになって欲しいから」
誰にも聞こえないような小さな呟きだった。
「紫蘭?なんか言ったか?」
「何も言ってないわよ」
紫蘭は機械の前で足を止めると時計を見た。
「うん。ギリギリ間に合ったわね」
すると紫蘭は機械のキーを叩きだした。
静かな館にはキーを叩く音がよく響いた。
「ねぇ……」
キーを叩きながら紫蘭は達巳に声をかけた。
「なんだよ?」
達巳が紫蘭の後ろの方で不思議そうにしていた。
「明くんみたいに死なないでね」
その言葉に達巳は思わず呆れた。
一体、いつまで青木明と重ねてみられるのだろうと考えるとため息が出てくる。
「死なねぇよ」
ため息と共に出た返事は、あまりにも頼りなく聞こえただろう。
それでも、紫蘭にはその言葉だけで十分だった。
――気付くかな?気付いて欲しいな
「……ありがとう……達巳くん」
今、伝えることの出来る感謝の気持ちと一緒にある言葉を発した。
本人の前では決して口にしなかった言葉。
「………………え?」
達巳からの反応はそこで止まった。
どうやら、気付いたようだった。
「ほら、機械が開くわよ」
そう言うと紫蘭は機械から離れて、達巳の隣に立った。
紫蘭は楽しそうに達巳を見上げていた。
「…………紫蘭」
達巳はそう声をかけると、紫蘭の腕を優しく掴んだ。
「あんまり無理するなよ」
「……考えておくわ」
正直に頷くのは、少し悔しくて。だからほんの少しの強がり。
「強がってばかりじゃなくて、少しは頼れよ」
「強がってないわよ。私は強いの」
強がりがばれているのが悔しくて。だから、また強がり。
「じゃぁ、最後に俺から一言」
二人を取り込んでいた機械が開きだした。
「いつか絶対元に戻してやるから」
達巳が真剣な瞳で紫蘭を見つめた。
「……何を?」
その瞳を見上げると、達巳からすぐに返事が返ってきた。
本当はわかっていたんでしょ?
ただ、それを自覚するのが申し訳なかっただけでしょ?
朝を迎えることはあの人に悪いと思っていたからでしょ?
朝を迎えるのに、資格なんていらない。
「紫蘭を人間に」
朝は、誰にでも平等にやってくる。ほら、今日も。
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