序章――日常と夢の境界

 学生全てが夏服に移行した、夏真っ盛り一歩手前。
 物語は、いわゆる名門と言われている、とある高校から始まる。市内一と言われ、県内でも一、二を争うのではないかと言われるほどの難関校だ。
 その高校の一年B組の教室。このクラスには、一人の問題児がいる。
 佐伯勇。
 彼は、この高校には似つかわしくない問題児だった。
 朝、誰よりも早く教室に入ってくるが、一日中自分の席で眠っている。それなのにも関わらず、学年で上位の成績を取ることが出来ているからか、はたまた他の理由があるのか。
 眠っている彼を注意する者は誰一人いなかった。
 春からそんな毎日が続き、それが『日常』となっていたある日。そんな『日常』の中で、たった一つだけ、いつもと違う『非日常』が起こった。
 たった一つの『非日常』が、その『日常』を変えてしまうことになるとは、このときは誰も思っていなかっただろう。
 もっとも、その『日常』が変わってしまったのはごく一部の人間だけだったのだが。

「急なことだが、このクラスに転校生が来ることになった」
 担任の言葉と、入ってきた転校生の姿で、わずかながらクラスが沸いた。
 夏休みに入る少し前。どう考えても、おかしな時期だ。
 わずかに沸いているクラスに、少しも物怖じすることなく、転校生は真っ直ぐ背筋を伸ばして前を見ていた。転校してきたと言うことに、少しの緊張も不安もないように見える。
 黒板に転校生の名前を書き、軽い紹介を終わると、担任はクラスの中を見回した。
 見回してみて、初めて気づいた。
「そうだな、席は……」
 空いている席は、一つしかなかった。
「……あそこで寝ている佐伯の隣の席についてくれるか」
 わずかに沸いていたクラスが、一瞬にして静まり返った。
 担任は静まりかえった理由をわかっているのか、さしてクラスの変化は気にしなかった。
 だが、担任自身もわずかに青い顔をしていた。
 その静寂の中、転校生は少しも動じることなく頷いた。
「はい。わかりました」
 消えてしまいそうな、けれど、はっきりとしたソプラノが、静まり返ったクラスに小さく響いた。
 その日は穏やかな、空の青がどこまでも広がっていた。

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