「今すぐに争いをやめなさい! これ以上の犠牲を出す事は許しません!」
 正門から現れた亜緒は、声を張り上げて、一言そう言った。
 けれど、その言葉が効力を持ったのはほんの一瞬。
 一瞬静まりかえった後、先ほどよりも騒ぎは大きくなった。
 城の外部から来た者は若き姫に罵声を浴びせ、城の内部の者はその罵声に対し声を張り上げた。
 言い争いだったものが、やがて暴力になる。
 そうして、また斬り合い、殺し合いとなり、青空の下で真っ赤な鮮血が飛び散る。
 亜緒にこのことを知らせに来たメイドは、正門のそばでうずくまっていた。どうやら斬られたらしい。
 彼女の他にも大勢の力無い女子供が倒れていた。中にはもう息をしていない者もいた。
 こちら側についたばかりに、命を失ってしまった者たち。
 国外の敵から国を、民を護るための兵であるはずが、同じ国の者と斬り合っている。
 郷を同じとする者同士が、殺し合っている。
 この惨状に、思わず泣きそうになったが、それでも亜緒は気丈に振る舞おうとした。
 それ以外にどうすればいいのかわからなかった。
「争いをやめなさい! 目的は私の命なのだから、刃を向けるのは私一人で十分なはずです!」
 亜緒のその言葉に、近くに倒れていた少女が、振り絞るような声を出した。
「……ひめ、さま……だめ……あなた、を、失、う、わけには……」
 涙を浮かべながら必死にすがりつく少女に、亜緒が手を伸ばそうとしたときだった。
 ひとつの剣が、少女を貫いた。
 そして、少女は血だまりの中に沈んだ。
 亜緒の手は、少女に触れることなく、止まっていた。
 倒れた少女の後ろには男が一人立っていた。
 何人もの返り血を浴びて笑っている男が。
「よくわかってるじゃねぇか。姫さんよぉ……」
 男は下卑た笑いを浮かべながら、亜緒に近づいてくる。
「アンタさえ死ねば、全部丸く収まるんだ」
 先ほど亜緒にすがりついた少女を、先ほど自分が殺した少女を、まるで物のように一蹴した。
 蹴られた少女は軽く弾んだ。
 それは、あまりにも……
「……ぁ? なんだ、怯えてんのか? さっきまでの勢いはどこ行ったんだ?」
 目の前でがたがたと震えている亜緒を見て、男は笑った。
 姫とは名ばかり。所詮は小娘。こんなものだと笑った。
 笑いながら、大きく剣を振り上げた。
「おおぞらぁー!」
 剣が振り下ろされるよりも先に声が響いた。
 勇が、やっと正門までたどり着いたのだった。
 けれど、亜緒の元にたどり着くにはまだ距離がありすぎる。剣が振り下ろされる前に、亜緒を助けるのはどう考えても無理のある距離だった。
 例え間に合わないと思っても、それでも勇は駆けだした。駆け出さずにはいられなかった。
 けれど、その様を嘲るように男は笑った。
「じゃぁな、姫さん!」
 声を上げて笑いながら、男は剣を振り下ろした。
 誰もが間に合わないと思ったときに、それは起きた。
 男の汚い笑い声が引き金になったのだろうか。
「いやあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 絹を裂くような叫び声。
 涙を浮かべている、怯えたような瞳。
 そして、青白い光を放つ胸元。
 勇はあのときの事を思い出した。記憶にまだ新しい、時空の狭間での出来事を。
 この光は、あのときの刺すような光と同じだった。
 目を開けている事が出来ない光。
 耐えられず、勇は目を閉じた。
 わずか一瞬のその光で、状況は全て変わってしまった。
 以前のように場所が変わってはいなかった。そこはやはりブレスタローネの城の中だった。
 けれど、目を開けた勇の前に広がる光景は悲惨だった。
 亜緒を中心として、辺り一面が焼け野が原になっていた。
 その場にいた人間は、とても生きているようには見えなかった。
 まともに原形をとどめている者はほとんどいない。かろうじて原形をとどめていても、血の海に横たわってぴくりとも動かない。
 悲惨としか言いようがない光景。
 空の青さと、地上の赤が、はっきりと目に焼き付いた。
「……なんだよ……これ」
 かろうじて絞り出せた言葉は、声としてきちんと出たのかもわからない。
 勇は唯一人呆然と立ちつくすしかなかった。
 生存者を捜す事も出来なかった。
 あまりにも突然すぎて、わけがわからなかった。
「佐伯、様?」
 背後からの声でやっと我に返った。
 そうだった。勇は亜緒を死なせない為にここまで来たのだ。
 いつの間にか隣に立っていたガディスに、勇は一言「待っててください」とだけ言って駆けだした。
 どれだけ目をそらしたいような惨状だとしても、その中心に死なせたくないと思った少女がいる。
 何が起きたのかわからないけれど、彼女が無事なのかもわからないけれど、それでも彼女の元に行かなければいけないと思った。
 焼け野が原の中心は、更に酷かった。
 そこだけ、クレーターのように、隕石でも落ちたかのようになっていた。
 人だったのか、物だったのか、それさえもわからないような消し炭が文字通り転がっていた。
 とても、この世の光景とは思えなかった。
 その中心に、無傷の状態で亜緒が横たわっていた。
「大空! 大丈夫か?」
 駆け寄って名前を呼ぶが、返事は返ってこない。
 気を失っているだけだろうか。
 おそるおそる、その頬にそっと触れてみたが、温かかった。
「よかった、生きてる……」
 思わず笑みがこぼれそうになる。けれど、そこは耐えて、ガディスに声をかける。
 これだけ人が死んでいるのに、笑うなんて不謹慎すぎる。
「ガディスさん、大空は気を失ってるだけみたいです! どこに運びますか?」

 ガディスに言われて亜緒を運んだ部屋の第一印象は『簡素』だった。
 勇は亜緒の自室だと聞いて、勇に与えてくれた部屋よりも豪勢なものだと思っていたが、そうではないらしい。
 とても『姫』の部屋とは思えないほど簡素だった。どちらかというと、普通の年頃の女の子の部屋という感じがした。
「そう言えば、ガディスさん。怪我はどうしたんですか?」
 年頃の少女の部屋に入ったことがないからか、なんとなく落ち着かなかった。
 落ち着かず、必死に話題を探していた勇は、ガディスがもうほとんど無傷の状態でいることに気づいた。足下がおぼつかないほど傷だらけだったのに。
 ガディスは言われてからやっと思い出したかのように、自分の身体を見下ろした。
「これでも巫女ですので、あの程度の怪我なら自分で治すこともできるんです」
 笑みを浮かべて言うガディスに、あまり疑問を覚えなかった。
 おそらく、ゲームなどでいうところの治癒魔法のようなものが使えるのだろうと考えた。
 一日でこれだけあり得ない事を経験すれば、それくらいは簡単に予想が出来るようにもなる。
「……どうやら、やはり一度に力を解放しすぎて気を失っただけのようですね」
 勇が考え事をしている間にも、ガディスは亜緒の様子をうかがっていた。
 心配しなくともすぐに目覚めるだろうとガディスは微笑んだ。
 けれど、そんな笑顔で済まされるようなことではないはずだ。あれだけの人が死んだのに。
「ガディスさん、あれはどういうことなんですか?」
 あれがどれを指すのか、言わなくとも通じるだろう。
 現に、勇の言葉で彼女の笑顔は消えた。
 重い空気だけがその場に流れていた。
「……それについては、まず先王のことからお話しする必要があります」
 目を伏せたまま、ガディスはゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。
 話は一年ほどさかのぼる。
 それは、先王がまだ生きていた頃の話。
 その頃は、この国もまだ平和だった。
 そして……
「その頃は、姫様も、まだ、『姫』ではなかったんです」
「……え?」
 その言葉の意味を理解するよりも、意味を尋ねるよりも先に、ガディスは物語を続けた。
 先王には、世継ぎがいなかったらしい。
 妃も、兄弟も、何もいなかった。いるのは『王族』と呼ばれる遠い血縁者たちのみ。
 誰もが思っただろう。今の王の次は、王族の誰かが王位を継ぐのだと。
 けれど、この国は、ブレスタローネは、女神の創りし国。
 すべては、女神の意志で決まる。
 王に世継ぎがいなければ、女神が世継ぎを決める。
 誰もが崇めているが、誰も姿を知らない女神が、全てを決める。
 先王が亡くなったとき、それは起こった。
 先王の胸元から、王位を持つ者の証として刻まれている紋様が消えた。
 王族たちは気が気でなかった。
 自分たちの中の誰かが、その紋様を受け継ぐのだと思っていたのにも関わらず、誰の胸元にも紋様はなかった。
 女神はこの国から王という存在を消すつもりなのかという話まで出てきた。
 それから、数日もせずに一人の少女が現れた。
 少女は、城とは何の関わりも持たないような城下町に住む娘だった。
「……ですが、少女の胸元にはあの紋様が刻まれていたのです」
 表情を少しも表に出さず、淡々と話していたガディスが一瞬だけ、つらそうに顔をしかめた。
 けれど、それは一瞬で、次の瞬間にはもう表情は消え、また淡々と話を続けていた。
 城下町の娘が王位を継いだとあって、国中はその噂で持ちきりになった。
 先王が死んで沈んでいた国が、一気に明るくなったようだった。
 そこに、また暗い事件が一つ起きてしまった。
 王位を継いだ少女の家族が全員殺された。
 少女の家は燃やされ、そのとき偶然家にいなかった少女は助かったが、家族は全員……
 証拠は何一つなかったが、誰もが囁いていた。
 ――王位を取られた王族が、少女を殺そうとしてやったんだ
 まだ幼かった事と、少女自身の望みと言う事で、城下にある少女の家でもうしばらく生活してもらう予定だった。だが、少女の安全のために急遽身柄を城に移す事になった。
 それでも、城の中も安全とは言えなかった。
 現に何度か少女は城の中で命を落としかけていた。
 このままでは、確実に少女は殺されてしまうと誰もが思った。
 そこで、最後の手を取る事にした。
「留学という名目で、名前も経歴も偽り、しばらく異世界で暮らしていただこうと言う事になりました」
「それで、大空が転校してきたんですね」
 ようやく話が見えてきた。
 姫である亜緒が、命を狙われ、異世界にまで逃げてきた理由が。
「えぇ。その間に事件の首謀者を見つけ、姫様の安全を確保してから、本格的に王位を継いでいただこうと思ったのですが……」
 最後まで言葉を聞かなくてもわかる。
 安全だと思った異世界でさえも、ティエラが追ってきた。
 彼女が何者かはわからないが、誰かに命じられ、亜緒の命を狙っていたことだけは確かだ。
「……姫様も力が暴走して、こちらに戻ってきてしまいましたし」
 ため息混じりに呟くその言葉で、勇は思いだした。
 あの突き刺さるような光は何だったのだろうと。
 それが顔に出ていたのか、ガディスは勇の顔を見るとゆっくりと口を開いた。
「この国では、王族や巫女、それから一部の特殊教育を受けた者だけが、魔法を使う事が出来ます」
 こっちの世界でも魔法と呼ぶのかという、どうでも良いような事が妙に気になった。
 そんな勇の気持ちを知ってか知らずか、ガディスは言葉を続けた。
「王位を継承した者は、胸元にあるあの紋様から力を使います。あの紋様がこの国で最も力があるという証になるんです」
 そこまで言うと、ガディスは目をそらし、言葉を濁した。
「……姫様は……」
 ゆっくりと息を吐き、しばらくの間黙っていた。
 だが、やがて、覚悟でも決めたかのように、言葉を一つずつかみしめるように紡いでいった。
「継承したばかりと言う事もあって、力が制御できていません。感情が高ぶると、膨大な量の力を解放してしまいます。そのせいで時空を歪めてしまったり、その場の全てを……」
 刺すような光は、力が暴走した証拠。
 不安定な空間で暴走した力は、時空を歪め、異世界へと飛ばす。
 そして、その場にある物を全て無に、命ある物を命亡き者へと変えるのだと、ガディスは言った。
「……でも、俺……」
 そこで浮かぶのは一つの疑問。
 勇は確かに、あの光を浴びた。全身を刺すような光を。
 二度も間近であの光を浴びたはずだった。
 それなのに、勇には傷一つ無い。
「それは……」
 ガディスはやんわりと微笑んでいた。
「きっと、佐伯様を傷つけたくなかったんです」
 その言葉がどういう意味を持つのか、勇には理解できなかった。
「少しではありますが、姫様も力の制御が出来るようになってきているんです」
 やはり、その微笑みには何かが含まれているようだった。
 そこまではわかっていても、その何かの正体はどうしてもわからなかった。
 けれど、聞く事が出来なかった。
 直感的に、聞いてはいけないような気がした。
 聞く事も出来ず、ただぼんやりとその笑顔を眺める事しか出来ずにいると、ガディスは何もなかったかのような微笑みを勇に向けた。
「ご安心ください佐伯様。姫様には私がついていますので、お部屋でゆっくりとおくつろぎくださいませ」
 何故かその笑顔には従うしかなく、勇は小さく頷いて部屋を去った。
 戻ったところで何かすることがあるわけもなく、ただぼんやりと過ごす以外無かった。
 結局また、そのまま眠りに落ちてしまったが、今度はあの夢を見る事もなかった。
 夢に見ずとも、現実でまた大切な何かを失いかけるとは、このときは思ってもいなかった。

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