第三章――青い夢で会いましょう。 目が覚めたとき、まず違和感を感じた。
けれど、すぐにその違和感の正体に気づいた。
「……あぁ、そういえば自分の家じゃないんだっけ」
見慣れない高い天井、いつもとは違う布団の感触。
時間の感覚さえ奪う表情のない空。
ここは、永遠の青空を持つ国。
ベッドから這い出ると、まず亜緒の事が気になった。
昨日――夜という物がないからわからないが、おそらく昨日なのだろう――力を解放しすぎた亜緒の意識が戻ったのかが気になった。
部屋を出ると、相変わらず静かな物だった。
当然と言えば当然なのかもしれない。
「…………っ」
そう思ったとき、勇の脳裏に、昨日のあの光景がよみがえった。
真っ青な空の下に広がる、焼け野が原と紅い紅い血の海。
城に仕えていたほとんどの者は、あれで死んでしまったのだろう。
この世の光景とは思えなかった。今も、まだ半分信じられないでいた。
穏やかな青空の下に広がるあの光景。空が明るいせいで、はっきりと目に焼き付いた。
何よりも、あれだけの血の海を思い出すと、どうしても『あのときの事』も思い出してしまう。
廊下にうずくまりそうになったが、壁に手をついて何とか耐えていた。
「……昨日、あんな夢見たせい、だよな」
焼け野が原を見る前に、あんな夢を見たからなのかもしれない。
誰一人生きていないあの光景を見たとき、勇の中で『あのときの事』が重なって見えたのだ。
――また、失う気が、した
勇は大きく息を吐くと、自分の頬を両手で叩いた。
「っよし!」
顔を上げ、空を見た。
空は相変わらず雲一つ無い青空だった。
この青空が永遠に続くというのに、平和ではないこの国。
その国で、命を狙われながらも姫を続ける少女。
命を狙われているその少女とは、ただのクラスメイトでしかない。
それでも、彼女を救いたいと、思った。
何故かはわからなかったけれど、亜緒が姫になった経歴を聞いて、なんとなくわかった気がした。
「とりあえず、大空の様子を見に行かないとな」
考える事をそこでやめて、勇は亜緒の自室へと向かった。
おそらく、意識は戻っているだろうと思っていた。
戻っていないとしても、待っていればすぐに戻るだろうと考えていた。
けれど、それほど簡単な事ではなかった。
亜緒の部屋の扉をノックすると、青い顔をしたガディスが出てきた。
「どうしたんですか? 大空に、何かあったんですか?」
そう尋ねると、ガディスは答えづらそうに俯いた。その様子が全てを物語っていた。
勇は思わず、ガディスを押しのけるかのように部屋に入っていった。
そこには、いまだ眠り続けている亜緒の姿があった。
昨日見たときと、何も変わりがない。
何かがあったとは思えないくらい、本当に何も変わっていなかった。
「……何も、変わってませんよね?」
亜緒から視線を逸らさずに、背後にいるガディスに問いかけた。
見た限りでは、ガディスが青くなる理由が見あたらなかった。
ただ穏やかに眠っているように見えた。
「……変化がない事に、問題があるんです」
ガディスはゆっくりと亜緒に近づくと、その額にそっと触れた。
勇の方を見ようともせずに、か細い声で呟くように、言った。
「姫様は、悩んでいました。命を狙われている自分さえ消えれば、もう誰も傷つかないで済むのでは、と……」
言葉を失った。
けれど、ようやくわかった。彼女が人と距離を置こうとする理由が。
勇は、彼女は人を傷つけたくなくて、それで距離を置いているのではと思っていた。
確かにその通りだった。けれど、違う。
亜緒は、傷つけるくらいなら、自分が消えればいいと思っていたのだ。だから、人と交わろうとせず、距離を置こうとしていたのだ。
消える身なら、人に近づかない方が良いと思っていたのだ。
「その結果、姫様は閉じこもってらっしゃるんだと思います」
「閉じこもる……?」
聞き返すと、ガディスは小さく頷いた。
「このままご自身の中に閉じこもり、眠り続けていれば、そう遠くない未来には誰の手にかかる事もなく」
そこで言葉は途切れた。
だが、最後まで聞かなくてもわかる。
最終的には、死ぬ事になるだろう。
誰も傷つけない方法として、自らを殺す事を選んだのだ。
「……大空を、起こす方法はないんですか?」
ひどく落ち着いた声で勇が呟くと、ガディスはしばらく黙り込んでいたが、やがて覚悟したかのように口を開いた。
「姫様の夢に入って、直接……」
迷いのない瞳で、勇は真っ直ぐ前を見ていた。
「じゃぁ、俺が起こしてきます」
「っ、いけません!」
驚いたように振り向くと、ガディスは声を荒げて勇に言った。
「無事帰ってこれる保証はありません! それに、下手をすれば佐伯様まで死んでしまうんですよ?!」
「大丈夫ですよ」
勇は、笑った。
その笑顔は、安心させるためのそれとは違う。どちらかというと、自嘲気味に近い笑顔だった。
「俺は、そう簡単に死にませんから」
その笑顔のせいだろうか。
納得したのか、諦めたのか。
ガディスはため息を吐いてから、小さく微笑み返した。
「わかりました。その代わり、必ず姫様と戻ってきてくださいね」
そう言うと、ガディスは勇の額に触れた。
「佐伯様、貴方になら彼女たちもきっと通してくれるはずです」
「彼女、たち?」
亜緒の夢の中に行くのだから、亜緒だけではないのだろうか。
亜緒以外に、誰がいうと言うのだろう。
そもそも、通すとは、一体どういうことだろうか。
そうは思ったが、聞き返そうとしたときには、もうすでに意識が遠ざかり始めていた。
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