目を開けると、そこは見事なまでに何もない空間だった。 何もないとは言え、時空の狭間とは違う。 何処までも続く白い地面。見上げれば、青いマーブル模様の空。目の前にはそれ以外何もなかった。 「……これが、大空の夢?」 それにしては、誰の姿も見あたらない。 辺りを見回していると、背後から声がした。 「そこの男! こんなところで何をしている?」 少女の声だった。 それから、チャリという金属の音。 勇の後ろには、少女が二人と、大きな扉があった。 おそらく、双子だろう。青銀の髪を二つにくくり、青い服を着、いくつもの鍵を下げ、手には自分の背丈よりも大きな鍵のような物を持っている、紫の瞳の少女たち。 片方は髪を高い位置で結った大人しそうな少女。もう一人がおそらく勇に声をかけたのだろう。髪を低い位置で結った気の強そうな少女。 そして、その後ろには壁も塀も何もなく、ただ大きな扉だけがあった。 二人の少女は、まるでその扉を守るかのように立っていた。 「もう一度聞く! こんなところで何をしている!」 少女が手にしていた大きな鍵のような物の先端をこちらに向けて、問うた。 それは武器なのかと思うほどに、先が鋭利だった。 思わず、息をのんだ。 「俺は……大空を、起こしに来た」 真っ直ぐに少女を見据えて、はっきりと答えた。 こんなところで臆するわけにはいかなかった。 亜緒を連れて帰るのに、これくらいで臆していてはどうにもならない。 勇の言葉に、睨み付けていた少女の眉がぴくりと動いた。 「……クキ、侵入者、だって……」 今まで静かに様子を見守っていた少女が、小さく口を開いた。 クキと呼ばれた少女は、勇を睨み付けてから一歩下がって、片割れの少女に視線をやった。 「イロ、下がってな。怪我するよ」 イロと呼ばれた少女は、小さく頷いてから一歩前に出た。 「侵入者、名前は?」 「……佐伯、勇」 それを聞くと、イロは何度か小さく頷いてたが、途中でクキに引っ張られ、扉の前に戻された。 「イロ! 怪我するから下がってなって言ったでしょ!」 クキはイロの前に立つと、もう一度勇に鍵を突きつけた。 そして、真っ直ぐに勇を睨み付けて言い放った。 「佐伯勇と言ったな? 警告は一度きりだ。今すぐここを立ち去るなら、見逃す。けれど、どうしても他人の夢に入り込みたいというのなら」 「鍵を、奪い取りなさい……この扉を、開けるための」 クキの言葉の続きを、イロは淡々と口にした。 まるで、二人で一つのよう。 「……この扉を開けるためのって……それだけある鍵の中からかよ?」 イロとクキはどちらも腰からいくつもの鍵を下げていた。 何十もある鍵の中から、どれかもわからない本物を一つ奪い取れと双子は言う。 困惑している勇を見て、クキは見下すように鼻で笑った。 「諦めて立ち去りな。奪い取るだけじゃなく、アタシからの攻撃に対応しなきゃいけないんだから、楽じゃない」 おそらく、手にしているその大きな鍵のようなものを振り回すのだろうと予想は出来る。 予想は出来るが、それに対抗するべく武器なんて勇が持っているはずもない。 正直、きついなと思った。 それでも、勇は引き下がる気などなかった。あるはずがなかった。 引き下がれば、亜緒は帰ってこないのだから。 「奪い取れば、良いんだな?」 ここで勇が引き下がれば、亜緒は帰ってこない。 亜緒は、絶対に連れて帰る。 そのためには、絶対に引き下がるわけにはいかない。 小さく笑う勇を、クキが訝しげに見ていたが、そんな事を気にする余裕は勇にはなかった。 「……侵入者に、立ち去る意志は、ないと見、勝負を、はじめる」 扉の前に立っているイロは温度を感じさせない声で淡々と進める。 「時間制限、なし。動けなくなるか、諦めるまで、続く。それから……」 イロの声を大人しく聞いていたクキが、そこで不思議そうにイロを見た。 その視線に気づいていないのか、気にしていないのか、イロは変わりなく淡々と続けた。 「侵入者に、ヒント。鍵は、鍵だけど、鍵じゃない」 「っ! イロ! 何ヒントなんか与えてんの?!」 慌てたようにクキはわめいたが、イロは特に気にした風でもなかった。 そんな双子のやりとりを、勇はどうしようもなくただ呆然としていたが、ふとイロに見られている事に気づくと、さすがに慌てた。 勇を見ながら、イロは口を開きかけたが、何を思ったのか首を傾げて「……まぁ、いいか」と呟いた。 「……とりあえず、勝負、開始」 イロの言葉により、それは唐突に始まった。 唐突な言葉だったにもかかわらず、クキは合図とほぼ同時に大きな鍵を振り上げた。 それに対して、勇は突然の事に出遅れていた。 「くらえっ!」 笑顔を浮かべてクキは、鍵を振り下ろした。真っ直ぐ、勇に向かって。 「ぐぁ……っ!」 避けられるはずもなく、勇は腕を斬られた。 先端の鋭い鍵は、予想以上に武器となるらしい。 腕からは、赤い血が、流れていた。 夢の中にもかかわらず、痛みははっきりとあった。血の量から考えても、傷は浅くない。 「まだまだぁ!」 勇に休む暇も与えず、クキは鍵を振り回して襲ってくる。 その小さな身体からは予想も出来なかった。何の苦もなく、その大きな鍵を振り回していた。 慣れているクキに対し、勇はやはり所詮はただの学生。傷を押さえて避けようとするものの、そううまくはいかない。 避けきることもできず、勇の傷は一つ二つと徐々に増えていく。 傷が増えるたびに、痛みが走る。とても夢とは思えない。 「鍵を奪うんじゃなかったのかっ?!」 クキの言葉を聞き、忘れかけていた事を思い出した。 目的は戦うことじゃない。鍵を奪って、亜緒に会いに行く事だと。 亜緒に会って、連れて帰る事だと。 「……くっ!」 勇は振り下ろされた鍵を掴んだ。 掴んだ手が切れようと、構わなかった。 勇の手からは血がしたたり落ちた。 指が落ちるんじゃないか思うくらい、その鍵は鋭かった。 鍵をつたってくる血に、クキは目を丸くした。 「な……っ?!」 そう言う行動に出るとは思ってなかったらしく、さすがのクキも動きが止まった。 その隙に、もう片方の手を伸ばし、クキの持っている鍵の束に手を伸ばした。 「っ、させるか!」 そのことに気づいたとき、クキは勇の頭を狙って、思い切り蹴り上げた。 少女とは思えない力により、勇の身体は飛んだ。 勇の身体が落ちると、クキは安心したかのように息を吐いた。 その様子を見ながら、イロは変わらない調子で言葉をかけた。 「……クキ、驚いた?」 「……不本意ながら」 不服そうにそう返したクキは、イロの方を見ず、倒れて起きあがらない勇を見ていた。 「佐伯勇。アンタに一つだけ聞く」 クキの言葉に、勇はわずかに反応した。 けれど、わずかに反応しただけで、起きあがれずにいた。 それでも、クキは構わず続けた。 「そこまでして、他人の夢に入り込みたいか?」 言葉は耳に届いている。けれど、返事を返す事が出来なかった。 「夢に入り込むというのは、人の中に土足で踏み込む事。それがどういうことかわかってて入り込むのか?」 「夢は、本人も知らない、心の奥底……他者が、踏み込む事は、許されない……」 双子の言いたい事は、わかっていた。 入り込んで欲しくない事くらい、勇自身よくわかっていた。 自分の夢なんか、他人に知られたくない事くらい、嫌ってほどわかっていた。 「……俺だって……好きで入り込むわけじゃ、ねぇよ……」 振り絞るような声。 起きあがれないわけではないはずだと、自分に言い聞かせながら、無理にでも起きあがる。 上体を起こすのが精一杯でも、それでも、なんとか双子を見据えることは出来る。 「けど、それ以外に手が、ないんだよ……大空を、連れて帰るためには……死なせないためには、これしか……」 途切れ途切れだが、それでも、確かに言葉となっていた。 その言葉が届いた双子は、顔を見合わせた。 「……傷ついてまで、助ける、価値は?」 双子のどちらから出たかわからないその言葉に勇は笑った。 その笑顔には偽りも何もなかった。真っ直ぐに、前を見ていた。 「俺、が、傷つく、くらいで、大空が、死なない、なら……安い、だろ?」 だが、勇の問いかけに答えは返ってこなかった。 その代わりに、イロが小さく呼びかけた。 「……クキ」 「……わかってる」 クキは、イロの呼びかけに応じ、扉の前に戻っていった。 扉の前に二人が立つと、イロは呪文のように小さく唱えた。 「……ここは、夢の中、だから、痛みは、ない。もう、起きられる」 しばらくの間、その言葉の意味が理解できないでいたが、勇はふと今まで感じていたはずの痛みが消えている事に気づいた。 傷はあるが、痛みは全くなかった。 不思議そうに自分の身体を眺めていると、勇の疑問に答えるようにクキが言った。 「夢の中だからな。痛みなんか存在しないんだよ。ただ、それを錯覚させていただけだ」 錯覚だと言われて、納得できるような痛みではなかったが、何故かすんなりと納得できた。 それは、これが夢の中だろうか。 「……けど、だったら何で……」 痛みを錯覚させる事が出来るのなら、そのまま痛みを与え続けた方が良いに決まってる。 諦めるか、動けなくなるまで続くのだから、痛みを与え続ければ良いはずだった。 それにもかかわらず、彼女たちは勇の痛みを取り除いた。 「動けないと、扉、開けても、意味、ないから……」 イロが呟くと、それを補足するかのようにクキが口を開く。 「佐伯勇、アンタを認めてやるよ。この扉の向こう、夢の中に入る事を許可してやる」 それだけ言うと、イロとクキは顔を見合わせて、ゆっくりと扉に手をかけた。 「扉の、鍵は……番人、自身」 「求めるのは、力じゃなく、意志の強さ」 二人の声はまるで最初から一つのものだったかのように響いた。 その声にあわせるように、扉はゆっくりと音を立てて開く。 そして、扉の向こうに見えるのは、何も見えない、闇の世界…… 「行かない、なら、閉める、よ。扉……」 何も見えない闇の世界を前にして、立ちすくんでいる勇の背を押すように、イロが呟いた。 しばらく黙っていたが、やがて勇は闇から視線を逸らさずに尋ねた。 「……君たちは、何者なんだ?」 亜緒の見ている夢は、ここから先のはずだ。それならば、この二人は何なのか。ここは、誰の夢なのか。 その問いかけに、双子は小さく笑った。 「……イロと、クキは、扉を、守る」 「この扉一つで、いくつもの世界に繋がる」 「けど、その世界、一つ一つ、全て、誰か、一人の、もの……」 「その世界は、本来ならその主以外受け入れない」 「なぜなら、世界は、常に、変化、し続ける、から」 「唯一人の主の心にあわせて、主のために、変わり続ける世界」 まるで一人で話しているかのように、二人の言葉は重なることなく、途切れることなく、紡がれていく。 「変わり、続ける、世界を――夢を、守る。それが、仕事……」 その言葉が終わると同時に、双子の番人は、勇の背をそっと押した。 「っ!」 勇の身体は、そのまま闇の中へと落ちていった。 落ちていく中、わずかに耳に届いた声はただの空耳だったのだろうか。 イロともクキともとれる、声。 「 きっと、大丈夫だと、信じてる。佐伯、勇 」 |