第二章――夢と青を巡る争い

 目を覚ました亜緒に色々尋ねようとしたが、亜緒は勇にそんな隙を与えようとはしなかった。女に向かって「佐伯くんに部屋を一つ用意して」とだけ言い残し、亜緒はどこかに行ってしまった。
「……あの」
 勇は、少し前を歩く女に声をかけようとしたが、名前を知らない事を思い出した。
 亜緒に言われて勇を部屋に案内してくれる、さっき亜緒の事を『姫』と呼んでいた女。
 彼女は振り返って微笑むと、軽く一礼をした。
「私は、ガディスと申します。この城の隣にあります神殿で、巫女をしております」
「……城?」
 たしかに、言われてみればこの建物は天井が高く、中も広い。違う世界だから、と言う理由だけではなかったらしい。
「じゃぁ、ここは大空の……」
「はい。姫様はこの城に住んでいます」
 その言葉を聞き、改めて亜緒がこの国の姫なのだと思った。
 では、何故その姫が命を狙われたり、異世界の学校に編入してきたりするのだろうか。
 尋常ではない理由があると、それだけはわかった。
「あの、ガディスさん……」
 そのことを尋ねようとすると、それを遮るかのようにガディスは口を開いた。まるで、聞かれたくないかのように。
「佐伯様、先ほど言いました『永遠の青空』がどういう意味か、わかりますか?」
 大きな窓から空を見上げながら、ガディスは言葉を続けた。
「地球の空には、様々な表情がありますよね? 雲が出たり、雨が降ったり、夕暮れがあったり、夜があったり……」
 世界に一つしか存在しないのに、まるでいくつもあるかのように、その時々で全く違う表情を見せる。
 それが『空』という物。
 まるで生きているかのよう。
「ですが、この国の空は、表情を変えません。永遠に雲一つ無い青空が続く国。それがブレスタローネです」
 この国の空は、生きていないと言うことだろうか。
 永遠に変わらないものなんて、本当にあるのだろうか。
 ガディスの言葉の深いところまでは、勇にはわからなかった。
 けれど、勇が何かを言う前に、ガディスはその窓の正面にあった扉に手をかけた。
「では佐伯様。こちらのお部屋になります。どうぞごゆっくり……」
 促されるままに入った部屋は、さすがと言ったところだ。
 学校の教室が二つは入るだろう広さ。天井は、やはり高い。照明器具もシャンデリアと呼んで差し支えないだろう。全体的に白と青を基調とされた部屋。言い出したらきりがないが、一つだけ気になることがあった。
 家具や部屋の至る所に刻まれている紋様。
 亜緒の胸元に描かれていたものと同じに見える。
 この国の紋章か何かだろうか?
 ガディスに尋ねようと思い振り返ると、そこにはもう彼女の姿はなかった。
「……もう行ったんだ」
 城の者ではなく、神殿の巫女なのだから、本来はこんなところで勇の相手をすることもないのだ。
 だから、居なくても当然ではある。ガディスは神殿に帰ったのだろうと勇は思ったが、実際は違った。
 ガディスは一つの部屋に向かっていた。
 他の部屋と同じような、特に変わり映えもしない扉の前に立つと、ガディスはしばらく考え込んでいた。
 やがて、その重たい扉を見つめながら、大きく息を吐いた。
 扉をノックし、ゆっくりと開けた。
「姫様、失礼いたします」
 扉を開けると、城の中とは思えないほど簡素な部屋があった。確かに中は広く、天井も高いのだが、家具の一つ一つが飾り気のあまりない素っ気ないものだった。
 その部屋の中に、亜緒は居た。
 相変わらず、ブラウスのボタンを一番上まできっちりとしめた制服姿だった。
 簡素な部屋の中に、制服姿で立っていると、とても姫とは思えなかった。
「ガディー、何の用?」
 何かの本のページを捲りながら、ガディスの方を少しも見ずに尋ねた。
 ガディスは後ろ手に扉を閉めると、亜緒から視線を離さずに、ゆっくりと確かめるように言った。
「……佐伯様を、元の世界に帰すおつもりですね?」
 本を捲る亜緒の手が止まった。
 それから、顔を上げて小さく笑んだ。
「だとしたら、なぁに?」
「全力で止めさせて頂きます」
 答えるガディスの瞳に迷いはなかった。
 亜緒は本を持ったまま、真っ直ぐにガディスを見据えた。
「……このままだと、佐伯くんを、巻き込む事になるのよ?」
「存じ上げております」
 静かに瞳を閉じ、小さく頷いた。
 ガディスは、譲るつもりはなかった。
「ですが、今帰すとどうなるかわかっていらっしゃいますよね?」
 亜緒は言葉を返さなかった。
 いや、返せなかった。
 どうなるかなんて、亜緒自身が一番よくわかっていた。
 その責任の重さも十分わかっていた。
「……でも、それでも、これ以上、巻き込むわけには……」
 消えそうな呟きに、ガディスは容赦なく返した。
「姫様のお気持ちはわかりますが、全力で止めさせて頂きます」
「……わかってる」
 ガディスの言葉を聞き入れたわけではない。
 亜緒は、ブラウスのボタンを二つほど開けた。胸元に刻まれたあの紋様が見える。
「私も、全力でやらせてもらうわ」
 二人の瞳に、迷いはなかった。

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