「! 姫様?! ……佐伯様、これは一体……」
 腕から血を流し気を失っている亜緒を抱え、地上へ上がると、ガディスが駆け寄ってきた。
 勇が地下で起きた事を説明しようとする前に、ガディスは「こちらに運んでください!」と言って駆けていった。
 説明を聞くよりも先に動かなければと思ったのだろう。
 事実、その判断は正しかった。
 腕に傷を負っただけだから大したことはないように思えたが、傷は深く、水の中にいたせいもあってか、出血量が多かった。
 一通り終わり、あとは亜緒の意識が回復するのを待つだけだと言った後に、ガディスが小さく「もう少し遅かったら」と呟いたのが聞こえたくらいだった。
 予想は出来ていたが、勇は念のためガディスに問いかけた。
「大空の怪我って、誰が……」
「……前にも言いました通り、魔法が使えるのはごく一部の人間です。その中で、姫様を狙おうとする人がいるとすれば、おそらく王族側の……」
 地下で起きた事を聞いたガディスは、そう考えをまとめた。
 予想に過ぎないが、その考えはほぼ間違いないだろう。
 そして、おそらく……
「『果てなき泉』に魔法をかけたのも、王族側と言う事になるのだと思います」
 そう考えるのが自然だった。
 だが、そうなると……
「自分たちでやった事を、大空のせいにしたのかよ……」
 自ら水不足を引き起こし、それを亜緒のせいだと言い張り、彼女を王位から引き下ろそうとした。
 王位のためだけに、一体どれだけ亜緒を苦しめたのだろう。
 ただ、それだけのために……
「……そこまでして、王位なんかが欲しいのか?」
 地位なんかがそんなに欲しいだろうか。
 権力なんかがそんなに欲しいだろうか。
 勇には理解できなかった。
 養父の持っている権力のせいで、孤独にさせられた身としては。
 確かに、権力は多くの事を生み出すかもしれない。
 けれど、その生み出されたもののほとんどは、温度のない冷たいもの。
 そんなものを、どうしてそこまでして欲するのだろうか。
 勇には理解出来なかった。
「……王位なんて、なければ良いのに」
 小さな、消えそうな声で呟いた言葉。
 心の底から、そう思った。
 初めから、王位がなければ彼女は苦しまなかっただろう。
 けれど、そんな勇を窘めるかのように、ガディスはゆったりとした言葉で返した。
「例え、王位が消えたとしても、権力というものは消えません。国をまとめるにはどうしても上に立つ人間が必要なんです。全ては、その上に立つ人次第なんです。権力も、持つ人次第なんです」
「……ガディス、さん」
 勇の言いたい事がわかるのか、ガディスは微笑んだまま言葉を続けた。
「姫様が上に立てば、きっとこの国は平和になります」
 ガディスは、亜緒が選ばれた理由を、勇と同じことだと思っているようだった。
 つられるように、勇も小さく微笑んで頷いた。
「そう、ですね。大空になら、きっと……」
「けれど、そのためにはまず王族側を静めなければいけません」
 課題だった。
 亜緒が上に立つためには、避けて通れない課題。
 彼女が自分で片づけないといけない課題。
 これくらい自分で片づけられないと、彼女はこれから先もっと苦しむだろう。
「……そのためには、どうしても必要になってきますよね。証拠が」
 その言葉に、ガディスははっきりと頷いた。
 王族側を制圧するためには、どうしても彼らがやったという証拠が必要だった。
 それがなければ、おそらく完全に静める事は不可能だろう。
 だが、何一つとして証拠はなかった。
 彼らがやっただろうとは容易に想像できるが、証拠は何一つとしてなかった。
「動かぬ証拠、というものがないと……やはり難しくなってきますから……」
 二人は、しばらくの間黙って考え込んでいた。
 どうすれば、証拠をつかめるだろう。
 そのとき、ふいに勇が顔を上げた。
「……ガディスさん、神殿の地下って、どこかに繋がっているんですか?」
 あのとき――亜緒の身体を何かが貫いたとき――貫いたのはおそらく何かの魔法だろうとガディスは言っていた。
 だが、それなら魔法を放った誰かがいるはずだ。
 勇たちが通ってきた道は、勇の背後にあった。
 それに、その誰かがそこを通ったのなら、誰かに見つかるかもしれない神殿の中を通らなければいけない。
 そんなリスクの高いことをするだろうか。
 わざわざ危険をおかしてまで、神殿の中を通るだろうか。
 そう考えるよりも、あの奥に道が続いていると考えた方が自然ではないだろうか。
「えぇ、たしか……どこかの森に繋がっているとは聞きましたが……」
 可能性は、きわめて低いと思う。
 それでも、わずかでも可能性があるのなら。
「俺、ちょっとそこに、行ってみます」
 ひょっとしたら、何かがあるかもしれない。
 危険かもしれない。
 何もないかもしれない。
 それでも、動かないよりはずっと良いと思った。
 勇は、笑顔を浮かべて、神殿の地下へと一人で向かった。

戻る
次へ