第四章――夢の青さと真実

「……姫様、少々お時間よろしいでしょうか?」
 声をかけられ、亜緒は視線を本棚からガディスにやった。
「どうかしたの?」
 亜緒がそう尋ねると、ガディスは小さく頷き口を開いた。
「先日、佐伯様を元の世界に帰すとおっしゃっていましたが、今もそのお気持ちに変わりはありませんか?」
「……どうだと思う?」
 ガディスの問いかけに、亜緒は小さく笑った。
 その笑顔は何を考えているのかわからなく、ガディスは思わず表情を硬くした。
 まさかとでも言いたげなガディスを見て、亜緒はやんわりと微笑んだ。
「心配しないで良いよ。佐伯くんを帰すのは、ちゃんと時期が来てからにするから」
 亜緒のその言葉に、ガディスは安心したかのように息を吐いた。
 そんなガディスの様子を確認すると、亜緒は改めて本棚に視線を戻した。
 目の前に広がる本棚を見ながら、ぽつりと呟いた。
「……今は、その時期を無事に迎えられるように、あれを探してるところだから」
「何か探してるんだったら、手伝ってやろうか?」
 本棚を眺めていた二人の背後から、声がかかった。
 慌てて振り向くと、亜緒は姿を確認する前にその名を呼んだ。
 姿を見なくても、声でわかる。
「佐伯くん! 何でここに?」
「暇だったから城の中を歩いて回ってたら、偶然」
 扉のそばに立っていた勇は、平然とそう答えた。
 何か言いたげにしてる亜緒をよそに、勇は本棚のそばへと進んでいった。
「で? 何探してるって?」
 隣に立っている亜緒に聞くと、亜緒は勇を見ようともせずに小さく答えた。
「……本を、探してるのよ」
「……これだけの本棚を前にして、本じゃないものを探してるって言う方が不自然だろうな」
 数え切れないだけの本棚の並ぶこの部屋――書庫で、本以外何を探すというのだろう。
 だが、勇にそう返されても、亜緒は答えたくなさそうに視線を逸らしていた。
 答えたくなさそう、と言うよりも、その顔にははっきりと答えたくないと書いてあった。
 そんな亜緒に対して、何かを言おうと勇が口を開きかけた。
「……『青の章』です」
 答えようとしない亜緒の代わりに、ガディスがはっきりと答えた。
 その言葉に、亜緒が表情を険しくした。
「っ! ガディー!」
 制止する亜緒を無視するかのように、ガディスは淡々と続けた。
「この国の始まりから今までの、全てを書かれている書がここには保管されています。その書はいくつかの章に分けられ、それぞれ歴史や地理について書かれています。けれど、その中で一つだけ、存在するはずなのに抜けている章があるんです」
「……それが『青の章』なんですか?」
 勇の言葉に、ガディスははっきりと頷いた。
 そんな二人の様子を見て、亜緒は諦めたかのようにため息を吐いた。
「その『青の章』には、女神とこの国の始まりについて書かれているはずなのよ」
 永遠の青空を持つ国の始まり。
 何を思って、女神はこの国を創ったのか。
 そのことについて記されているはずだという。
 もっとも、それは噂でしかなく、実際はどうなのか誰もわからない。
 読むことを禁じられた章。
 誰がそう言いだしたのかはわからないが、読んではいけないと言うことになっていた。
 だから『青の章』だけを抜き、別に保管していたのだという。
 けれど、保管されていた『青の章』はどこかに消えてしまったと、亜緒は言った。
「……けど、大空は何でそれを言いたくなかったんだよ?」
 横目でちらりと亜緒を見ると、亜緒は相変わらず勇を見ようとしていなかった。
「もしも『青の章』を見つけてしまったら、佐伯様まで王族側に命を狙われかねませんから」
 ガディスの言葉に、亜緒の肩がびくりと動いた。
 その様子で、どうやら冗談などではないらしいことは勇にも伝わった。
 真っ直ぐにガディスを見据え、低い声で勇は尋ねた。
「それだけの理由で、殺されるんですか?」
「……十分な、理由なのよ」
 相変わらず勇を見ようとせずに、亜緒は小さく言葉を紡ぎはじめた。
「女神について書かれているってことは、女神が何を基準に私に王位を与えたのかわかるのよ。理由がはっきりしていないならまだしも、はっきりとした理由が見つかったら、王族側にとって不利になるでしょ。だから、よ」
 小さな声だったが、それとは裏腹に、書庫にははっきりと響いていた。
「……だから、『青の章』が必要なんだな?」
 王族側に勝つためには、亜緒が選ばれたはっきりとした理由が必要だから。
 その理由があれば、王族側が口を出せなくなる。
 だから『青の章』を探しているのだ。
「それだけじゃ、ないんだけどね」
 その言葉が予想外だったのか、さすがのガディスも驚いたように亜緒を見た。
 二人の視線を浴びて、亜緒は小さく息を吐いてから語り出した。
「一般市民が王位を継いだと言うだけで、ここまではっきりと対立すると思う? 仮にも、自分たちの崇めている女神が決めたことなのに」
 確かに、言われてみればおかしい。
 この国において、どれだけ女神の存在が大きいのかは勇にはわからない。
 だが、宗教を信じている国と言うのは、聖地を巡って争いを起こしたりしている。
 そう言った事を踏まえて考えると、亜緒が女神に選ばれたのなら、対立するのは王族を含めたごく一部のみになるだろう。
 権力に執着しているごく一部のはずだった。
 亜緒を殺しに異世界に来たティエラは王族の人間には見えなかった。ただ王族に頼まれて殺しに来たというようにも見えなかった。
 はっきりと亜緒に対して殺意を持っているように見えた。
「私が、王位を継いだ直後から異変が起きたの。その異変は『私が王位を継いだから』だと、言われてるのよ」
「っ! 何だよそれ?!」
 亜緒のせいだと言い出したのが、王族側だという予想は簡単についた。
 だからこそ、余計に腹が立った。
 王位を取られたからと言って、恨んでいるからと言って、そんな異変を亜緒のせいにするなんて、間違っている。
「仕方ないのよ。今まで……この国が出来てから、一度もなかった事が、私が王位を継いだすぐ後に起きたんだもの」
 俯いたまま「仕方ない」と呟いた亜緒は、諦めに近い表情を浮かべていた。
 それは、当然かもしれない。一年近くもの間、身に覚えのない事を、自分のせいにされ続けていたのだから。
 諦めに近い感情が生まれていてもおかしくはなかった。
 けれど、だからといって、諦めて良い事ではない。
「何なんだよ? その『異変』って」
 あまりにも腹立たしくて、おもわず怒鳴るような声が出た。
 その声に、亜緒は驚いたように勇を見たが、すぐに視線を逸らして小さく呟いた。
「……水不足、よ」
 亜緒の答えは、勇の考えていたよりも簡単なものだった。
 梅雨の間、雨があまり降らなかったりすると起きることだが……
「?」
 勇は疑問を覚えた。
 そう、雨が降らない場合に起きることだ。
 永遠の青空を持つこの国には、当然雨が降る事はないだろう。
 それでは、どうやって水を得るというのだろう。
 そのことを尋ねてみると、ガディスが説明をしてくれた。
「ブレスタローネには、『果てなき泉』があり、この国の水路は全てそこに繋がっていると言われています」
 納得しかけたが、勇はふと何かが引っかかる事に気づいた。
「……『言われています』って……」
 その言い方は、まるで……
「だって、それが真実か、誰もわからないのだもの」
 勇の疑問に答えるように、視線を逸らしたまま亜緒が淡々と呟いた。
「その泉も水路も、女神が創ったものなのよ。その水路をたどっていけば、いくつかの泉にたどり着くけど、この国の泉は全て地下で繋がってるっていうし……どれが『果てなき泉』なのか、わからないのよ」
「……その『果てなき泉』がどこにあるかも、『青の章』に書かれている事なんです」
 つまり、亜緒が『青の章』を探しているのは、自分が選ばれた理由と、自分を追いつめている原因の二つを調べるため……
 勇がそう理解しかけたときに、亜緒は小さく呟いた。
「……早く水不足を解消しないと、みんなに迷惑じゃない……」
 亜緒は、本当に、心から申し訳なさそうな表情をしていた。
 その様子を見ていると、勇にはなんとなく亜緒が女神に選ばれた理由がわかったような気がした。
 もっとも、女神も勇と同じ考えなら、だが。
「とりあえず、この国にある泉、全部調べてみたら良いんじゃねぇの?」
 水不足を解消するためにはどうしたらいいのか、勇なりに考えた事を口に出してみたが、亜緒は小さく首を横に振った。
「いくつあるかわかってる? 誰も知らないような小さな泉だってあるのよ? それら一つ一つを調べていったら何年かかることか……」
「ですが、この書庫から『青の章』を探すというのも……」
 ガディスの言葉に亜緒は小さく頷いた。
 亜緒自身もそれはわかっていた。
 こんな書庫を探したくらいで見つかるのなら、苦労はしない。
 それに、おそらく。あくまでも、亜緒の想像ではあったが、『青の章』は王族側が持っているような気がした。
 だとすれば、こんなところを探しても無意味だろう。
 それでも、もしかしたらと思うと探さずにはいられなかった。
「……そんな何年も水不足を続けるわけには……」
 早く解決しなければいけないという気持ちだけが、どうしても先走ってしまう。
 方法を探そうと思えば思うほど、焦ってしまう。
 それに、本当はそれだけの理由じゃなかった。
 もう一つ。
 時間が、迫っていた。
 早くしないと、間に合わなくなる。
 そう思うと、焦らずにはいられなかった。
 亜緒は俯いたまま、黙ってしまった。
 黙っていた亜緒の腕を半ば無理矢理に掴んで、勇は書庫を飛び出そうとした。
「大空、行くぞ!」
「え、ちょっ……佐伯くん、行くってどこに?」
 亜緒は、つかまれた腕を振り解こうと必死に暴れてはいるが、とても振り解けそうになかった。
「全部の泉調べに行くに決まってるだろ」
「な……っ、佐伯くん! 話聞いてた?」
 亜緒は勇を止めようとした。
 そのせいではないが、勇は、一度足を止めた。
 そして、振り返ると真っ直ぐに亜緒を見た。
「だからって動かないでいたら、いつまでも変わらないだろ。それなら、何年かかってでも泉調べた方が良いに決まってるだろ!」
 勇の言葉は、その通りだった。
 亜緒にだって、そのことはわかっていた。
 けれど、どうしても、もっと他に良い方法があるんじゃないかと思って探していた。
 そのままずっと探し続けるかのように。
 動き出してみれば、思ったより早く見つかるのかもしれない。
 どれだけ時間がかかるかは、やってみなければわからないのに、動く前から決めつけていた。
「……そうよね。動かなきゃ、よね」
 探し続け、そのせいで間に合わなくなるよりも、動いていて、それでも間に合わなかった方が、ずっと良い。
 亜緒は顔を上げ、笑顔を浮かべると、勇の隣に立った。
「行こ。この国の泉、全部を調べに」
「あぁ」
 そして、二人が書庫を後にしようとしたときだった。
「姫様、何処の泉から調べるおつもりですか?」
 背後からかけられたガディスの問いかけに、亜緒は少し考えた。
 地図を片手に、近いところから調べていくつもりではいたが、あまり考えていなかった。
 返答に困っていると、ガディスが小さく微笑んだ。
「特に決まっていらっしゃらないのでしたら、神殿の地下と繋がっている泉などいかがでしょう?」
「神殿の地下……って、聖水の?」
 ガディスの言葉に、亜緒は小さく首を傾げた。
「はい。聖水というくらいなのですから、どこか特別な場所から水を引いてるのではないかと思いまして」
 話が飲み込めず、尋ねようかと思いはするが、亜緒が何かを考えている様子だったので、勇は大人しく黙っていた。
 やがて、亜緒は顔を上げて頷いた。
「そうね。まずはそこから行ってみるわ。それで、その泉はどこに?」
「神殿の地下、更にその奥にあります」
 ガディスは変わらない笑顔を浮かべていた。

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