「はじめまして。私、ナリア=ハリエスと申します」
 立派な部屋に連れてこられ「ちょーっとここで待ってて」とだけ言い残され、状況が全く理解出来ないままぼんやりしていたマリュの前に現れたのは同じ年頃の少女だった。肩口で切りそろえられたオリーブイエローの癖毛。眼鏡の奥にある知的なラベンダーの瞳。どこかの制服のようなネクタイやベスト。同じ年頃に見えるのに、漂う雰囲気がどこか大人びていた。
「あ、えっと、はじめまして。マリュ=グラウニーです」
 マリュが慌てて頭を下げると、ナリアは笑顔のまま「顔を上げてください。マリュさん」と言った。
「お話は伺っております。勇者の剣を見事引き抜いたそうですね。私、勇者様にお会いするのは初めてです」
「あ、や、あの……私、勇者じゃ……」
 勇者様と呼ばれ戸惑うマリュにナリアは変わらない笑顔で続けた。
「いいえ。マリュさんは、誰も引き抜けなかった勇者の剣をご自分の力で引き抜いたんです。自信を持ってください」
 マリュの手をしっかりと握り言葉を紡ぐナリアはまるで何かを祈っているようだった。返す言葉に困っているマリュにナリアはもう一度笑いかけた。
「マリュさんが自信を持ち、皆さんにも勇者はマリュさんだと信じてもらうために、まずは勝負に勝たなくてはいけませんね」
 その笑顔が一瞬悪魔に見えたのはマリュの錯覚だろう。
 肩を落としているマリュに気付いていないのか、ナリアは軽くぱんぱんと手を叩いていた。すると数人のメイドが服を抱えて部屋に入ってきた。マリュが状況を飲み込めないでいる間に、メイドはナリアに頭を下げて部屋から出ていった。
「さぁ、マリュさんの動きやすい服をお選びください。サイズが合わない場合はすぐに直しますので」
「……」
 ぽかんとしていたマリュが、やっとの思いで口に出した言葉は一言だけだった。
「ナリアさん、って……何者ですか?」
「ふふ。『ナリア』で良いですよ。私はマリュさんの服を選ぶ手伝いをするためだけにここにいるんですから」
 楽しそうに笑うナリアを見ていると、どうでも良いかという気になってくる。そもそも、よく考えればここは城内の一室。一般人であるマリュが本来なら入れるはずのない場所である。考えがそこまで行き着くと、一気に居たたまれなくなってしまうのも不思議なものだ。
 もうすでにマリュの頭の中にあるのは「ナリアは何者だろう」ではなく「はやくここから出よう」だった。そのためにも、服を早く選んでしまうべきなのだが……
「……もうちょっと、あの……」
 わがままを言うつもりは一切ない。だが、この中から選ぶのは……
 マリュが手を止めると、ナリアは不思議そうに手元を覗き込んできた。
「お気に召しませんでしたか?」
「えっと……気に入る気に入らない、じゃなくて……」
 視線を手元にやったままマリュは言葉を探していた。決してわがままを言うつもりはないが、服がどれも上等すぎて選びにくかった。汚すであろうことが予想されるのに高い服を着るのは少々どころではなく気が引ける。
「もう少し、シンプルで……高くないのって、ないのかなぁ?」
 切実な願いだったが、あっさりと切り捨てられた。
「出来るだけシンプルで動きやすいもの選んだのですが……値段もそれほど高くはありませんよ?」
 どうやら価値観がどうも違うらしい。たしかにぱっと見ただけならばシンプルで動きやすそうではある。けれど、手触りが明らかに普段マリュが着ているものと違う。汚さないようにと変に気を使って、いつもより動きづらくなりそうな予感しかしない。
「……わかりました」
 覚悟を決め、マリュはナリアに向かってはっきりとこう告げた。
「スパッツ貸して下さい!」
 制服プラススパッツで勝負に挑む決心をしたらしい。けれど、やはり制服を汚したあとのことまでは全く考えていないようだった。そんなマリュの気持ちに気付かないナリアは数度まばたきをしてから「わかりました」と返事をした。
「ですが、スパッツ……となると、城内にはありませんので、少しお時間をいただきますが、よろしいですか?」
「えっと……一時間後って言ってたから、それまでに用意出来るんだったら……」
 そこまで言ってから、ひょっとして時間までに用意出来なければ試合をしなくて済むのではと思ったが、ナリアが「ご安心を」と笑顔を浮かべた。世の中、そんな甘くはないのだ。
「どんな権力を使ってでも、時間には間に合わせますので。遅刻だなんて理由で勇者様を失うわけには参りません」
 言った本人にそんなつもりはないのだろうが、「勝負に負けたら承知しない」と脅されているような気にさせられる笑顔だった。ナリアはそこまでしてマリュを勇者に仕立て上げたいのだろうか。

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