フェイラ王国の北端に位置するそこで、少女は一人退屈そうに自分の髪を弄んでいた。正確には退屈そうではなく、退屈だった。
 暗い部屋に押し込まれ、外に出ることも出来ず。これで退屈だと感じなければ、何を退屈と感じるのか。
「……つまんないの」
 口をとがらせてこぼしたその一言に、傍らにいた側近である男が律儀に言葉を返した。
「魔王様。それでしたら、そろそろ私どもにご命令を……」
「イヤ」
 魔王と呼ばれた少女――先代魔王の娘・ライラ=イスタリーは視線をそらしてはっきりと言った。
 先代魔王に従っていた者のほとんどはそのまま今の魔王についてきた。しかし、当の魔王自身が何もしないので困り果てているのが現状である。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。先代魔王の部下達が勝手にライラを魔王に仕立てあげてしまったのだから。
「魔王様、『イヤ』ではなく、ご命令を……皆、魔王様が動かれるのを待っております」
 ライラを魔王に仕立て上げた一人であるこの男が、どれだけ言ってもライラは動く気配一つ見せなかった。それどころか不機嫌なライラに睨まれてしまった。
「アタシ言ったわよね? 『魔王』って呼ぶなって。好きで魔王になったわけじゃないし。それに魔王って男じゃないの。アタシ女の子なんだけど?」
 苛立ちを隠そうともせずに淡々と喋る様は、さすが魔王の血を引いているだけはある。声や表情だけで背筋に汗がつたうのを感じる。
 男は小さく息を飲むと、ゆっくりと口を開いた。
「では『魔王女様』とお呼びいたしましょうか」
「ふざけんなーーーーーーーーーーーーーーー!」
 ちゃぶ台をひっくり返したい衝動にも駆られたが、そんなものがあるはずもなく、手元にあった花瓶を投げつけることで我慢した。
 器用にそれを避けた男に、余計腹が立ったのか、ライラは本やらクッションやら手当たり次第に投げつけた。
「大体ッ! アタシじゃなくて弟にでもやらせれば良いでしょ! 長男なんだから問題ないはずよ!」
 飛んでくるもの全てを避けながら男は必死に言葉を返した。
「御言葉ですが魔王様。長男とは言えまだ幼すぎるかと……」
 平然とした顔で避ける様が気にくわないらしい。ライラは手元にある投げられるものがなくなると、座っていた玉座を持ち上げた。投げつけるつもりらしい。
「アタシにだって早いっつの! どこの世界に十三歳の魔王がいるっつーの!」
 ライラが玉座を投げつけようと振りかぶったが、それが投げられることはなかった。
 大きな音を立てて扉が開けられた。
「魔王様大変ですっ! ついに勇者の剣を抜いた者、が……?」
 部屋に飛び込んできた部下は、玉座を投げようとしている魔王と、標的にされている上司という光景に目を疑った。
 突然の報告に、ライラは玉座を手にしたまま首を傾げた。
「勇者の剣って……何それ?」
 目の前の光景に呆然としていた部下は、魔王の声でようやく我に返った。
 報告でへまをしたら、その玉座が自分に飛んでくるのではと言う恐怖を感じながら、必死に言葉を探した。
「はい。何でも初代勇者が城下町に突き刺し、真の勇者にしか抜けないと云う伝説が残っているものだそうです。それを抜いた者がついに現れたとのことです」
 話が終わる頃には、ライラの苛立ちもどこかへ消えたらしく、玉座は元の位置に戻っていた。
 特に興味がそそられる話題でもなく、相変わらず退屈そうな表情で玉座に身を沈めていた。
「しかも、それを抜いたのが先代の勇者の子らしく……」
 魔王が聞いていないとしても、この場には上司もいるので最後まで報告するのが義務だと思っているらしい。部下は覚える必要もないような勇者の名前を記憶からたぐり寄せた。
「たしか『マリュ=グラウニー』と……」
「ちょっと!」
 部下の言葉が終わるよりも先に、ライラはその首に掴みかかっていた。いつもとはまるで違う様子に困惑する部下をよそに、ライラは更に詰め寄った。
「それ嘘じゃないわよね? 勇者ってことはここに来るのよね?」
「は……はい」
 かろうじて絞り出した返事に、ライラは満足げに手を離した。どこか夢心地な足取りで玉座まで戻ると深く身を沈めながら、小さく息をついた。
 その瞳に退屈の色はなかった。
「ここに来るってことは、会えるんだ……マリュに」
 数年前の約束がもうすぐ果たされる。

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