空が見えなかったからと言う言い訳は通用しない。
 マリュが目を覚ましたのは、日が昇り空がもう青に染まりきっている頃だった。簡単に言うともうすぐ正午だった。
 その鮮やかな髪が地面に着くのではないかと思うほど、深々と頭を下げていた。
「……ごめんなさい」
「疲れていたんだから仕方ないよ」
 謝るマリュをウェルは笑いながら許した。
 いきなり勇者にされ、翌日の夜明け前に城を発ち、ほぼ一日中歩き詰めだったのだから。今まで学生としての生活を送っていたマリュが、いつもより疲弊していても当然のことだ。
 それでも謝らずにはいられなかった。
 早く魔王討伐を終わらせようと、早く皆に安心して貰おうと。そう思っているはずなのに。
「それならマリュ。謝るよりも早く準備を済ませて、この場を発とうか?」
 言われてようやく思い出したかのように、マリュは慌てて荷物をまとめだした。起きた時から謝り通していて、準備は何一つ整っていなかった。
 そんなマリュの様子を楽しそうに眺めながらウェルは火の始末をした。
「心配しなくても、もう半分も距離は残っていないよ」
 昨日は随分歩いたからねと笑いながら付け足した。それはつまり、今日一日歩けば魔王の元に着いてしまうと言うこと。
 思わずマリュの手がぴたりと止まってしまった。
「……そんなに近いところにいるの?」
 最終目標が魔王討伐であるのはわかっている。けれど、心の準備は何一つとして出来ていない。自分が勇者だという自覚も、自分が魔王を倒すのだという自覚も。たどり着くまでの間にどうにかしようと思っていたのに。今日中にもう覚悟を決めなくてはならない。
「近い……そうだね、過去の魔王に比べると随分近いところにいるね」
 さして気にした様子もなく、「近い方がこちらにとっては都合もいいだろう?」とウェルは笑った。確かに都合は良いのかもしれない。けれどそんな都合を考えられる余裕が今のマリュにはなかった。
 妙に心臓の鼓動が早くなってきた。自分でも緊張しているのがよくわかる。
 いま、改めて自分がこれからすることの大きさに気付いた。あまりにも今更なこと。どうして今まで気にしなかったのだろう。
 自分に魔王討伐が出来るのだろうか。
 不安は着実に増していく。ふくらみ、ふくらみ、どこまでも大きくなってしまいそうだった。
 顔から血の気が引き、カタカタと震え出す。
 魔王を前にしていない状態でこんなに震えているのに。不安に今にも飲み込まれそうなのに。どうして勇者に選ばれたのが自分なのだろうか。
「……マリュ」
 ウェルの呼びかけさえ耳に届かないくらい、マリュは必死だった。今にも自分を見失いそうになっていた。目の前にウェルが立っていることに気づけないほどだった。
「…………え」
 現実に引き戻されたのは、あまりにも簡単な理由。
 やわらかな感触。ほのかなあたたかさ。額に触れるそれは……
「ッ!!」
 額から離れた後にも関わらず、マリュは大げさなほどに身を退いた。真っ赤になりながら額をおさえ、何か言おうと口を開きかけた。けれど言葉が出てこない。その様子を見て、ウェルは楽しそうに笑顔を浮かべた。ミントブルーの瞳は悪戯っぽく光っていた。
「緊張していたようだったからね。簡単なおまじないだよ」
 目の前にいるのは誰かよく似た別人なのではないかと思ってしまった。それくらいマリュの頭は混乱していた。けれど、不安はどこかに消え去っていた。

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