水晶の割れる音が盛大に響いた。
 一瞬前までがあまりにも静かだったせいで、いつにも増して大きな音に感じられた。
「どうなさいましたか。魔王様」
 水晶を落とし、割った張本人である魔王に声をかけたが、返事は聞けなかった。真っ青な顔で小刻みに震えているのはわかったが、何故なのかは予想出来なかった。
 そして声をかけた側近自身も答えを求めているわけではなかった。何かがあったようだから声をかけただけ。配下としての形だけの行動だった。
 彼が考えていたことはせいぜい「後で水晶を片づけさせなくては」程度だった。
 けれどライラは、誰に押しつけられるかわからない仕事を更に増やした。割れた水晶の欠片を踏みつけたのだ。欠片が煌めきながら宙を舞う姿は幻想的ではあった。
「……何。あの金髪は」
 幻想的な光景を創り上げた張本人は、いつもより低い声を絞り出した。その表情は怒りや苛立ちと言った感情に満ちていた。
 ライラが割ったのは、昨日配下の者に作らせた水晶玉だった。念じることにより、水晶の中に望むものを映し出すことが出来る。ライラが、マリュが今どこまで来ているのかを見るためだけに作らせたものだった。
 一心不乱に水晶の中を覗き込む魔王は、いつも振り回されている側にしてみれば有り難いくらい静かだった。
「金髪、ですか?」
 自分で作り上げた静寂を自分の手で壊した魔王に、男は聞き返した。
 ライラは怒りを足下の水晶にぶつけていた。けれど、それでも足りないらしく声に感情がにじみ出ていた。
「あの金髪の男……ッ! 何様のつもり? マリュに手出してッ! 唇じゃなきゃ許されるとでも思ってんのかしらっ!」
 足下に散らばった水晶の欠片は見事なまでに粉々にされていた。相当腹立たしいらしい。
 魔王の行動を眺めながら男は思い出したかのように呟いた。
「……そういえば、国王も金髪でしたね」
 この国には金の髪を持つ者は少ない。おそらく国全体を見ても数えるほどしかいないだろう。その数少ない金髪の持ち主の中に王族がいた。
 そんなことを思い出し呟いただけで、言った本人も実際に国王だとは思っていなかった。
「そう。国王……国王だから何をしても許されると思ってるのね?」
 けれど、ライラの耳には『国王』という単語が届いただけだった。国王も金髪らしいという情報ではなく、国王かもしれないという予測でもなく。マリュに手を出したのは国王だと勝手に思いこんでいた。
 ライラの思いこみを訂正するでもなく、ただ一言「そうかもしれません」と煽るような言葉を口にした。
 それだけで十分だった。
 口元に笑みを浮かべながらライラは玉座に深く腰掛けた。その姿は十三歳の少女ではなく、魔物の頂点に立つ者の姿だった。
「……良いわ。皆が望んでいたことをしてあげる」
 理由は誰の予想も理想も裏切るけれど。それでも、魔物達の望んでいた言葉が魔王の口から紡がれた。
「皆に伝えなさい。ライラ=イスタリーが命じるわ。勇者を今すぐここに連れてきなさい。共にいる国王の生死は問わない。けれど勇者は無傷でここへ」
 聞きようによっては、魔王直々に勇者を手にかけるとも取れるだろう。魔物達の志気を上げるには十分だった。
 魔王唯一の側近は深々と頭を下げ「御意」とだけ答えたその顔に、初めて表情らしいものが浮かんだ。その口端が上がっていたことを、誰も知らない。

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