マリュは部屋を間違えたんじゃないだろうかと思った。
 廊下以上に色が溢れている花たち。妙に明るい照明。こんなところに魔王がいると言われて誰が信じるだろう。
 それでも広い部屋の奥に玉座が見え、間違えていないことを知り安堵した。遠くて座っている魔王の姿はよく見えない。
 魔王が目の前にいるという緊張が今更込み上げてきた。
 自分に果たして何が出来るのか。勇者として働けるのか。魔王を倒すのか。それとも倒されるのか。何故自分が勇者なのか。様々な想いが頭を駆けめぐった。
 震える手を見て、深く息を吐いた。気休め程度にしかならないだろうが、それでも少しは落ち着くだろう。
 魔王を前に見据えた。出来れば倒したくないと言う気持ちは未だ変わっていない。それでも剣を抜かなければいけないだろう。初めて手にしたあのとき以来ずっと鞘に収まっている勇者の剣。そっと柄に手を伸ばしてみたが、やはり抜く気にはなれなかった。
 随分悩みもしたが、マリュは改めて一歩踏み出した。
 一歩一歩ゆっくりと魔王に近づく。徐々に魔王の姿がはっきりとしてきた。最初は玉座に誰か座っている程度の認識だった。その誰かが思ったより小さいことがわかった。思ったよりどころか随分小さい気がしてきた。
「……マリュ」
 お互いの姿が確認出来る距離に来て、初めて魔王が口を開いた。
 少し低いアルト。癖のあるダークネイビーの髪。気の強い灰色の瞳。その声、その姿、絶対に忘れない。忘れられない。
「ライ、ラ……?」
 大切な幼なじみだと。一番の友人だと。ずっとそう思っていた相手。ずっと会いたかった親友。
 予想外の再会に言葉を失っているマリュを余所に、ライラは玉座から立ち上がるとマリュに駆け寄り飛びついた。腕に少しだけ力を込め、幸せそうに笑った。
「久しぶり! ずっとずっと会いたかった!」
 少し戸惑っていたマリュも嬉しそうに笑って抱き返した。
「私も会いたかったよ!」
 何年も会えず、何年も連絡出来ず、それでも互いに忘れることはなかった。過ごした時間は短くても、忘れられないくらい深い時間だった。
 二人は再会の喜びを分かち合うと改めて互いの姿を確認した。
「ライラ、背高くなったね。あの頃は同じくらいだったのに、今は全然違う」
「マリュは昔から可愛かったけど、もっと可愛くなったわね」
 その言葉でマリュは真っ赤になって「もーっ!」とふくれていたが、恥ずかしさより再会の喜びの方が上らしい。声が笑っていた。
 マリュの様子に満足したのか、ライラは何度か頷くとマリュの腕を引いて歩き出した。
「一緒にご飯食べよ! お腹空いてるでしょ?」
 すっかり忘れていたが、ライラの言葉で思い出した。そういえば今日はまだ何も食べていない。
 そのことを知っていたライラは、マリュの返事も聞かずに玉座の裏へと引っぱっていった。そこにはテーブルと、すでに並べられている料理があった。
 マリュを半ば無理矢理席に座らせると、ライラはその正面の席に着いた。
 ここまできて食べないと言い張る理由もない。それに久しぶりのライラとの食事だ。断るどころか、こちらからお願いしたいくらいだった。
 食事を取ったことで頭に栄養が回ってきたのだろうか。すっかり忘れていたことを思い出した。
「ねぇライラ」
 料理を口に運ぶ手を一度止め「どうしたの?」と笑顔のライラが先を促した。
「魔王はどこにいるの?」
 ここに来た理由はライラとの再会を喜ぶためではない。確かにそれは嬉しかったが、元々別の目的があったはずだ。魔王討伐という勇者としての目的が。
 マリュの疑問に何でもないように答えた。それこそ世間話でもするように。
「あー、それアタシなの」
 言葉が耳に届かなかった。
 正確には、耳には届いていたが頭まで伝達されなかった。途中で何かの間違いだろうと思い、伝達するのを止めてしまった。
 ライラは意味がわかっていないマリュのためにもう一度言った。今度ははっきりと。
「アタシ魔王なの」
 聞き取れたけれど。脳まで伝わっているけれど。それでも理解が追いつかない。
 マリュはライラを見つめたまま何度かまばたきを繰り返した。
「えぇ?! だってライラ十三歳でしょ?! それなのに魔王で世界征服したいの?!」
 立ち上がり身を乗り出すようにして叫ぶマリュに「落ち着いて」と声をかけてから、ライラは一口だけ水を飲んだ。
「マリュもアタシと同い年で勇者でしょ? 人のこと言えないわよ」
 小さく声を上げて笑われ、そう言われてみればそうかと少し恥ずかしくなった。紅くなったマリュを横目に、ライラは言葉を続けた。
「それにアタシ別に世界に興味ないし。ま、魔王にも興味はないけどね」
 自分と同じようなものだろうかと思った。マリュと同じように成り行きで魔王になってしまったのだろうか。首を傾げているマリュにライラは「ご飯冷めるよ」と声をかけた。マリュは小さく頷き、さっきまで食べていた料理に手を付けた。
「ねー。魔王に興味ないんだったら、どうして魔王になったの?」
「父さんが先代の魔王だったんだって。迷惑な話よねぇー」
 マリュの頭の中では、ウェルとライラは似ているんだなと考えられていた。人間と魔物という違いはあるが、どちらも父親が亡くなり王位を継いだことには変わりない。
 そんなことを思いながら食事を進めるマリュの頭に、ふと一つの考えが沸いてきた。
「……ライラって魔王だけど、別に悪いこととか考えてないんだよね?」
 悪いことと言うのも曖昧な表現だ。けれどライラにはそれでマリュの言いたいことは大体通じた。
「特に城を落としたいとか、人間を苦しめたいとかは考えてないわよ」
 無理矢理魔王にされたけれど、形だけの魔王を演じるつもりもない。ライラはそういう子だった。無意味に攻め込んできたりはしない。マリュの中には確信としてそれがあった。
「ライラッ!」
 食べている時間さえ勿体なく感じ、マリュは席を立った。少し驚いていたライラに、マリュは抱きつきそうな勢いで詰め寄った。
「魔王を倒さなくても良いんだよ!」
 ライラはぼんやりと、魔王とは自分のことなんだからそりゃ倒されたら困るなぁと思った。
 理解しきれていないライラの腕を掴むと、マリュは走り出した。玉座の横を通り過ぎ、扉の方へ真っ直ぐと。
「ちょ、マリュ! 待って、待って。ちゃんと説明してくれない?」
 慌てて掴まれていた腕を引くと、マリュは「あ。ごめんね」と言いながら腕を放した。そしてもう一度笑顔を浮かべライラに向き直った。
「ライラがウェルに『何もしない』って事を伝えてくれたら、全部解決すると思うの。だから、一緒にウェルのところまで来て欲しいなぁって」
 他の誰でもないマリュの頼みを断る気はない。当然ここは了承するべきところだった。けれどライラにはどうしても引っかかるところがあった。
「ねぇ、マリュ。ウェルって誰?」
 聞き慣れない名前。その名前から妙なものを感じ取った。
 ライラの質問の真意など知るはずもないマリュは無邪気に答えた。
「あ、そっか。ウェルじゃ通じないよね。えっと、王様の名前……というか、愛称なのかな?」
 ライラの中にある王様は、マリュに手を出した不届き者だった。そんな奴の名前をマリュが愛称で呼んでいるらしい。
 口元にだけは笑みを浮かべ「ふーん、そう。王様ね……」と小さく呟いた。
 マリュの頼みを聞くとなると、国王と表面上だけでも友好的にしなければならない。それはおそらく無理だろう。
 押し黙ってしまったライラを心配し、マリュが顔を覗き込もうとした。そのマリュの背後で扉が開いた。
「マリュ! 大丈夫か!」
 振り向かなくても、声だけで誰かすぐにわかった。ライラの心配をしていたマリュは、嬉しそうな笑顔で振り向いた。
 アプリコットの瞳に映る色は黄金。
「ウェル!」
 それは単純に、ライラを連れて行こうと思っていたらウェルの方から来てくれたから喜んだだけ。一言で言うならば「ちょうど良いところに!」だった。けれど、マリュの喜びを正しく理解する者はこの場にいなかった。ライラは再会を喜んでいるのだとショックを受け、青くなっていた。
「……マリュ、魔王はどこに?」
 魔王らしき姿が見えず、ウェルは正直拍子抜けしてしまった。それでも表情にほとんど出ないところはさすがだった。
 そう言えば二人とも初対面だったなと気付くと、マリュは言葉を選びながら二人を紹介した。
「この子が、ライラ=イスタリー。魔王で……」
 マリュの言葉が終わる前に、ライラはマリュをかばうように一歩前へ出た。
「アンタが国王ね?! 言っておくけど容赦はしないわ!」
 両手を腰に、真っ正面から宣戦布告を口にした。
 もっともこれは、魔王として国王に対しての宣戦布告ではない。マリュの幼なじみとして、不用意にマリュに手を出すと容赦はしないと言う意味だった。しかし、正しく伝わったはずがない。
 マリュは「悪いことしないって言ってたのに!」と目を丸くして驚いていた。ウェルは剣を構え、ライラを鋭く睨み付けた。
「今すぐマリュを返せ!」
 ライラがマリュを人質に取っていると思いこんでいた。
 誰一人として発言の意味を正しく受け取れていなかった。そして、自分の間違いに気づけなかった。
 ウェルの言葉を『人質としてのマリュ』を放せと言っているのではなく、『一人の女の子としてのマリュ』を寄越せと言っているのだと思いこんだ。ライラの中で何かが切れた。
「……マリュ。危ないから少しさがってて」
 小さく、低い声。違和感を感じもしたが、ライラの頼みを断れるマリュではなかった。小さく頷いてから数歩後ろに下がった。
 国の命運ではなく、マリュを賭けた戦いを始めようとしていた。それは『魔王vs国王〜勇者争奪戦〜』だった。
 けれど、それは許される争いではなかった。
「え」
 争いを遮るかのようなタイミングで、地が大きく揺れた。立っていることもままならないほどの揺れ。地震かと思ったが、マリュは「違う」と思った。どこが違うと聞かれても困るが、はっきりと違うと感じた。
 音を立てて崩れ始める天井。瓦礫が降ってくる中、ウェルはマリュの元へ駆け出した。それを阻止しようとしたライラの目に映った姿はウェルでもマリュでもなかった。
「ここは危ないから一旦外に出よう!」
 ウェルに手を引かれ走り出そうとしたマリュは気付いた。幼なじみで親友で魔王のライラのことを。
 走りながら、目はライラを探した。探すまでもなく、すぐにライラの姿を捕らえることが出来た。
 ライラの正面に誰か知らない男が立っていた。けれどそんなことどうでもいい。崩れようとしている建物の中にライラを置いていけない。それだけが問題だった。
 だから、崩れる音の中で二人が何か話をしているなんてマリュは気づけなかった。

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