日は落ち、辺りは闇に包まれていた。闇の中に唯一つ、やけに綺麗な月が浮かんでいた。目の前の光景は月明かりの元、はっきりと確認することが出来た。 崩れきった魔王城。暗くてわからないけれど、瓦礫しか見えない。 ウェルに腕を引かれ、途中ナリアと合流し、魔王城から随分離れた場所へと避難した。 魔王城の中にいたであろう魔物達がどこかへ非難出来たかどうかもわからない。けれどナリアが言うには「天井が崩れ始めた途端、魔物達はどこかへ逃げていきました」とのことだった。おそらく、無事ではあるのだろう。 瓦礫と化した魔王城を眺めているマリュはまるで魂が抜けたように呆然としていた。 ライラを置いて逃げ出してしまった。 逃げる時に気が付いたけれど、ライラの周囲には結界が張られていた。結界が張ってあれば天井が崩れても無事かもしれない。けれど、足下が崩れたら? 結界ごと下敷きになったら? そうなっては、結界が張ってあっても無事では済まない。 ひょっとしたら彼女も崩れる魔王城から逃げたかもしれない。そうは思っても、確証がない。 せっかく再会を果たしたのに。 「…………ちがう」 泣きそうになった自分の頬を軽く叩いた。 泣くのも悔やむのも違う。だってまだ自分は何もしていない。 もし逃げていなかったのなら、瓦礫の中にいるはずだ。探しもせずに決めつけるのは違う。間違っている。泣くのも悔やむのも、動いたあとで十分だ。 瞳に浮かぶのは絶望ではなく、希望。 先程まで呆然としていたマリュが突然駆け出した。そのことに驚きわずかに出遅れたが、ウェルはすぐにその腕を捕まえた。 「待ちなさいマリュ!」 「いやっ!」 力の差が歴然としていても、それでもマリュは必死に振り解こうとした。ただただライラが心配で。 暴れるマリュを落ち着かせようとウェルは声を張り上げた。 「魔王城は崩れたんだ! 魔王も潰された! これで平和になるんだ!」 ちがう。 胸が詰まった。奥から何かが込み上げてくる。 「マリュはこの国を救った! 勇者としての使命を果たしたんだ! もう十分だから、これ以上は……」 「違うっ!」 ウェルの言葉を遮るようにマリュは大声で叫んだ。 泣きそうな声。けれど、声は震えていない。涙は流れていない。きつく拳を握り、ただ悲しそうな表情で俯いているだけだった。 「ライラを……ライラ一人も守れないのに勇者だなんて間違ってる! こんなの国を守ったなんて言わない!」 まるでマリュの叫びを合図にしたかのように。マリュの遥か後ろ、おそらく瓦礫となった魔王城の更に向こう。そこから咆哮とともに魔物の群が飛び出した。 大きな竜を先頭とし、空を飛べる魔物達が続いていく。飛べない魔物は飛べる者の背に乗り、空へと飛び立っていく。 夜空へと羽ばたく魔物達を、三人は呆然と眺めていたが、マリュが小さく声を上げた。 「……ライラっ?」 先頭を飛ぶ竜の頭に、ライラの姿を見つけた。 光は月明かりだけ。地上と空、距離は遠い。それでもマリュにはライラだとわかった。理由を問われても答えられないが、マリュにはライラを間違えるはずがないという自信があった。 確実にライラだと思った。けれど違和感があった。ライラであってライラではないような違和感。 マリュが違和感の正体に気付くよりも先に、魔物の群が遠ざかっていった。ライラを先頭にしてどこかへと向かっているようだった。 「……どこへ行くんでしょうか?」 ナリアの小さな疑問で、マリュは我に返った。 ライラは魔王という仕事に興味がなさそうだった。そんな彼女が魔物を引きつれどこへ? ここはフェイラ王国北部。そこから真っ直ぐ南へと下ると何があるか。 「城下、か」 考えるまでもなかった。この国の中心部。そこには国王不在の城がある。将軍不在の国軍がある。そして多くの民がいる。 ウェルの呟きとほぼ同時にナリアは真っ青な顔で立ち上がった。その顔には緊張が走っていた。 「早く城下へ向かいませんと……多くの被害が出てしまいます! 王様、マリュさん、急ぎましょう!」 ナリアの言葉に二人は頷いた。けれどすぐにでも駆け出そうとするマリュとは違い、ウェルは走ろうとしなかった。 「けれど、ナリアだけ先に行ってくれないか」 突然の言葉に目を丸くするナリアと、何か言おうとするマリュを余所に、ウェルは言葉を続けた。 「今は一秒でも早くこのことを報せたい時だ。出来れば魔物が城下に着くよりも先に報せたい。ナリアならそれが可能だろ? 頼まれてくれないかい」 マリュやウェルがついていては、ナリアはそのペースに合わせて走らなければならない。それでは報せるのが遅くなってしまう。 つまり眠らず休まずに城まで全力で走ってくれと言う頼みだった。 無茶苦茶な頼みだと気付かないのか、ナリアは力強く頷いた。 「はい! 王様の命とあらば、この将軍ナリア=ハリエス、全力で走らせていただきます!」 言い終わるよりも先にナリアは走り出していた。 背中を見送っていたが、数秒もせずに見えなくなってしまった。被害を最小に押さえることは不可能ではなさそうだった。 「マリュ。僕らも行くよ」 そう言って差し伸べる手。普段なら何も考えずにその手を取れただろう。けれど、今のマリュには何故かそれが出来なかった。 小さく「うん」と頷き、歩き出した。ウェルの手を取らずに。 「ナリアが頑張って走ってるのに、のんびりなんかしてられないよね。急ごう」 目を合わせることさえ何故かためらう。 少しだけ目を伏せてウェルの隣を通り過ぎた。足は真っ直ぐ南へと向かっていた。 月が輝いていた。けれど、星が一つも見えない。不思議な夜だった。 |