小さい頃から聞かされ続けた。それをいとこ達は「ただのお伽話だ」と馬鹿にした。けれどナリアにとってそれはお伽話でも伝説でもなかった。いつしかそれは『夢』となっていた。 子供が抱く憧れではなかった。 話を聞く度に、身体の中を流れる血が騒いだ。ドキドキした。想いが止まらなかった。 憧れでは済まない感情。ただの夢では終わらない想い。叶えるための努力は怠らなかった。同じ年頃の子供が遊んでいる間も、脇目もふらず文武を極めようとした。 そんなときに、魔王が現れた。魔王出現を聞いた時。国中が恐怖で震えた時。ナリアは不謹慎だと思ったが、喜びにうち震えていた。真夜中に、誰よりも最初に、駆け出した。 夢を叶えるために。勇者になるために。 真夜中の城下町は人の気配がまるでなかった。昼間は人が賑わう広場も、人影一つなかった。灯りは夜空で輝く星たちだけだった。けれど、ラベンダーの瞳は星よりも輝いていた。その瞳の中心にあるのは突き刺さったままの勇者の剣。 心臓の鼓動が早くなるのを感じた。それは夜の町に対するものか。それともこれから勇者になると言う期待からか。 おそるおそる伸ばした手が、剣を引き抜くことはなかった。 全ての力を振り絞った。何度も引き抜こうとした。腕が抜けてしまうのではないかと思うほどに。 それでも、抜けることはなかった。 ふらふらと家に帰るとひたすらに泣いた。親に何か尋ねられた気もしたが、そんなことが耳に入らないくらい泣いた。 ナリアの中には不思議な自信があった。 絶対に勇者になれると思っていた。これほど勇者になりたいと思っている人は他にいないと思っていた。勇者になるためにこれほど努力している人はいないと思っていた。勇者と同じ家名を持つ自分なら絶対なれるのだと思っていた。それらはぼろぼろと崩れて涙として外に流れていった。 この家は、勇者の血を引いている。どこまで本当かわからない言葉を信じていた。 けれど、勇者にはなれなかった。 それどころかナリアの信じていたものを全て壊すような出来事が起きた。 勇者の剣も抜けなかった男が魔王を倒してしまった。魔王を倒した男は『勇者』と呼ばれた。そんな勇者をナリアは認められなかった。認めたくなかった。 だから、信じることにした。 いつかまた魔王が現れたとき。剣を抜く『真の勇者』が現れることを。 本当は自分がなりたかったその姿。自分にはなることが出来ないその姿。その出現を、活躍を、間近で見たい。 壊された夢の変わりに出来た夢。言えば誰もが馬鹿にする夢。それでもナリアは真剣だった。真剣に夢を見ていた。 夢を叶えるための努力は苦にならなかった。いつか現れる勇者に近づくために、ナリアは真っ直ぐ上を目指した。 士官学校に入ることを決めるのに、二代目勇者の活躍からそう時間はかからなかった。 最年少入学だとか、最短卒業だとか、そんな言葉は別に必要なかった。夢が叶うかどうかだけが問題だった。ずっとそう思っていた。その考えが少し変わったのは卒業試験を目前に控えていた頃。 そのときに出会った少年は美しいミントブルーの瞳をしていた。彼の言葉で世界が変わった。 彼の言葉で、恋に落ちた。 けれどそれは叶うはずがない。相手は一国の王。それでも彼に近づきたくて。夢を叶えたくて。ひたすら上を目指し続けた。 そうしてついに現れた『勇者』は、自分と同じ年頃の少女。 やっと現れてくれた喜び、出会えた嬉しさ、それから驚き悲しみ悔しさ。色々な感情が駆けめぐった。それでも抜きんでていた感情は『信じ続けた勇者が目の前にいる感動』だった。 目の前に現れた勇者は少し頼りなかった。けれど時折見せる表情が、瞳が、不思議と不安をかき消した。彼女にならば全てを任せられる。そう思っていた。そう思っていたのに。 「マリュさん」 振り返った少女の瞳は揺らいでいた。 何が不安なのだろう。何が心配なのだろう。何もわからなかったけれど、助けになりたかった。彼女は間違いなく勇者だから。初めて会った時に身体中の血が騒いだ。幼い頃に勇者の物語を聞いた時と同じように。 本物の勇者の手助けを出来たらどれだけ素敵だろう。 それでもためらいがあった。気になることが、あった。 おそらく国王は勇者に着いていくのだろう。それは半ば勘のようなもの。確証はなかったが、自信はあった。 想像するまでもなく危険が伴う場。そこに国王を連れて行くわけにはいかない。彼に何かあっては大事どころではない。好きだから、ではない。国王だから。 彼が着いてこられないように。勇者に「日の出前に、誰にも内緒で」と提案した。彼女が何を思ったのかはわからない。けれど快く承諾してくれた。 翌日の日の出前。辺りは薄暗く、静かだった。風の音さえ聞こえない、寒くなるほどの静寂。まるでゴーストタウンのような城下町。 「……不気味、ですね」 声を抑えたつもりだったが、響いて聞こえた。 剣がもう突き刺さっていない広場は、異様なほど物足りなかった。 「……ナリア。どこからお城にはいるの?」 問いかけにナリアは一つ頷いた。向かう場所は城の外。人が寄りつかない裏路地だった。辺りを警戒しながら声を潜めた。 「私が知っている隠し通路です」 城というのは大抵いくつかの隠し通路が存在する。突然攻め込まれた際の脱出経路として。 空が少し白んできた。もうすぐ日が昇る。けれど二人は陽の光を浴びる前に、隠し通路へと身を投じた。 予定では『明朝』だった。日が昇る頃にマリュの元へ行けば、誰かに見つかることはなく、止められることもなく、城へ向かえると思っていた。けれど戸をどれだけ叩いても反応がない。 |