隠し通路を通り抜けた先は日の当たらない地下倉庫だった。日が当たらない場所特有のカビが生えた匂いがした。匂いにも、じめっとした空気にも、文句を言うことはなかった。
 ここから玉座の間までは遠い。その間、出来うる限り魔物には会いたくない。
「どこに魔物がいるかもわからないこの状況では……」
「……そう、だよね」
 この地下倉庫に魔物がいなかったこと自体が奇跡に近い。これ以上を望むなんて出来るはずがない。
 マリュは小さく息を吐くと、顔を上げた。
 目の前にあるのは地上へと続く階段。ナリアの話では廊下に出るらしい。歩いて数十分の場所に玉座の間がある。おそらくライラはそこにいる。
 視線をわずかにナリアに向けると、彼女は力強く頷いた。なるべく音を立てないように、けれど素早く階段を上がると、まず周囲を見回した。白い内装は以前と変わらない。けれど、雰囲気が以前のそれとはまるで違った。
 とりあえず、見える範囲に魔物はいない。
「まずは、あの角を曲がってください」
 ナリアはそっと耳打ちをし、目的地への道を教えた。
 それに従い、角を目指してマリュが駆け出した。
「あ」
「え」
 マリュが曲がり角にたどり着く前に、そこから一人の魔物が姿を現した。背中に翼を持つ魔物。
 その姿を、マリュは知っていた。
「えっと……ティーガ、さん?」
 マリュを攫い、魔王の元へと運んだ魔物。彼の名前は確か、ティーガだった。別れ際に尋ねたその名前をマリュは忘れていなかった。
「何をしているんですかマリュさん!」
 マリュの腕を引き、ナリアは二人の間に割って入った。
 ナリアにとってマリュは勇者であり、ティーガは魔物。勇者と魔物が遭遇すればどうなるか、それは考えずともわかることだった。それなのにマリュは警戒もせずぼんやりと魔物を見上げていた。何をしていると言いたくなって当然だった。
「でもナリア……」
 マリュが口を開きかけた時、遠くから声が聞こえた。魔物の声。ナリアの声を聞きつけたのだろうか。聞こえる足音は大きい。
 ナリアに倒せない量ではないかもしれない。けれど、一度魔物の群と遭遇してしまえば、次々と援軍が駆けつけ無限に増え続けるだろう。ここは魔物の巣窟。下手なことは出来ない。
 目の前には一体の魔物。前後から魔物の足音が聞こえる。逃げようがない。マリュの手を引き、無理を覚悟で魔物の群を突っ切ろうかとさえ考えていた。
「こっちだ」
 腕を引っぱられたと思った次の瞬間には、部屋の中に放り込まれていた。状況を理解するよりも先に扉を閉められた。
 わずかに聞こえた音は鍵を閉める音。
 マリュと二人、部屋に閉じこめられた。
「っ!」
 状況を理解したナリアが声を張り上げ扉を叩こうとした。けれどそれをマリュが後ろから口を覆い、抑えた。
 マリュの行動が理解出来ずに何度かまばたきを繰り返すナリアに、声を潜めて耳打ちした。その声は妙に落ち着いていた。
「静かにして? じゃないと見つかっちゃうよ」
 小さく頷くナリアを解放すると、マリュは口元に人差し指を当ててにこやかに笑った。そして扉を指さした。
 そこから聞こえるのは魔物達の声だった。

「こっちから聞き慣れない声がしなかったか?」
 同僚の言葉にティーガは肩をすくめた。
 静かな城内ではナリアの声がよく響いたらしい。着々と魔物達が集まってきた。これだけの数がいては「気のせいだろ」では誤魔化せない。
 どうしたものかと思いながら、ティーガはため息を吐いた。
「……実は、な」
 妙に重々しい口調で、もったいつけるように口を開いた。
 同僚の視線が、耳が、こちらを向いていることを確認しながらゆっくりと言葉を続けた。
「……今夜の隠し芸で腹話術をやろうと思って練習を……」
 今夜魔物達の間で宴を開く。城を攻め落とした祝いとして。本当ならば昨夜開く予定だったのだが、休みもせずに飛び続けた魔物達のために昨夜は休養に充てたのだ。
 ティーガの周囲に集まっていた魔物達はどっと笑った。
「全く迷惑な話だな! 練習するならもっと隠れてひっそりとやれよ!」
「せめてもう少し声抑えてやれよなー」
「今夜が楽しみだな」
 口々に文句や冗談を言う同僚に「悪い悪い」と笑って返した。
 彼らが散り散りに去っていくのを横目で確認しながら、笑顔のままでこっそりと息を吐いた。
 別に勇者をかくまうつもりはない。そんなつもりでマリュ達を部屋に放り込んだわけではない。理由はもっと単純だった。
 魔王様の命令はあくまでも「勇者を無傷で連れてくること」だった。この場で勇者が見つかれば、早まった同僚が何をするかわかったものではない。だから部屋に放り込んだだけだ。
 自分にそう言い聞かせながら、ティーガは去っていく仲間達の背中を見ていた。もうしばらくは勇者達を部屋から出さない方が良いだろう。どうせティーガが連れて行かなくとも、鍵さえ開ければ自分で魔王の元まで行くと容易に想像出来る。
 彼は魔王の忠実すぎる部下だった。

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