遠い昔。幼い頃に知った。
「勇者の血には力がある」
 初代勇者は、操られていた魔王を助けるため自らの血を捧げたと言う。
「その血を魔王に浴びせることで術が解ける」
 術を使うには代償が必要。勇者の剣で、勇者の首を切ること、それにより術は発動。代償として血を捧げる。それはあまりにも大きな代償。この術を誰が作ったのか、今となってはもうわからない。
 初代勇者は命を懸けて世界を救ったのだと。
 そのことを知った時、幼心に思った。勇者なんて現れなければ良い。
 もしも勇者が現れることがあるのならば。そのときは絶対に隠し通そう。勇者も国民も、誰一人死なせない。
 将来王となる者として、一人の少年として、ウェルは心に誓った。

 隠し通そうとした真実を、勇者は見つけてしまった。そして、その命を懸けて国を守った。その命を懸けて魔王を救ったのだ。
「マリューーーーーーーーーーーー!!!」
 崩れ落ちたマリュにウェルは駆け寄った。周囲を気にする余裕もないほどに。
 黒幕だった男は瞳に驚愕の色を浮かべていた。マリュの行動が理解出来なかった。信じられなかった。自らの首を迷うことなく斬りつけた少女が。
「……命を捨ててまで救う価値があると……?」
 男の視線の先で、ウェルは震える手でマリュに触れようとしていた。触れるのがおそろしかった。触れた冷たさで、マリュの死を認めることがおそろしかった。
 触れられずに震えるウェルの前で、更におそろしいことが起きた。
「うー……くらくらするー……」
 いつもと変わらない声、変わらない仕草でマリュが突然起きあがった。死んだと思っていたマリュが。血にまみれた手で顔に触れようとして「あ」と気づき止めた。いつものマリュだった。
「…………マリュ? どうして……」
 呆然として誰も言葉を発せられない状況の中、ウェルが何とか声を絞り出した。
 その声でようやくマリュは周りを見回した。
「ウェル?! 何でここに?」
 周囲の一番の疑問に対する答えよりも、まず自分の疑問を口に出した。彼女は状況を理解出来ていなかった。
「……何故、生きて?」
 全てを知っていたはずの男が、皆に共通している疑問を口に出した。
 死んだはずの勇者が生きているという事実に恐怖さえ憶えていた。マリュはそのことを知ってか知らずか満面の笑みで答えた。
「勇者の伝説、全部知ってる?」
 答えにもなっていない答え。その続きをマリュはゆっくりと紡いでいく。
「初代勇者は魔王を倒し、その剣を広場に突き立てました。でも本当は操られていた魔王に自分の血を浴びせ、術を解いただけでした」
 マリュは楽しそうに笑いながら、男を見た。
「おかしなところ、あるよね?」
 そう。それはとてもおかしな話だ。
 男が口に出すより先に、ウェルが小さく呟いた。
「……死んでいては、剣を突き立てることは出来ない、か」
 そのことに気が付けば後は簡単だった。剣を突き立てるためにはどうすれば良いか。それは魔王の術を解き、生きて帰ってくること。そう、勇者の剣で首を切っても、死ななかったのだと考えれば良い。
「うん。だから、ひょっとしてーと思って。そしたら当たってたの」
 マリュは何でもないことのように笑っていた。自分がどれだけ危険な賭に出たのか自覚がないらしい。その様子に、ウェルは思わず深くため息を吐いた。
「……マリュ。もしその考えが外れていたらどうするつもりだったんだい」
 返ってくる答えは予想出来たが、念のためウェルは問いかけてみた。出来れば予想が外れていれば良いと信じて。
「どうするって……他の方法考えて……あ。首切ったら死んじゃうから考えられないんだっけ」
 そのことに気付いたマリュは思わず視線を逸らした。無理をしないと言ったが、それは嘘になっていた。申し訳ない気持ちや、嘘になってしまったという罪悪感が溢れてきた。
「……マリュ」
 いつもより少し低く、いつもより少し強い声。マリュは小さく肩を震わせ「……はい」と答えた。怒られるのだろうかと思った次の瞬間には、ウェルの腕の中にいた。
「……え、」
 抱きしめられていると気付くのに時間がかかった。けれど気付いた時には何も言えなくなっていた。耳元で小さく「あまり、心配をかけないでくれ」と囁く声に、いつもと違うことを感じた。
 マリュがどうすればいいのかわからずにいると、助け船がやってきた。
「アタシのマリュに何してんのよ! この変態国王!」
 自分がどういう状況にあったのかを考えるより先に、何故自分が血塗れなのかを気にするよりも先に、身体が動いていた。
 目を覚ましたライラにとっては、まず目の前の光景の方が問題だったらしい。
 ウェルからマリュを奪い取ると心配そうにマリュの顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 何もされてない?」
 何を心配されているのか理解出来なかったが、とりあえず「大丈夫」と返しておいた。
「それよりも、ライラは大丈夫? 頭痛かったりとかしない?」
「え、別に……」
 目覚めたばかりだからか、ライラは自分がどのような状況にあったかわかっていないようだった。それでもマリュは嬉しそうに「そっか」と笑った。
 これで全て円満に終えることが出来る。
「……ハッピーエンドになるとお思いですか?」
 場の雰囲気を壊すように、ずっと黙っていた男は小さく笑った。
 その笑顔でライラは大体のことを思い出せたらしく、かつての側近を睨み付けた。
「リオ、アンタまだ何かするつもり?」
「私は何もしませんが……」
 リオと呼ばれた男は小さく笑いながら扉の方を見た。そこにはマリュを追って扉の前までやってきた魔物達がいた。
 彼らが納得するだろうか。そして人間も、魔王を倒してないと知ればどうなるだろうか。
 二人の王が考えなくてはいけない問題。
「……質問良いですか?」
 控えめに手を挙げながら、マリュは小さく主張した。けれど小さいのは声だけ。
 真っ直ぐにリオを見据え、それから扉の外にいる魔物達に視線をやり。それからライラを真っ直ぐに見つめた。
「目的は世界征服、と言うか……えっと、この国を滅ぼしたかったんだよね?」
 何を今更尋ねるのだろうと言うような質問。この場でそんなことを確認してどうするのだろうか。そう思いながらも周囲はマリュの言葉の続きを求めた。
「それって、何が楽しいの?」
「……」
 魔王であるライラは、そもそもそんなことに興味を持っていなかったのだから答えようがない。魔物達の方へ視線をやったがまともな答えを返してくれる部下はいなかった。仕方なくリオの方へ視線をやると彼はため息混じりにこう答えた。
「別に楽しくはありませんが……しいて言うならば、人間が我々を迫害してきた復讐です」
 初代魔王もそうだった。恐れられ、迫害され続けた魔物達の上に立っていた。もっとも初代魔王は操られていたのだが。
 リオの返答を受け、マリュはしばらく黙り込んだ。それから思い出したかのように、蚊帳の外にされていたウェルに声をかけた。
「人間って、魔物が嫌いなの?」
「いや、そう言うわけでもないと思うんだけど……あえて言うなら、自分たちと違う存在だから、わからなくて恐いんじゃないかな?」
 自分たちと違う者を恐れるあまり、こんなことになってしまったのだろう。生き物は『異端』を嫌うものだから。自分たちと似ていて、けれど明らかに形が違う魔物を恐れていただけ。
 理由なんてものは、元をたどれば単純なもの。
「……でもね。人間だって一人一人どこか違うでしょ? 自分と違うから恐いんだったら、誰とも仲良く出来ないと思う」
 窓の外から差し込む光。その下でマリュはぽつりぽつりと自分の考えを口に出した。
「だから、魔物と人間も仲良く出来ると思うの。少なくても、私は仲良くしたいなぁ」
 魔物とも人間とも接したから。接しても違いを感じなかったから。確かに魔物は勇者に優しくなかったかもしれない。けれど人間の中にもマリュを嫌っている人はいる。そう考えると、二つの種族に違いはない。
 けれど、そんなことが出来れば全く苦労はないだろう。そう思ったのかリオは笑った。
「理想論ですね。もしそんなことが可能なら、私たちもこんなことはしていませんよ」
 マリュが言っていることは綺麗事で、理想論かもしれない。けれど、誰か試したことはあるのだろうか。試す前から無理だと決めつけていないだろうか?
 少し考えてからマリュは言った。
「でも、魔物の王様も、人間の王様もここにいて、すごい将軍様もいて……私は何も出来ないかもしれないけど、一応勇者だし」
 綺麗事で、理想論かもしれない、夢を。
「難しいとは思うけど……ひょっとしたら出来るんじゃないかなぁ?」
 どうだろうと首を傾げて二人の王に意見を求めた。
「……魔王はどうする?」
「マリュの頼みを聞かないはずないでしょ」
 勇者は嬉しそうに笑いながら部屋を飛び出した。
「私、ナリア連れてくるねー!」
 嬉しそうに走っていくその姿は、血に染まってはいたが春の日差しとよく似ていた。それは白い内装によく映えた。

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