4−お茶会と友人


 猫の少女と、公爵様が教えてくれた道を、ノクと二人で歩いていた。
 童話で読んだいかれたお茶会を思い出すと、頭が痛かった。ノク以上に会話が成立しない相手な可能性が高い。まともな人に会いたいとは言わないけど、せめてこっちの質問に答えてくれるような人であることを願いたい。
「アリス」
 少し前を歩いていたノクの声で、思考が引き戻された。
 もうお茶会に着いたんだろうか? そう思いながら顔を上げると、そこには壁があった。
 毛に覆われた、大きな壁、と言うのが一番だと思う。それが道をふさいでいた。
「……何コレ」
 そっと壁に触れてみると、思ったよりやわらかい。というか、あたたかい……?
 思わず小さな悲鳴をあげて壁から離れた。違う、これは壁じゃない。もぞもぞと動く壁を見ながら、気付いた。もっと早く気付いてもよかった。
「コレは壁じゃないよ。アリス」
 珍しくあたしの質問に答えたノクの声。相変わらずニヤニヤとした笑い声。耳に届いた声と、目の前にせまる大きく開けられた口から、ようやく自分の状況が理解できた。
 あ、食べられるんだ。

「あらヤダっ! お客さん?」
 薄暗いそこに似つかわしくない、甘く高い声が響いた。
 そちらに目を向けると、ランプのわずかな灯りを背にした人影が二つ。あたし達を見つめている気配があった。
「よぉーこそ、アタシ達のお茶会へ! 誰だかわかんないけど歓迎するわ。可愛いお二人さん」
「お茶会……? ここが?」
「そーよぉ! 楽しい楽しいお茶会よー」
 ランプの下に広がるものは、真っ白なクロスの敷かれた小さなテーブルと、色とりどりのお茶菓子と、綺麗なティーカップ。
 一つの疑問が浮かぶ。どうして、こんなところで?
 だって、ここは……
「そうですよお嬢さん。ここは私達三人で始めたお茶会です」
 しわがれた声が丁寧に言葉を紡ぐ。そして、深いしわの刻まれた手を差し伸べてくれた。
 戸惑いながらその手を取り、あたしはここに来たときのことを思い出す。どう考えてもおかしい。
「……あの……」
 さっき浮かんだ、消えない疑問を口に出した。
「どうして、食べられたのに、のんきにお茶会なんてしてるんですか?」
 あたしは間違いなくあの動物に食べられた。正確には丸呑みにされたけれど。今大事なことはそれじゃない。
 ここは何かの腹の中だということ。
「んー、お茶会をしたいからっ! て答えはダメだと思う? レプス」
 困ったようにすくめる肩の上で、赤い髪が揺れる。
 闇に慣れてきた目にうつった姿は、目のやり場に困るほど露出の高いお姉さんだった。彼女の視線の先、レプスと呼ばれた人が低く唸った。
「そうですねえ。三人でお茶会をするにはここしかなかったから、でどうでしょうかメラニー」
 真っ白なひげをいじりながら答えるその姿は、紳士と言っても差し支えがない男性だった。
 なんだか不思議な取り合わせだと思った。
 性別も、年齢も、まるで違う二人。共通点があるとすれば、二人とも帽子を被っているということくらい。レプスと呼ばれたおじいさんはシルクハットを。メラニーと呼ばれたお姉さんはミニハットを。
「三人って……あたしには二人にしか見えないんですが……」
 周囲を見回してみたが、お茶会の席には二人以外の姿が見えない。ランプの灯りが届かない奥にいるのかもしれないが、少なくとも見える場所には三人目はいなかった。
「君も見ただろ、アリス」
 後ろで黙っていたノクが、ふいに口を開いた。
「そうねえ。ここに来たんだから見てるはずよー」
 小さく首を傾げながら、メラニーが同意する。
「考えてごらん、お嬢さん」
 帽子で表情を隠し、レプスが問いかける。
 三人のいかれたお茶会。あたしには見えない三人目がいるのだろうか。そんな考えが一瞬頭をよぎる。
 けど、そうじゃない。
 童話の中で、お茶会のメンバーはどうなっていた?
 いかれ帽子屋と、三月ウサギ。それから、ヤマネ。
 目の前の二人はなんだろう。どちらも帽子を被っている。二人とも帽子屋、ではないだろう。では、どちらが?
 メラニーは、見方によってはバニーガールのように露出が高いとも言えるけど……それで三月ウサギと決めつけるのは早すぎる気がする。じゃあ、レプス? 確か、三月はウサギの繁殖期で過敏になってると聞いた気がする。失礼だけど、レプスはもう繁殖という言葉とは……
 二人の姿を見比べながら考え事を続けていたとき、もう一人のウサギの姿を思い出した。柄の悪い白ウサギ、ハイラム。
 彼の頭には真っ白な耳が生えていた。じゃあ、この二人には?
 メラニーの頭の上には小さな帽子が乗っているだけ。ハイラムのように耳が隠れるほど大きな帽子ではない。
 レプスは、頭を隠すように大きなシルクハットをかぶっている。その下に、ウサギの耳が隠れていてもおかしくない。
 この二人がいかれ帽子屋と三月ウサギだとすれば、三人目はヤマネのはず。ここで、そんな生き物見た覚えはない。ひょっとしたら、小さくて見逃した? いや、待って。ヤマネは本当にヤマネの姿をしているの? ノクが自分は猫だと名乗る世界なんだから、ヤマネが小さな動物であるとは限らない。
「……もしかして……」
 ようやく一つの考えに思い当たった。
 あたしが答えを口に出す前に、レプスは白いひげに覆われた顔で笑った。
「そう、私達はヤマネに飲み込まれたんです」
 ここに三人目はいない。けど、ここなら三人でいられる。
 それは間違いなく、いかれたお茶会。
「どうして、ヤマネはあたし達を飲み込んだんですか?」
 どうして、ヤマネの腹の中でお茶会をしているの?
 ヤマネとお茶会をするのなら、ここじゃなくても良いはずなのに。ヤマネの隣にいれば良いのに。
「それはわかんないなあ」
 メラニーが唇に人差し指をあてて、首を傾げる。
「ヤマネは変わっちゃったから、今のアタシ達にはわかんないのよー」
 どう変わったのかはわからないけれど、昔のヤマネどころか今のヤマネもよくは知らないけれど。ヤマネに食べられたかもしれないのに、どうしてこんなに危機感がないのだろう。どうしてヤマネとお茶会をするのだろう。
 次々と沸いてくる疑問が、口からあふれそうになる。
「アリス、探し物は良いのかい?」
 ノクの言葉で、疑問を飲み込んでしまう。きっと狙ってはいなかったのだろう。きっと、偶然そういうタイミングだっただけだ。
「ほう、何をお探しですか?」
「あの……物ではなく、人を探しているんですが……」
 そう答えるものの、ここにメアリ・アンがいるとは思えなかった。
 薄暗いヤマネの腹の中。ランプのわずかな灯りが届かないところは完全に闇だった。灯りの届かないところに人がいるとは思えない。
「メアリ・アンを、ご存じありませんか?」
 それでも、わずかな可能性に賭けて問いかける。
 いるわけない。けど、もしかしたら。
「あの子なら、もう帰っちゃったわよ?」
 少し、意外な答え。
 ここにいたけれど、もういない。
 お茶会に行ったとは聞いたけれど、本当にここに来たとは思えなかった。更に言えば、このヤマネの腹の中から出たことが、信じられなかった。
「どこに行ったかわかりますか?」
「ここからじゃあ、さすがになんもわかんないわねえ」
 当然だ。メアリ・アンが外に出たことがわかっても、ここからじゃどこに向かったかなんて見えるはずがない。
 これ以上は足取りを追うことは出来ない。そのことがわかって、深いため息がもれる。
 そもそも、行き先がわかったところで、追うことが出来ない。ここから出ないことには。
「少し言葉が足りないと思いますよ、メラニー」
 そう言ってレプスはあたしの顔をのぞき込んで、言葉を続けた。
「私達にはわからないけれど、魔女なら知っていると思いますよ」
「……魔女?」
 この童話に魔女なんていただろうか。
 自分のことさえ覚えてない記憶がどれだけあてになるかわからないけれど、魔女なんて出てきた覚えがない。
「ここにいるのよー。なーんでも知ってる魔女が」
 それでも、メラニーは魔女がいると、灯りの届かない奥を指さす。
 疑問はいくらでもある。
 そんな灯りの届かないところにどうして。魔女なんて信じて良いの。本当に何でも知っているの。
 いろんな気持ちが渦巻きながら、ぼんやりと胃の奥を眺めていた。姿の見えない魔女の方へ。
「そっちじゃないわよーアリスちゃーん」
「へ?」
 そっちじゃないてどっち?
 間抜けな声をあげて見上げると、メラニーはこっちこっちと言って真っ直ぐ下を指さす。指の先は小さなテーブル。その上にはお茶菓子とティーカップ。当然だけど、人が乗れる広さじゃない。というか、人が乗ってたら気付いてる。
「もう少し下だよアリス」
 ノクが示す先は、テーブルの下。そこだって人が隠れるほどの広さはない。
 首を傾げながらクロスをめくってみると、童話みたいな色のキノコが一つ。
「ご機嫌よう、お嬢さん?」
 煙管をふかしながら、メラニー以上に露出の高いお姉さんが、気怠そうにあたしを見上げた。
「ほらアリス。魔女だよ」
 魔女だというその人は、キノコの上に寝そべった、手乗りサイズの、人だった。
 人、というか……サイズどうこうの前に、下半身がどう見ても、人と呼ばれるものじゃなかった。一瞬、そういうドレスかとも思ったけど、下半身は一切隠していない生身のものだった。
「……芋虫、ですよね?」
「あら、虫はお嫌いかしら?」
 あたしの質問に、嫌な顔一つせず、紫煙を燻らせながら微笑んだ。
 嫌いとかではなく、自分の夢に対して頭を抱えたくなった。とは言えなかった。確かにこの童話に芋虫は出てきた気がする。でも、こんな形で出てくるとは思わないわよ。
「それで、何か聞きたいことがあったんじゃなくて?」
 紅い瞳を細め、魔女は言葉を促した。見た目は今までで一番異常かもしれないけど、中身は随分常識的だった。
「あの、メアリ・アンがどこに行ったかを知りたいんですが……」
 安堵の息と共に問いを吐く。魔女まで話が通じない相手じゃなくてよかった。
 魔女はわずかに目を伏せ、小さく「あの子ね」と呟いた。
「あの子なら城にいるわ」
「お城?」
 思わず魔女の言葉を反芻する。
「この国の、女王がいるところだよ」
 いつもの笑い声で、ノクが囁いた。
 女王。
 ハイラムの上司だという人。見たことはない。どんな人なのかも知らない。ただ、ノクが、言った。
 君が望むなら――
「!」
 突然の揺れ。一瞬地震かと思ったけど、それにしてはおかしな揺れ方。
 何が起きたのか理解する前に、あたし達は放り出された。

「アァ? 何してんだテメェ」
 聞いたことのある声が降ってくると同時に、肩の辺りを軽く蹴られた。慌てて飛び起き、声の主を思いっきり睨み付けた。
「人のこと足蹴にしないでよ!」
 視線の先のハイラムは、相変わらず不機嫌そうな表情であたしを見下ろしていた。笑顔のハイラムなんて想像したくないけど、もう少しその表情なんとかならないのかしら。
「すみませんが、そこの御方。少々よろしいでしょうか?」
 後ろからレプスが丁寧に頭を下げ、ハイラムに声をかけた。
 その声でようやく周囲を見回す余裕ができた。
 木々の合間から見える青い空。さっきまで暗闇にいたことが嘘みたいな明るさ。レプスとメラニーの困惑したような表情。きのこの上で相変わらず微笑んでいる魔女。不機嫌そうなハイラム。変わらない笑顔であたしの隣に立っているノク。
 それから、目の前に横たわる大きな、獣。
「ヤマネに一体何をなさったのか教えていただけませんか?」
 レプスの視線の先にいる獣――ヤマネは、ぐったりとして動く気配がなかった。
「ヤマネ?」
 ハイラムは眉をしかめてレプスの視線を追った。それから、横たわるヤマネを見て「ああ」と小さく頷いた。
「邪魔だったから腹に一撃入れてやった」
 悪びれもせず、当然だというような態度で告げるその姿に、何か言ってやりたかった。
 確かに道をふさいでるのはよくないけど。あたしなんて食べられたけど。それでも、いきなり暴力ふるうなんて!
 それにヤマネは、レプスとメラニーの友達なのに。友達が理不尽な暴力にさらされたなんて、そんなの……
「……だからヤマネは私達を吐き出したのですね」
 納得したように小さく頷くと、レプスはハイラムに頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。以後は道をふさがぬようにいたします」
「え?」
 思わずレプスとメラニーの顔を見比べてみたけれど、二人とも怒っても悲しんでもいなかった。
「いいんです、か? 友達が暴力ふるわれたのに……?」
「そうねえ……友達が傷つくのは確かに嫌なことよねえ」
 メラニーは少し困ったように笑った。
 それから、言葉を探すようにまぶたを閉じ、ゆっくりと言葉をつむいだ。
「でもお、ここでアタシ達が怒ったり泣いたりして、ヤマネが傷を癒せるかしら? ヤマネは、そんなことを望んでるのかしら?」
 まぶたを開け、まっすぐに微笑みかけた。
「アタシがヤマネなら、いらないわあ」
 一瞬、胸が痛くなった。
 あまりにも短い時間で、気のせいかとも思った。けど、確かに深く刺さるような痛みがあった。
 なんだろうと胸に手を当ててみたけれど、そこにはもう痛みなんてなかった。
「っつかオイ。テメェ、メアリ・アンはどうしたんだ?」
 声が聞こえると同時に後頭部をどつかれて、一気にあたしの意識は胸の痛みからそらされた。
「今探してるんだってば! っていうか、いきなり叩かないでよ!」
 振り返るとほぼ同時にハイラムに食ってかかる。
 どうしてもハイラムだけは好きになれそうもない。そもそも好きになりたくもない。
「んだよ、まだ見つかってねぇのかよ。トロくせぇな」
「自分で見つけられもしないくせに偉そうに言わないでよ! それに……」
 口に出しかけて、気がついた。
 そうだ、女王に会うと言っていたのに、なんでこんなところにいるんだろう?
「……お城に、行ったんじゃなかったの?」
「あ? これから行くに決まってんだろ」
 ハイラムの方が先に行ったのにとか、あたし途中で公爵様の家に行ったりしたのにとか、言いたいことはあったけど、それよりも。
「じゃあ案内してもらえるねアリス」
 ずっと黙ってたノクが相変わらず唐突に口を開く。
 そのことは、もう慣れてきたから良いけど。ノクの言葉を聞き、ハイラムが心底嫌そうな表情をしていた。相変わらず失礼だとは思ったけど、たぶんあたしも似たような表情を浮かべてるんだろう。
「目的地が同じなんだから、それが一番手っ取り早いだろ?」
 にやにやと笑うノクの考えは読めない。言いたいことはわかるけれど、了承はしたくない。
「……つまり、メアリ・アンが城にいるっつーことか?」
 舌打ちをし、面倒くさそうに頭をかくハイラムの言葉に、あたしは小さく頷いた。
「ったく、しょうがねぇな」
 隠す気もないため息をつくと、あたし達に背を向けてハイラムは歩き出した。理解が追いつかなくてその背中を眺めていると、ハイラムは睨み付けるように振り返った。
「さっさとしろノロマ。置いてかれてぇのか?」
「え、ちょ、行く! 行くわよ!」
 追いかけようと踏み出しかけ、一度足を止めた。
「……これから、どうするんですか?」
 友達に食われた二人。その友達から吐き出され、今はまた友達の隣にたたずんでいる二人。
 彼らは、ただ微笑んでいた。
「もちろん、お茶会の続きよお」
「友人と過ごすこの時間が、私達にとっては一番大切なものなんです」
 もう一度食われるとしても。今度はもう二度と出られないとしても。それでも友人と過ごす時間を取る二人に返す言葉が見つけられなかった。
 頭だけ下げて去ろうとすると、気怠げな声に引き留められた。
「お嬢さん、一つだけ良いかしら?」
 魔女の静かな、小さなささやき声が、不思議な響きで耳に届く。
 頭に、心に、全身に響くように。
「あなたは、本当にあの子に会いたいのかしら。あなたによく似たあの子に」
 似ていると言われた。間違われるほどによく似た人。確かに、自分と同じ顔に会うのは少し気持ちが悪いけれど。
「探すって約束しましたから」
 会いたいかはわからないけど、約束は守りたい。
 そう伝え終わる前に、手を引かれた。
「アリス。本当に置いて行かれるよ?」
 ノクに手を引かれるままに、あたしは走り出した。別れの挨拶もほどほどに。魔女の言葉の意味を考えもせず。ただ、約束を守るために、女王の元へと向かった。

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