第一章 夢見草 春になり、新しい学校・職場・環境にもいくらか慣れ始めた頃。
この春、高校に上がった新入生にも友人関係――グループが出来上がった頃。
とあるグループでこんな話が上がった。
「よし。桜井、罰ゲームな!」
「……は?」
唐突にそんな話を振られた桜井直人はあからさまに顔をしかめた。状況が全く理解出来なかった。そもそも登校した途端にかけられた第一声が「おはよう」ではなく「罰ゲームな!」だったのだ。
理解しろと言う方が無茶だ。
直人を囲んでいる友人達は楽しそうにニヤニヤ笑いながら話を続けた。
「昨日の放課後言っただろー?」
「『明日、俺らの中で一番最後に登校した奴には罰ゲーム』だって」
「忘れちゃだめデショー。サックー!」
結城、渡里、杉田の言葉に直人は思わず昨日のことを思い返した。
正確に言うと、思い返そうとした。
「って、俺昨日休んでただろうが!」
思い返すまでもなく、昨日は風邪をこじらせ休んでいた。
原因は考えるまでもなかった。一昨日押し掛けてきた従兄に風邪をうつされた。連絡もなしに突然訪ねてきた従兄。それだけでも十分礼儀がなってないのに、さらには直人の部屋でゲホゲホ咳をしながら「いやぁー、参った参った今三十八度あるんだー」とかのたうち回りやがった。その後数時間居座ったと思ったら「これからデートなんだー」と言って去っていった。
あのときは何のために来たんだろうと思ったが、昨日になって理解出来た。あの従兄は風邪をうつすためだけに訪ねてきたのだと。薬を飲みながら「あんの暇人愉快犯め」と思った。
「だーかーらー、サックーにメール送ったッショー?」
言いながら杉田は直人のポケットを指さした。そのポケットにはケータイが入っている。
「……そんなメール来てたっけ?」
ケータイを開いてみたが、それらしいメールはなかった。
すると横から渡里がケータイを覗き込んできた。
「昨日、杉田からメール来た?」
「送った送った! バリ送った!」
直人に尋ねたはずだったが、杉田が無駄に勢いよく答えた。
いつの間にやら直人の手元にあったはずのケータイは結城の手の中にあった。取られていたらしい。
「あー……杉田のメールってこれ?」
勝手に操作し、勝手にメールを開くと、結城はいきなりふきだした。
「ユッキーひでェ! 力作メールにそこまで笑うこたぁないジャン!」
杉田が反論していたが、それはなかなか無理な話だった。
渡里もケータイを覗き込んだが、笑いはせずとも「うわぁ……」と小さく声を漏らした。それは笑いと言うよりは呆れだった。
ケータイの画面には大量の絵文字と顔文字。それから、俗に言うギャル文字が羅列されていた。しかも内容はどうでも良さそうな出来事が並べられているだけ。思わずゴミ箱に直行したくなる。
「しかも無駄に長っ! 要点絞れよ!」
ケータイで送信出来るギリギリまでの長文だった。
「……このメールのどこに書いたんだ?」
ギャル文字を解読する気力もなさそうに、渡里は顔を上げた。おそらく解読するだけ時間の無駄だと考えたのだろう。確かに無駄だが。
直人でさえも最初と最後だけ読んで、ゴミ箱に捨てたメールだ。渡里が読む気にならないのも当然だろう。
「たーしか、真ん中より後の方じゃなかったっけ?」
こういう無駄な長文の場合、一番読まれない可能性の高い位置だった。
話を聞いていたのかいなかったのか、結城はケータイの画面を見ながら「あったあった」と呟いた。
「読むぞ。『明日は早く来いよ』の一文だけかよ! 長文メールの意味ねぇ!」
あの見てるだけで頭の痛くなる長文から、よく見つけだしたなと直人と渡里は感心した。感心はしたが、見習いたいとは思わなかった。
「だから言ったジャンかー。これは、ちゃんとメール読んでないサックーが悪いんよー」
「そのメールを読めって言う方が無理だろ!」
このままでは何をさせられるかわかったものではない。直人は全力で抗議しようとした。それに、今回はそれほど分が悪くないはずだった。
同意を求めようと、視線が渡里の方に向いた。
「貰ったメールを全部読むのは礼儀だ」
残念なことにあっさり裏切られた。
思わず「渡里はあんなメール貰ったら全部読むのか?」と問いつめたかったが、それどころではない。このままでは意味もわからず罰ゲーム決行だ。
「ま、これで桜井は罰ゲーム決定だな」
爽やかな笑顔を浮かべながら、結城は直人の肩を叩いた。
直人の友人達は、物事楽しければ良しと言う人種ばかりだった。
こうして、直人の人生を変える罰ゲームは決行されることになった。
「……ってか、罰ゲームって何?」
友人達は『罰ゲーム』と連呼するが、それが何かは一言も言っていない。ひょっとしたら、そんな大したことではないのかもしれないと淡い期待を抱いていた。
けれど、その期待を裏切るような嫌な笑顔が視界に映った。
「幽霊屋敷をご存じかな?」
にたりと笑みを浮かべながら、出来るだけ低い声で脅すように問いかけた。
だが、脅そうとした結城本人が逆に怯える結果となった。
「六条六丁目六番地……悪魔の数字を持つ場所に建っている洋館のことを言ってるのかしら?」
結城の後ろから囁くようなアルトが聞こえた。
思わず「ひっ!」と声を上げて振り返った結城はその後更に「ぎゃぁ!」と叫んだ。
そこに立っていたのはクラスメイトの黒井ミサという少女だった。
何でもオカルト研究会に入っているらしい。制服を着てはいるが、上に黒いケープを羽織っていたり、黒いタイツをはいていたり(噂では夏でも黒タイツらしい)更に誰とも馴れ合わず、何を考えているのかわからない薄ら笑いを浮かべているせいで、影では『魔女』と呼ばれている。黙っていれば間違いなく美人なのだが、性格に難がありすぎる。
「そう。その幽霊屋敷に桜井一人で不法侵入予定」
ミサに怯えている結城の代わりに、渡里が淡々と答えた。
渡里の言葉に、ミサが「ふふふ」と声に出して笑ったおかげで、結城は更に怯えることになった。
「それは楽しそうね……桜井君、何かあったら教えてちょうだいね……」
何が楽しいのかミサは「ふふふふふ」と笑いながら去っていった。
去っていく後ろ姿が見えなくなると結城はようやく息を吐いた。
「……別にそこまで怯えなくても……」
あまりにも大げさな怯えぶりに直人は思わずそう漏らした。それに対して結城はつかみかかる勢いで反論してきた。
「桜井は知らないからそんなこと言うんだぞ! アイツ、ホントこわいんだって!」
今までずっと静かにしていた杉田が必死に頷いた。
珍しく大人しいと思ったが、彼も怯えていたらしい。
「お前らは、何を知ってるんだよ?」
あまりにも怯えるから尋ねてみたが、二人は言いづらそうに言葉を濁していた。
言いたくことなら別に無理して聞かなくても構わない。
別の話題を用意しようかと思い、何にしようかあれこれ考えていた。
「……俺、見たんだよ」
別の話題を見つけられないでいると、結城がゆっくりと口を開いた。
その表情はいつものそれとは違い神妙なものだった。
思わず息を呑む。
「オカルト研究会の部室の前を通ったとき、ドアが開いてたから……見えたんだ」
青ざめた顔で、声を潜めて。
朝の爽やかな雰囲気にはあわない重い空気。
震えた声で、ゆっくりと続きを紡ぐ。
「アイツら、この学校の七不思議を調べてたんだ」
…………
間抜けな空気が流れた。
ため息も出るくらいだ。
「オカルト研究会なら、それくらい当然だ」
渡里の言葉に直人もはっきりと頷いた。横で杉田も「緊張して損しちったー」と言っていた。
「おまっ、知らないのかっ! 七不思議全部知った奴の周りでは事件が起こるんだぞ! アイツが知ったら、同じクラスの俺らが危ないんだぞ!」
噂もこれだけ信じてもらえれば満足だろう。
直人はため息混じりに呟いた。
「要するに、結城はホラーがダメなんだな」
「ちっがーう! 非現実的で非科学的なものが嫌いなだけだっ!」
ホラーがダメな人がしそうな言い訳をわめいていた。
本人が認めなくても、もう決定的だった。
「杉田は別の理由なんだろう?」
結城の理由がくだらなかったからか、渡里は話を杉田に移していた。
だが、いきなり話を振られた杉田は目を泳がせ怯えていた。
こっちはまともな理由なのだろうか。
「……黒井は、サァ……」
周囲を気にしながら、落ち着かない様子だった。
いつも落ち着きはないが、いつものそれとは違う。いつもおどけている杉田が表情をこわばらせているせいか、周囲にも緊張が走る。
「 」
その言葉とほぼ同時に鐘が鳴った。ホームルームが始まる。
慌てて直人達は席に着いた。直人が席に着くのと、担任が教室に入ってくるのがほぼ同時だった。
ぼんやりとホームルームを受けているとポケットの中でケータイが震えた。担任に見つからないように取り出してみると渡里からメールが来ていた。
『結城も杉田も噂を信じ過ぎ』
渡里らしい短いメール。
たしかに渡里の言う通り二人とも噂を信じ過ぎだ。噂のせいであそこまで怯えられている黒井が可哀想になってくる。
「……」
杉田の言葉が脳裏によみがえる。
きっと誰かがふざけて流したただの出任せ。そんなことが実際あるはずない。
杉田の言葉とともに頭に浮かんだのはミサの姿ではなかった。別の、少女の姿。
もしも、現実にそんなことが起きるのなら、彼女はもっと違う人生を送れていたのだろう。天使を夢見ていた彼女は……
「黒井が空を飛んでるとこを見たヤツがいるんだ、って……」
そんな杉田の言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。
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