放課後、忘れられていることを期待していたが友人達は案の定しっかりと覚えていた。
「桜井。今日中に行ってくること! 先延ばし禁止!」
 楽しそうにしている結城を横目に見ながら、ぽつりと返してやった。
「俺が行くより、結城が行った方が面白そうだけどな」
 ホラーという弱点がわかった今、直人が行くよりも結城が行った方が数倍面白そうなのは事実。
 そのことに渡里も杉田も頷いていた。
「お前らは鬼かっ! っつーか、今回は罰ゲームなんだから俺じゃなくて桜井が行って当然だろ!」
 必死にわめいている様が少し可哀想にも見えた。
 そこまでホラーが苦手なのか。
 結城が行くのはまた次回の楽しみということにして、今回は渋々ながら直人が噂の『幽霊屋敷』に行くことになった。
 この屋敷は学校から徒歩数十分の距離にある。少し外れたところに建っていて、ご近所さんと言っても数百メートル離れている。建っている場所もだが、外観もあまり良くない。壁には蔦が這っていたり、庭にはうっそうとした木が何本も植えられている。その木が邪魔で中の様子が全く見えない。
 そしてこの屋敷が『幽霊屋敷』と呼ばれる最大の理由。それが『この屋敷に住んでいた人間が行方不明になった』という噂だった。最近では、誰もいないはずの屋敷から物音がしたり灯りが漏れていたりするという噂まである。
「……どれだけ噂に振り回されんだかなぁ……」
 確かに見た目が不気味で『幽霊屋敷』と呼びたくなる気持ちもわからないではない。
 だからと言ってそんな噂を流さなくても良いんじゃないか?
 屋敷を目の前にしてもいまいち恐怖を感じられなかった。幽霊を信じないからか、怖いもの知らずなだけか。
「さて、どうやって入るか……」
 試しに門扉を軽く押してみたが、やはり開くはずもなかった。鍵がかけてあるくらいはわかっていたが、こうなると塀をよじ登るしかなくなる。
 塀を見上げてみたが、よじ登るには高すぎる。そもそも塀に凹凸が少ないせいでそう簡単によじ登ることは出来ない。
 門はよじ登れないわけではないが、人一人の体重を支えられるほど頑丈には見えない。空き家とは言え、門を壊すわけにはいかないだろう。
「……別に入らなくても良いか」
 明日色々聞かれたら、でっち上げの答えを返せばそれで十分だろう。
 そもそも、これは不法侵入というやつだ。常識のある高校生がすることではない。
「あれー? なーお、こんなとこで何してんだよ?」
 それらしい理由を頭の中で並べ、家に引き返そうとしていたときだった。
 非常に聞き覚えのある軽い声。この声を聞いたときは大抵良いことがない。うんざりした様子で振り向き、ため息混じりに吐き出した。
「……恭介。そっちこそ何してんだよ」
 先日アポなしで訪ねてきて風邪をうつして去っていった迷惑な従兄。歳は五つほど上だが敬う気にはなれなかった。一応大学生のはずだけれど勉強している様子を見た記憶がない。頭は悪いかもしれないが、長身で顔も悪くない。しかし軽いくせに何を考えているかよくわからない。直人いわく「くせ者」だ。
「なに? 直はここに入りたいわけ?」
 へらへらとした笑顔を浮かべながら、恭介は『幽霊屋敷』の門を叩いた。辺りが静かなせいだろうか。その音が妙によく響いた。
 こういう笑顔を浮かべているときの恭介は、何を聞いても答えてくれない。
「入りたいっつか……ま、そんなとこ」
 説明しようかとも思ったが、どうせこの従兄はそんな説明求めてはいない。従兄が求めてるのは『どうしたいか』であって『何故そうしたいか』ではない。付き合うにあたっては楽な相手だが、果たしてそんなことで良いのかと他人事ながら心配になる。
 だが、そんな直人の心配もよそに恭介は悪戯を思いついた子どものような笑顔を浮かべた。
 嫌な予感がした。
「よっしゃ。じゃ、そんな直人くんに心優しい恭介兄さんが良いことを教えてしんぜよう!」
 言うが早し。直人の返事も聞かず、恭介は「こっちこっち」と言いながら屋敷の裏の方に向かっていった。
 誘われるままに直人も裏へと向かった。向かいながら、屋敷の裏には何があっただろうと考えを巡らせていた。
「……あぁ。空き地か」
 一応私有地なのだとは聞いたことがある。けれど塀があるだけで何もない。場所が不便なことや狭いこと、それから公園やもっと広い場所があるせいで、ここで子どもが遊ぶことはない。いたとしても余程物好きだろう。
 この空き地に何の用だろうと思ったが、どうやら用があるのは空き地ではないらしい。
「直なら、ここ通れるだろ?」
 屋敷の塀と空き地の塀。その間に人一人通れそうな空間があった。電柱の影に隠れるように存在する空間。まるで人目を逃れようとしているような……
 恭介は、そこを通れと言う。
 さすがに恭介ほどの体格では通れないだろう。けれど直人は高校生の割には細身だった。おそらく楽に通れるだろう。
「ここを通れたら、なんかあんの?」
 疑うように、と言うよりも実際に疑っていた。
 過去にさせられたことを思い返せば仕方のないことだ。「ちょっとこの木登って」と言うから木の上に何かあるのかと思えば「登らせてみただけ」とか言ってのける従兄だ。油断は出来ない。
「下の方を見ながら歩けよ。穴が開いてるから、そっから中に入れるんだぜー☆」
 相変わらず何を考えているのかわからない口調。半信半疑ながら、もう一度その隙間を眺めてみた。
 従兄と言うだけあって、付き合いは長い。家も近所だから、従兄でもあり幼なじみでもある。だから恭介が言っていることが嘘ではないことくらいわかっている。
「……けど、なんで知ってんだよ。んなこと」
 わかってはいるが、呟かずにはいられなかった。
 先ほど書いたように、この辺りで遊ぶ子どもはいない。仮にここで遊んでいても、子どもがこんな見つけにくい隙間を見つけられるだろうか。それに恭介とは小さい頃は一緒に遊んでいたが、こんなところで遊んだ記憶はない。
「早く行かないと門限過ぎるぞー」
 もう日は暮れかけていた。たしかにゆっくりしていたら夜になってしまうだろう。
 ちらりと恭介を見てみると相変わらずつかめない笑顔を浮かべていた。こちらの質問には一切答える気がないらしい。
 恭介らしいと言えば、恭介らしいが。
「いざって時は、恭介のせいで帰るの遅くなったって言うから、別に良いよ」
 恭介からの返答を聞く前に、直人はそのわずかな隙間に消えていった。
 そこはただ狭いだけで別段汚くもなかった。蜘蛛の巣や鼠の死骸くらいは覚悟していたのだが、足下には何も転がっていなかった。
「……これは、予想外だな」
 小さくそんな言葉を漏らしたが、すぐにその思考は止まった。
 恭介の言っていた小さな穴。
 屈めば、人一人通ることは可能であろう。それくらいの大きさの穴が、『幽霊屋敷』の塀に開いていた。
「ホントにあったんだ」
 疑っていたわけではないが、やはり意外だった。こんな場所に穴が開いているという現実が。
 この狭い空間で無理矢理屈んで覗き込んでみると、ちょうど植え込みの影になっているらしい。中の様子は見えないが、屋敷からもこの穴は存在を知られていないようだ。
「……」
 息を呑む。
 ここから入らなければ罰ゲームが出来ない。しなくても問題はないが、多少は悪い気もする。けれど入れば確実に不法侵入だ。子どもなら許されるだろうが高校生にもなれば犯罪である。引き返すなら今しかない。
「……そういえば、何かあったら黒井に言わなきゃいけないんだっけな」
 ただのクラスメイト。恩や義理があるわけでもない。
「……しゃーない。入るか」
 恩や義理はないが、何かあれば教えてやりたいと思った。わけのわからない噂のせいで人から恐れられている彼女に。周りから人が離れていく彼女に、噂を信じない、近づいてくる人もいると知って欲しいと。
「これってエゴだろうなぁー。ま、いいけど」
 罪悪感と好奇心を少しばかり胸に、直人は屋敷の敷地内へと足を踏み入れた。
 塀をくぐり抜けると、そこには青々とした植え込みと、屋敷を隠すように生い茂る樹、それから古い洋館。近くで見ると改めて感じる。造りは良いが、年季が入っている。全体が蔦で覆われているせいでわかりづらいが、外壁は白い。
「……玄関から入るわけにはいかないだろうな」
 そもそも鍵がかかっているはずだ。敷地内に入っても屋敷内にまで入らなければ、罰ゲームの意味はないだろう。ミサも敷地内の様子だけで満足するとは思えない。
 どうしたものかとなんとなく上を見上げた時、それは目に飛び込んできた。一つだけ開いている窓。運の良いことに、その窓の側には大きな樹が植えられていた。
「木登りなんて何年ぶりだか」
 久しぶりに胸が躍る。
 昔は毎日が楽しくて仕方ない頃もあった。あの頃の感じによく似ていた。
 胸躍る楽しさと、それからわずかばかりの期待。
 あのときと同じような、何かが変わる予感。
 木を登り窓までたどり着いたときに、その予感は現実に変わった。
「……誰、ですか?」
 か細い声。
 その声と同じように儚げな、線の細い少女。
 それが、この部屋の主だった。
「あ……っと、桜井直人、です」
 正直に名乗る必要は何一つなかった。むしろ、名乗らない方がよかったはずだ。それでも、勝手に口をついて出てしまった。
 透き通るような白い肌。不安げな表情を浮かべているが、少しだけ好奇心が宿っている紅い瞳。夕日に照らされ一瞬金糸に見えた赤茶けた髪。年齢はおそらく直人と同じくらい。
「直人、くんは……外の、人?」
 彼女の言う『外』とは単純に『屋敷の外』の意味だろうか。考えはしたが、それ以外の意味が思いつかなかったから直人は一つ頷いた。
 すると彼女は嬉しそうに小さく微笑んだ。はにかんだような笑顔。
「私の名前は六花、です」
 白い小さな花のような笑顔。
 儚く、簡単に壊れてしまいそうだけれど、綺麗で、確かにそこに存在している。そんな笑顔。
 これが、直人と六花の出会いだった。

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