「直くん、見て! 空が綺麗!」
 届くはずもない空に手を伸ばし、六花が無邪気に笑う。
 その様子を見ながら、紫外線対策をしないで良かったのだろうかと、ぼんやり考えていた。真夏の青空の下、アルビノの六花が、何の対策もせずに外に出ていることを少し疑問に感じた。疑問を口にすると、六花は「大丈夫」だと笑った。その笑顔は確実な自信に満ちていた。
 真っ青な空の下に並ぶ石達の間を二人で歩く。しばらく行くとその中から彼女の家の名が刻まれた石を見つけだした。
 ここまでやって来はしたが、直人は正直どうして良いのかわからなかった。謝りたいとは思っていたけれど、いざ墓標の前に立つと頭が真っ白になる。
 謝ってどうするのだろう。許されたいのだろうか。
 立ち止まっている直人をよそに、六花は墓標の前に踏み出した。
「杏樹さん、初めまして。六花と言います」
 手でも合わせるのかと思えば、六花は墓標の前で高々と自己紹介を始めた。それは端から見なくても不思議な光景だった。
 墓標に向かって頭を下げ、それから笑顔で話しかけた。
「いきなりですけど、私はあなたに感謝してます。あなたのおかげで直くんに会えました。だから、ありがとうございます。でも、あまり直くんのこと苦しめないでください。お願いです。直くんに『一緒にいられて幸せだった』って教えてあげてください」
 感謝と、それから心からの願い。
 口に出した言葉が、天まで届けば良い。遠い天まで届いて欲しい。
「それじゃ、お水汲んでくるね!」
 手を合わせ願い終わると、六花は桶を片手に走っていった。
 六花は気づいているのだろうか。六花が杏樹に向けた言葉で、直人が何を感じたか。
 後ろ姿を見送ると、直人は改めて墓標に向かった。
 今まで伝えたいと思っていた言葉はもう消えてしまっていた。今、伝えたいと思う言葉はもっと別の……
「杏樹、久しぶり」
 今なら、笑顔で伝えられる。
「俺、ずっと杏樹を死なせたことを後悔してた。何も知らない幼い自分が憎かった。けど、悔やんだりするだけじゃダメだよな。わかってるつもりだったけど、全然わかってなかった。あのとき、杏樹は笑ってたよな。俺は何も出来なかったんじゃなくて、杏樹を笑わせてやれてたんだよな? そう信じても、良いよな?」
 そっと墓標に触れる。あたたかさもつめたさもない。ただの石の感触。
 触れたら拒絶されそうな気がずっとしていた。拒絶するような冷たさがあると思ってた。
「遅くなってごめん。でも、これでやっと言える」
 息を吸う。
 今までずっと言えずにいた言葉。言うのが恐かった言葉。口にすれば、全てが終わる言葉。
「ありがとう。それから、さよなら」
 ずっと縛り付けてた。
 後悔し続ければ、自分の中の大部分を杏樹が占領し続けると思っていた。
 忘れたいと願いながらも、ずっと心の奥に縛り付けていた。消えないで欲しいと。
 そのせいで、立ち止まったまま動こうとせず、六花を杏樹の代わりにしたり、人を傷つけたり、自分で自分を苦しめたりしてばかりいた。
 杏樹を死なせたことは罪だけれど、その罪をいつまでも引きずることを誰も望んではいない。
 忘れない。けれど、これでお別れだ。
 直人は顔を上げると、六花が走っていった方向を振り返った。
 水を汲みに行ったにしては、少し遅すぎるような気もする。
 迎えに行こうかどうしようか。落ち着かない様子でうろうろしていると、六花が桶を抱えて嬉しそうに帰ってきた。六花には重すぎたのか、後ろには点々と水のこぼれた跡があった。
「直くん直くん! 今日、これから予定空いてる?」
 水の入った桶を地面に置くと、汗を拭いもせずに問いかけた。
「今日は……暇だけど? どうかした?」
 六花の頬がいつもより紅い。やはり暑いのだろうか。
 直人が頬に触れようと手を伸ばすと、六花は笑顔で桶を差し出した。直人の手は思わず桶を受け取ってしまった。その桶に水は半分も入っていなかった。直人には随分軽く感じるが、六花は重たそうにしていた。
「あのね、水を汲みに行くときに張り紙を見たの」
 どうしてこんなに嬉しそうに笑うのだろう。
 そんなどうでも良いようなことが、何故か気になった。
「今日、お祭りがあるんだって! 一緒に行こ?」
 毎年おこなわれる夏祭り。それなりに大きなもので、花火も打ち上げられる。
 桜も見たことがなかった六花なら、花火も祭りもおそらく初めてだろう。
 今度は、杏樹の代わりではなく、六花と行きたいと思った。六花を喜ばせたいと、六花に笑って欲しいと思った。今度こそ、純粋な想い。
 断る理由は、何一つない。
「あぁ、行こう」
 空はまだ遠く青い。
 きっと杏樹はあの空のどこかにいるのだろう。手の届かない遠くの空。もう会えない存在になっている。
 目の前にいるのは間違いなく六花だった。もう間違えない。

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