第三章 光露

 夏祭りに行くことは決まったが、それはあくまで夜の話。まだ日が高く、始まるまで時間がある。二人は時間を潰すために少しぶらつくことにした。六花にとっては初めてのことだった。
 それほど珍しいものはない。田舎ではないが、ぶらつくほどの場所もない。少し遠出をすれば動物園や遊園地もあるが、今から行くには遅すぎる。
 少し悩んだが、直人はまずショッピングセンターに行った。
 落ち着かない様子で周りを見回す六花の手を引いて、直人は奥へ奥へと進んでいった。ここに来たのは目的があった。
「六花」
 名前を呼ばれ、周りを見回していた視線を直人の方にやると、視界が何かにふさがれた。
 何かが視界を覆っていると気づくのに数秒。その様子を直人は微笑ましく眺めていた。
「六花は、どんなのが良い?」
 直人の言葉でようやく、帽子をかぶらせてくれたのだと気づいた。近くにあった鏡を覗いてみると、つばの広い真っ白な帽子。ぶら下がっている札を見てみると『紫外線カット』と書かれていた。
「この帽子、可愛いね」
 鏡を覗き込みながら六花が嬉しそうに笑うと、直人は「じゃ、それにする?」と聞き返してきた。何のことか理解出来ないでいると「杏樹のとこ、付き合ってくれたお礼」と言いながら、直人は帽子をレジまで持っていってしまった。
「……直くん」
 笑みがこぼれる。気持ちが溢れてくる。
 ただのお礼じゃない。
 直人は、六花の心配をしてくれている。そうでなければ、わざわざ『紫外線カット』なんて書かれている帽子を選ぶはずがない。紫外線に弱いはずなのに、何の対策もせずにいる六花を心配している。
 そんなことが、すごく嬉しかった。
 初めて優しくしてくれた人。
「ほら。ちゃんとかぶってろよ?」
 小さな気遣いが嬉しい。何気ない優しさが好き。
 笑顔と言葉で、この気持ちが届いたら良いなと思う。
 そんな簡単に気持ちが届いたら良いのに。
 言葉にしても、どうして気持ちは全部届いてくれないのだろう。
 どうしようもなくもどかしい。
「直くん、ありがとうっ」
 全部は伝わらないとわかっていても、言葉にして伝えたい。言葉だけじゃ足りないから、何かしてあげたい。自分で出来る何かを。
「じゃぁ、お礼に……えっと、ジュース買ってくるね! ちょっとここで待ってて!」
 直人が止める間もなく、六花は駆けだしていた。真っ白な帽子から流れ出る赤茶けた髪が綺麗に舞っていた。
 六花にとってはジュースが精一杯らしい。直人としては六花がお金を持っていると言うことの方が意外だった。外に出たことがないのに。
 けれど、そんなことは直人にとってはどうでも良かった。
「……お礼のお礼なんかされたら、また更にお礼?」
 後ろ姿が見えなくなると、直人は小さく笑った。ひょっとしたら六花は帽子が『お礼』だと言うことを忘れているのではないだろうか。そんなことを考えると、余計に笑いが込み上げてくる。
 そんなところは、杏樹とは似ても似つかない。どうして重ねて見ていたのか不思議なくらい似ていない。きっと自分はどうかしていたのだろう。
「……馬鹿だな」
 こぼれてくる笑いは自嘲ではなく、優しいものだった。
「なぁーににやけちゃってるのかなー直ー」
「っ、きょ……」
 どうしていつもこの従兄は唐突なのだろう。直人の背後に立っていた恭介はいつもよりもにこやかだった。この笑顔のときは、大抵ろくなことを考えてない。
 直人が警戒しながら一歩下がると、恭介は二歩ほど寄ってきた。
「……こんなとこで何してんだよ恭介」
 軽く睨み付けたが、そんなことで動揺する相手ではなかった。それどころか、いっそう笑顔がにこやかになった。
「ちょっと買い物に来たら直を発見してさー、観察してたらビックリ。デート中じゃないですか。こりゃからかうっきゃないなーと」
 一番会いたくない相手に、一番見られたくないところを見られた気がした。運の良し悪しではなく、直人は恭介に憑かれているのではないかと思い始めた。
 吐き出す言葉にため息が混ざる。
「デートじゃねぇよ」
 六花との関係はそんなものではない。友達と呼んで良いのかもわからないような関係。今やっと始まりだした関係なのに、友人だなんて呼べない。
 それでも、恭介はまだにやにやと笑みを浮かべていた。
「それにしては、やけに優しい顔であの子のこと見てたよなー?」
「……どこまで見てんだよ」
 本人でさえ無自覚に浮かべていた表情を、従兄はしっかりと見ていた。
 もう言葉を返すのも面倒になり、適当に追い払いたかった。だが、どうすればこの従兄は消えてくれるだろうか。付き合いは長いが、恭介を追い払う方法はわからない。
「あれ? 直くんのお友達?」
 その場の空気を一変させるソプラノ。
 振り向くと、缶ジュースを手にしながら首を傾げている六花がいた。
 恭介を追い返す前に六花が帰ってきてしまい、直人はまたからかわれるかとうんざりしていた。直人がからかわれるのはまだ良いとして、六花までからかわれるのはあんまりだと思った。
 けれど、恭介の反応は直人の予想とは違った。笑顔はなく、その顔には驚愕しかなかった。
「……っ! 一……」
 いつもとは違う声。飄々としたあの声ではなく、なにか、思い詰めたような声。
 その声が響いたのは一瞬。次に見せたのは我に返ったような表情。そして、いつもと同じようなへらへらとした笑顔。
「ごめんごめん。何でもないんだ。驚かせて悪かったねー。あんまり可愛い子だったからビックリしちゃってさー」
 完璧なまでにいつも通りの恭介だった。
 逆に、だからこそ直人の目には異様なものとして映った。
「えっと、直くんのお友達、なんですよね? はじめまして。私、六花といいます」
 恭介の勢いのせいか、可愛いと言われたからか。少し困ったような驚いたような笑顔を浮かべながら、頭を下げていた。
「六花ちゃん、ね。俺は直の従兄で桜井恭介って言うんだ。よろしくね」
 そこまで言うと、恭介はわざとらしく時計に目をやった。
 もっとも、それがわざとだと気づけたのは直人くらいだろう。
「っと、ごめんねー。このあと用事があるからもう行かなきゃ。六花ちゃんまたね」
 振り返ったとき、直人の顔を一瞬見たが、すぐにばつが悪そうに視線を逸らした。恭介も、直人にはばれているとわかっているのだろう。それでもお互いにこの場では何も言わずに別れた。
 恭介のことが気にならないと言えば嘘になる。だが、隠したいことなら無理に聞き出す必要もない。二人は今までずっとそうやってこの関係を保ってきた。
「……六花?」
 それよりも問題は六花だった。
 俯いたままじっと何かを考えていた。
 前触れがあったのならまだしも。ついさっきまで笑顔を浮かべて恭介と話していたのに。
 けれど、直人に声をかけられた六花はいつもと変わらない笑顔を作っていた。
「なぁに?」
 変わらなさすぎる笑顔。
 この笑顔は、何も聞くなと言っているのか、それとも、ただ心配かけないようにと思っての笑顔か。直人にそれがわかるほど二人の付き合いは深くない。
 何もわからない直人に出来ることは決まっていた。
「いや……まだ随分時間があるけど、どこか行きたいところは?」
 直人に出来ることは唯一つ。何も聞かないこと。
 聞かなかったことを、後悔するかもしれない。それでも、今は聞かない。
 六花がそれを望んでるからじゃない。まだ直人には聞けないからだ。
 まだ、聞けるだけの勇気がない。
「直くんの学校が見たい!」
 笑顔でそう答える六花は、いつもの六花だった。

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