「ねぇ直くん。花火の他の呼び方知ってる?」 後ろから六花のはしゃぐ声。心なしかいつも以上に楽しそうな声。 それほど楽しみなのだろうと思うと、顔がほころんでくる。 「いや、知らないけど?」 「光の露って書いて『光露』って言うんだって! 他にも花火が消えるときに明るく光るとき。あのときを光露っていうこともあるんだってー」 ずっと本を読んでいたというだけはあってか不思議な知識だけは豊富だった。夢見草も光露も直人は初めて聞いた言葉だった。 六花が「花火って響きも好きだけど、光露っていう言葉も綺麗だよね」という言葉を聞きながら、不思議だなと思った。 きっとこの言葉を別の誰かが言っていたら、これほど心には残らないのだろう。記憶のどこか隅の方に残れば良い程度。それなのに、六花の言葉だと決して忘れることはないだろうと思えてくる。 繋ぐ手に力が入った。 少し振り返ってみると、六花が嬉しそうにしながら微笑んでいた。花火を見るのが待ち遠しいのだろう。その様子に満足した直人はまた前に向き直って穴場へと足を進めた。 遠い祭囃子にさえかき消されそうなくらい小さな声。直人の耳には言葉として届かなかっただろう。ただ、六花が何か音を発した程度にしかわからなかった。 「……消える瞬間も、輝けるって、うらやましいよね……」 繋がっていた手から急に力が抜けた。 六花の手から力が抜けた。 「……六花?」 不思議に思い声をかけた。どうしたのだろうとゆっくり振り向いた。直人の瞳が六花を捉える前に、音がした。 花火の上がるドォンという音。それから、何かが倒れる音。 硝煙の匂いがわずかに鼻をつく。薄暗い夜道。遠くでわずかに聞こえる祭囃子。それらが現実味を薄くする。目の前の出来事は夢なのではないだろうかと思わせる。 「……り、っか?」 現実であるわけがない。現実であって欲しくない。そう思った。そう思いたかった。そうであって欲しいと心から願った。 辺りには誰もいない。いるのは青い顔をした直人と、足下に力なく倒れている六花だけ。 ――杏樹のときと同じ…… そう思うと動けなくなる。身体に力が入らなくなる。こわい。また自分のせいで? 頭の中が真っ白になりそうだった。 『直くん』 真っ白になる寸前の頭の中で六花の声が小さく響く。 失いたくない。 嬉しそうに笑う六花を、失いたくない。 手に力が入る。強く拳を握る。今なら動ける。 杏樹のときのように、何も出来ない自分ではいたくなかった。 「……六花っ!」 倒れている六花を抱えようと手を伸ばしかけた。いや、実際に手は伸ばした。けれどその手が六花に届くことはなかった。 直人よりもわずかに早く六花を抱え上げる影があった。 祭りとは不似合いな格好の大人達。それは仕事帰りのような服装で……むしろ、まだ仕事中のような雰囲気を醸し出していた。 何か話し合っているようだったが、花火の音でほとんど聞き取れない。 「……やはり対策も無しに長時間出歩いたのが問題かと……」 「原因は帰ってからで良い。まずは連れ帰りなさい」 かろうじて直人の耳に届いたのはこの程度。 その中でおそらく地位が一番高いのだろう。一人の女が全員に指示を出し六花をどこかへ連れて行ってしまった。 目の前で何が起きているのか理解出来ずにいた直人に真っ直ぐ近づくと、女は上から下まで舐めるように見たあと一言問いかけた。 「君が『桜井直人』くんね」 その言い方は尋ねていると言うより、確認するようだった。 花火を背にし話す女は妙に迫力があった。 「……そう、ですけど」 見ず知らずの相手に名前を馬鹿正直に教えるのもどうかとは思った。けれど、女はどこか逆らえない空気を出していた。嘘をついても確実にばれるようなそんな予感がした。 女はわずかに口の端を上げ、小さく笑った。 「私は『六花』の世話をしている木嶋よ」 木嶋の言葉におかしなところは何もなかった。けれど、何故か直人には妙なニュアンスに聞こえた。 訝しげな瞳で木嶋を見ていたが、彼女は淡々と次の言葉を続けるだけだった。 「あなたが『六花』と交流を図ってくれたことには感謝をするわ。でも、これからはもう『六花』にもあの屋敷にも近づかないこと。良いわね」 言葉は尋ねるものだったが、決して逆らうことを許さない響きがあった。 それは警告に近かった。 直人が言葉を返せないでいると木嶋は「それじゃぁさようなら。もう二度と会うこともないでしょう」とだけ残して去っていった。 現実なのかわからず立ちつくす直人の耳に祭囃子と花火の音が遠く聞こえた。 まだ祭りは終わっていないのに、祭りが終わったあとのようにぽっかりと心に穴があいたような、そんな寂しさがあった。 手に残ったものは、六花に貰った金魚と、むなしさと、繋がっていた手のぬくもり。そのぬくもりもすぐに消えてしまうだろう。 そして、夏が終わる…… |