「……木嶋さん」
 小さなか細い声。聞き逃しそうなほど小さな声。けれど間違えない。屋敷の中の方から聞こえた声は……
「六花!」
 開け放たれたままの玄関から屋敷の中が見える。奥の方までは見えないが、月明かりの届く距離に、姿を確認出来る距離に六花がいた。
 暗くて表情はよく見えない。けれど声の感じで不安げに心配そうにしているのがわかる。
 駆け寄りたい衝動に駆られたが、それはまだ出来ない。二人の間に木嶋がいるからだけではなく、駆け寄ってはいけないようなそんな雰囲気を六花から感じた。
「出てくるなと言ったはずよ。中で大人しくしていなさい」
 それは六花の世話をしている人間から発せられる言葉ではなかった。ただ世話をしていると言うだけでそんな威圧的な言葉でものを言うだろうか。
 けれどそれを気にする風もなく、六花は屋敷から出てきた。そして木嶋のすぐ隣に立ち、真っ直ぐ見据えていた。
「お願いです。直くんにだけは教えてあげてください。私、直くんには嘘吐きたくないです」
 直人の方を見ようとせず、ただ真っ直ぐに木嶋を見上げていた。言葉の中に「直くん」とあるのに、まるで直人のことが見えていないようだった。
 六花に頼まれた木嶋はただ一言「必要ない」と言い切った。
 肩を落とした六花に「中に戻りなさい」と言い、木嶋は再度直人を見据えた。けれど六花は中に戻る気なんてなかった。
「直くん、私ホントは人間じゃないの!」
 今まで直人を見ようとしなかった六花が、直人の方を見てはっきりと告げた。
 これが、直人を悩ませていた真実。
「私、本当は……っ!」
 言葉を続けようとした六花を屋敷の中へと突き飛ばすと、木嶋は扉を閉めた。どうあっても直人に教える気はないらしい。
 直人が玄関に駆け寄ろうとしたが、それよりも先に音がした。
 内側から扉を必死に叩く音。
「直くん! 聞こえるっ? あのね、私……」
 必死に張り上げる声。少しでも届くようにと出せる限りの声を張り上げている。
 木嶋がそれを止めようと扉に手をかけたが、それよりも六花の方が早かった。
「私、ホムンクルスなの!」
 真実が告げ終わるとほぼ同時に扉を叩く音が消えた。扉の向こうに人の気配がした。おそらく、六花が誰かに押さえられ奥に連れて行かれたのだろう。
 けれど直人にはそれを気にする余裕がなかった。
 直人にはまだ真実が理解出来ていなかった。
「……ホムン、クルス?」
 どこかで聞いたことがあるような気がする。
 口に出してはみたが、まだ思い出せない。
 思い出せ。
 必死に記憶をたどろうとしている直人に木嶋は「今日のことは他言無用よ。早く帰りなさい」と言い残して屋敷の中へ戻ろうとしていた。
「……錬金術」
 学祭でオカルト研究会の手伝いをしていたとき。あのときに『賢者の石』が目に入り、ミサに『錬金術』についていくらか教わった。そのときにこの単語も覚えた。
「昔、錬金術によって無生物から人間を創り出そうとした。そのときに作られたのが人間によく似た『ホムンクルス』……だったよな?」
 現代でも錬金術がおこなわれているのかまではわからない。けれど、六花が自身を『ホムンクルス』だと言った。信じられないが、あれは冗談なんかではなかった。
 直人がここまで知っているとは思わなかったのか、木嶋は小さくため息を吐いた。
「……勘違いしないで。誰もそんな錬金術なんかで『六花』を創り出していないわ」
 思っていたよりもずっと落ち着いた声。
 もうあきらめがついたのだろうか。
「現代科学によってゼロから創り出された人間に近いもの。人に分類出来ないから『無生物から創り出された人に似た生物』といわれる『ホムンクルス』という単語を使っているだけよ。錬金術とは何も関係ないわ」
 六花は、あくまでも創られた命だという。
 あれだけ人間らしい表情で笑うのに。それなのに人間ではないという。
 真実はあまりにも残酷だった。
「一里、二葉、三夜、四海、五月、六花……これが今まで創られたホムンクルスよ」
 恭介が会った一里が一番最初のホムンクルス。そして六花で六人目。同じ方法で創られたから、だから一里も六花も同じだったと?
 頭が混乱する。
 それでも木嶋はまだ真実を告げ続ける。
「どれもあまり長く続かないのよ。春にようやく外の世界に出たというのに、その年の冬には終わってしまう。おまけに日光に弱い。まだまだ改良の余地がある研究よ」
 つまりそれは、六花は今年の冬で死んでしまうと言うこと。
 木嶋の声が遠くから聞こえるような気がする。目の前にいるのに、妙に遠くに感じる。
「さぁ『六花』の正体がわかれば満足でしょ? 今日のことも含め『六花』のことは全て忘れて、あなたは日常に戻りなさい。その方が幸せよ」
 そう。きっとその方が幸せだ。
 この現実は、直人一人で抱えるにはまだ重すぎる。
 ふらふらと歩き出し屋敷をあとにしたが、直人自身どこを歩いているのかよくわからない。
 歩いているうちに通り雨に降られたが、それさえも気にすることが出来なかった。
 水を吸って重たくなったパーカーも、顔に張り付いた髪も、何も気にならないくらい気持ちが重たかった。雨がやむと、町はあまりにも静かで妙に寂しかった。

戻る
次へ