妙に賑やかな声がして、ぼんやりと目を覚ました。
 たしか薬を飲んだあともう一度布団をかぶって寝ていたはず。恭介がいくら馬鹿でも、一人でここまで騒いでいるとは考えにくい。
 嫌な予感がしつつ薄目を開けてゆっくりと周囲を見回してみた。
「ハートの四誰か出してヨォォォォォォォォォ!」
「ほらほら杉田。早く出すかパスしちゃえってー」
「ぎぎぎぎ……仕方ない、いっけースペードのジャック!」
「……スペードのクイーン」
「はい。スペードのキングで上がりー☆」
「ああああああああああああああああまたビリになる気がするぅぅぅぅぅぅぅ!」
「仕方ないなぁ。ほら、ハートの四」
「やっぱりユッキーだったジャンかぁぁぁぁぁぁぁ!」
 見なくてもわかる。
 何故か病人である直人の部屋で友人三人に従兄が交ざって七並べをして盛り上がっている。せめて大富豪にでもしておけばいいのに……
 布団の中から呆れたような視線を送っていると、渡里がようやく気づいてくれた。
「桜井。もう平気?」
 渡里の声で、ようやく結城と杉田が気づいた。
「どーよサックー吐きそう? 死にそう? やばそう?」
「杉田うるさい!」
 結城のツッコミが杉田に炸裂した。結城のツッコミなんてそうそう拝めるものではない。
 見舞いに来たのだろうとは予想出来るが、これで見舞いと言い張るつもりなのだろうかとも思った。病人に対する気遣いがなさすぎる。その方が彼ららしいと言えばそうなのだけれど。
 身体を起こしてみると、さっきよりも随分楽になっていた。薬が効いてるようだ。
「……見舞いに来たつもりなら、もう少し静かにしてろよ。迷惑」
 一言言ってやると、騒いでいた杉田と結城が少し申し訳なさそうにした。その様子がなんだかおかしくて、直人は思わずふきだした。
 失礼なのは百も承知だが、なんだかおかしかった。必死に笑いをこらえようと口を押さえ、視線を逸らした。
「……ごめ、杉田と結城が黙ると、逆に不気味……」
「サックー! ちょ、それはどないせっつーの?」
「騒ぐのも黙るのも禁止かよ!」
 二人からツッコミが飛んできた。それはもっともなのだが、残念なことに渡里も直人に賛成だった。
「病人の側で騒ぐのは良くない。けど、たしかに静かな杉田と結城は不気味だ」
 この四人の間に友情があるのか疑いたくなった。
 けれど、それは確実に存在していた。
 直人は知らないけれど、三人は訪ねてきたときにいつもとはまるで違う表情を浮かべていた。それはどうしようもないくらいの心配。だから、恭介は三人を直人の部屋に上げた。そして落ち着かない様子の三人をトランプに誘い、少しでも落ち着かせようとしたのだ。
「直、体調は?」
 少し離れたところから眺めていた恭介が、四人の会話が落ち着いたころに話しかけた。本当はわざわざ聞かなくても直人の体調くらい見てわかったが、おそらく友人三人も気にしているだろうと思った。
「いくらか良くなったけど?」
 それがどうかしたのかとでも言いたげな顔で聞き返す直人に「それは良かった」と一言だけ返した。
 恭介は横目で直人の友人たちを見た。彼らは少し安心したように息を吐いていたが、直人はそこまで気づいていなかった。それくらい小さな反応。けれど、それは確かな安堵。
「そーいえばワタッチ。サックーに渡さないで良いの?」
 トランプに白熱しすぎてすっかり忘れていたらしい。杉田に言われて渡里は思い出したように鞄の中を探り始めた。
「桜井、杉田に感謝しろよー。俺も渡里もすっかり忘れてたんだから」
 ニヤニヤと笑いながら偉そうに胸を張っている。自分も忘れていたくせにその態度はどうなのだろうと思いながら、直人は渡里を待った。
 けれど、何を忘れていたというのだろう。
 直人に心当たりはなかった。
「はい桜井」
「?」
 渡里が直人に手渡したもの。それは一枚の紙切れだった。
 ただの紙切れではない。
「……試験の範囲……」
 そういえば、今日発表だったなと思うと同時に気づく。
「忘れてたって、これ?」
 たしかに有難いけれど、別に明日もらっても問題はない。今もらっても風邪で寝ている身では何も出来ない。
 結城がニヤニヤと笑いながら「感謝しろ」と言うほどのものではないはずだ。
 そんな直人に杉田は「ちがうちっがーう」と人差し指を立てた。
「本命は別で、そっちはおまけだヨー」
 試験範囲をおまけ呼ばわりもどうかと思う。
 渡里が「ほら」と言って手渡す本命は、なんだか……
「受け取り拒否は」
「無理」
 直人の言葉に渡里は即座に答えた。どうしたものか。出来るなら受け取りたくない。結城や杉田ではなく渡里が持っているという時点で気づくべきだったのかもしれない。
「黒井特製風邪も逃げ出すお守りだってー」
 杉田も結城もあれほどミサに怯えていたのに、今はなぜか平然としている。何かあったのだろうか。
 あとで聞いた話だが、恭介からのメールでミサは直人が風邪だと知ったらしい。それを心配していた友人三人に話したところすぐに「放課後見舞いだ!」と盛り上がり、便乗してミサも行こうとしたが部活があるので来れなかったそうだ。せめての気持ちとして昼休みを使いお守りを作ってくれたらしい。そのときに結城と杉田は「案外黒井は良いやつ」と思い、あまり怯えなくなったらしい。きっかけなんてそんな単純なものだ。
 すぐに作ってくれたミサには感謝する。けれど、このお守りはどう見ても妖しげなオーラが出ていた。風邪と一緒に何かも逃げ出しそうだ。
「……どうも」
 一応受け取りはしたが、正直どうしていいものか困る。
 手の中のお守りをじっと睨むようにしながら悩む直人に、恭介が思い出したように呟いた。
「そういえばミサちゃんが『うまく出来たから、風邪が治ったらお守り返して』ってメールで言ってたなぁ……」
 つまり、くれたわけではなく貸してくれたわけですか。
 嬉しいやら寂しいやら。なんだか微妙な笑顔がこぼれた。
「……それじゃぁ、明日返しに行かなきゃな」
 それはただの呟きではない。
 明日学校に行くということは、もう大丈夫だという意味。
「なぁーんだ。サックーもう復活かー」
「せーっかく来てやったのに一日だけかよー」
「じゃ、帰るか」
 友人たちは勝手なことを言い出した。直人が思わず「悪いかよ」と不満げな声を漏らしそうになったが、何とかこらえた。
 本当にわかりづらい。
 心配しているくせに表に出そうとしない。安心したのに残念そうにする。似たもの同士ばかりが集まっている。
 本当はやさしいくせに。
「じゃーな桜井。また明日」
 部屋を出るときにもう一度だけ直人のほうを振り返って手を振る。直人もそれに答えるように手を振り返した。
 扉が小さく音を立てて閉まると、部屋が急に寂しく感じた。
 がらーんとして、また金魚と直人だけの部屋に戻った。
 寂しいわけではない。ただ、さっきまで騒がしかった部屋が急に静かになったからおかしく感じるだけ。
 ぼんやりと金魚を眺めてみたが、もう虚しさも感じない。やはりあれは熱が高かったからだ。
「直ー。俺もそろそろ帰るけどー」
 ノックもせずに開けた扉から恭介が顔を覗かせる。
 もういつもと同じだった。
「ってか、まだいたんだ」
 さらりと言ってのけると、恭介も一瞬笑ってすぐに「相変わらずだなぁ」と言った。直人もいつもと同じように戻りつつあった。
 やっぱり六花のことは忘れて、前と同じ日常に戻った方が幸せだ。
 忘れれば良いだけだ。難しいことじゃない。きっとすぐに忘れられる。

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