「……ここ最近の桜井、元気だよな」
 直人が席をはずしているときに、結城はぽつりと口に出した。それはおそらくその場の全員が感じていること。少し前まで何かに悩んでいるのに笑顔で隠そうとしていたのだから、見ている分には喜ばしいことなのだが。
「なぁーんか、ちょっと……ネェ?」
 悩みを隠そうとしているわけではないけれど、あの元気の裏には何かがあるようなそんな気がした。
 三人とも、直人が心配だった。
 初めて会ったときから、どこか無理をしているような感じがあった。そう簡単には気づけないけれど、三人ははっきりと気づいた。けれど出来るだけ気づかない振りをしていた。彼の父と同じように。
「……無理をしている感じではない、けど……」
 じっと何かを考えていた渡里が一言だけ口を開いた。けれど、すぐにまた黙って考え始めてしまった。
 そう。無理をしているのならいくらでも打つ手があった。直人がいない間に三人で悩む必要もない。こうして悩んでいるのは、直人からは無理をしている感じがしなかったからだ。
「今回こそ、遠くから見てるしかなさそうだな」
 渡里の言葉に二人は頷いた。
 友人と言うよりも親に近い心境だった。
「何してんの?」
 直人が杉田の後ろから声をかけると「ぶぁ!」と謎の悲鳴を上げられた。逃げられまではしなかったが、少しミサの気持ちがわかったような気がした。
「何って話以外に何してるように見える?」
 平然とした顔で返す渡里に「まぁ、そうなんだけど」と言い淀んでしまう。直人じゃ渡里に勝つのはおそらく無理だ。
「サックー安心すると良いヨッ! サックーの帰りがあんまり遅いのは、ひょっとしてトイレじゃないかなんて話はしてないから!」
 渡里に任せておけばいいのに杉田は余計なことを言った。そのせいで、直人が手にしていたプリントで頭をぺしっと叩かれていた。痛くもないくせに「いたーいだろー」と文句を言っているが軽く無視された。
 杉田の頭を叩いたプリントを見ながら、結城ははてと首を傾げた。
 教室から出ていくときはそんなもの持っていなかったはずだが。
「桜井ー。それなぁにー?」
 質問しておきながら結城は、プリントの束から一枚引っ張り出して勝手に見ていた。
「あ? あぁ、先生が教室に持ってってくれーって。進路調査」
 受験はまだ先とは言え、もう高校一年の冬。時間が過ぎるのは本当にあっという間で、だからこそ一年生の段階でも進路調査をおこなう。少しでも早い段階で将来を意識するように。
 プリントを見ると、結城はげんなりした顔で机に突っ伏した。
「将来なんて言われてもなぁー今が楽しけりゃ良いじゃんかよー」
「れー? ユッキーは将来の夢ってないのー?」
 突っ伏している結城の髪を引っぱったりして杉田がちょっかいを出していた。髪を引っぱられるのは嫌だったのか、顔を上げて手を叩き落としていた。
「小学生のときとかはあったけどさー、最近は別に」
 小さい頃の将来の夢は本当にただの『夢』だった。なにもわからず、ただ響きが格好いいからとか憧れてとか、現実的にはどう考えても難しいこと。たまに、その夢を現実にする人もいるが、大抵は成長するにつれてもっと現実的な将来を描くようになる。
「杉田の進路は?」
 思い出したように口を開いた渡里に、杉田は待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「菓子職人!」
 意外どころではなかった。
 思わず結城が正直な意見を述べた。
「……作れんの?」
「オフコースに決まってるジャン!」
 救いようのないくらい日本語発言な英語を交ぜた返事。余計に疑わしくなる。
 プリントを教卓の上に置いてくると、直人もようやく話の輪に交ざった。
「渡里は?」
 イメージ的に渡里は公務員にでもなっていそうだなと思っていた。
 そのイメージを裏切りはしなかったが、ある意味予想外だった。
「警官」
 確かに国家公務員ではある。
 けれど、結城と杉田は顔を見合わせた。
「俺、医者とか弁護士とか何かそう言う無駄に頭良さそうな仕事だと思ってた」
「警官ってお巡りさんデショ? 犯人逮捕とか聞き込みとかそういう仕事、するんだよね。ワタッチ」
 二人は相談が落ち着くと、もう一度渡里の顔を見た。
 実は冗談でしたオチがあるのだろうかとも思っていたが、どれだけ待ってもそんなオチは来なかった。渡里は本気だったらしい。
「……じゃぁ、俺もう帰るからー」
 質問してきた当の本人は、いつの間にか荷物をまとめ帰る準備を終わらせていた。
「サックーちょーっと待ったー! サックーだけ言わないで帰るつもりー?」
 直人だけ進路に関して何も言っていない。これではまるで聞き逃げではないかと杉田は言いたいらしい。
 けれど直人はへらりと笑って手を振った。
「明日な。明日。それじゃ、またな!」
 今日はまだ秘密。明日のお楽しみとでも言うのだろう。
 いつもとどことなく違う笑顔を浮かべて直人は家路についた。そんな直人を見送ると、教室に残された三人は顔を見合わせた。
「……でも、やっぱ」
「遠くから見てるダケ?」
「……明日次第、で」
 三人はもうしばらく様子を見ることにした。

「なーおー。今、帰りー?」
「……たぶん、その聞き方は間違ってると思う」
 家に帰る途中どころか、玄関の真ん前で恭介に声をかけられた。
 従兄が何を考えているのか、本気でわからないときがある。玄関で「今帰り?」と声をかけるところなんて本当にわけがわからない。
「わかんないだろー。意外とバックステップで家を出ようとしているところかもしれない!」
 そんな人がいるなら是非お目にかかってみたいものだと思う。知り合いになりたいとは思わないけれど。
 それはともかく。直人はそんな一風変わった人間ではない。
「用があるなら手短にな」
 呆れたように吐き出すと、恭介は満面の笑みを浮かべた。嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。
「ちょっと遊ぼうか!」
「却下」
 ほとんど即答だった。むしろ、恭介が言い終わる前に答えていた。
 恭介が次の行動に出る前に、それらを全て潰しておかなければいけない。さもなければ、直人は確実に恭介に負ける。はっきり言って恭介に構っている暇なんてない。
「俺はこれでも忙しいの。そのうち相手してやるから今は邪魔するな! わかったか?」
 不服そうにもしていたが、それよりも直人がそこまでして拒否することが珍しいという顔をしていた。普段は渋々ながらでも恭介に流されていたから。
 けれど、今はそれどころではない。
 直人には『今』しかない。
「……ま、そこまで言われて退かないわけにもいかないだろうよ。今回は大目に見てあげようじゃないか」
 何故ここで偉そうにしているのか不思議ではあったが、あえてツッコミは控えておいた。
 玄関の扉を開けると、一度だけ振り向いた。
「じゃぁな」
 表情が見えたのは一瞬。声が聞こえたのもわずかだったけれど、それでも確実にそう感じた。
 違和感。
 何がと聞かれても上手く表現出来ないような違和感。けれど、確実にいつもと違う。
 恭介が声をかけるより先に玄関の戸は閉められた。
 大人しく帰るしかない。
 おそらく直人は無理をしているわけではない。ただ、自分で決めた何かをしようとしているだけ。それならば恭介には口出し出来ない。
「……ふぅ」
 玄関の向こうでは直人が扉に寄りかかって大きく息を吐いていた。
 六花には今朝手紙を出してきた。読んでくれるか心配だったが、帰りに覗いてきたら枝にくくりつけた手紙はなくなっていた。
 今夜からは六花の都合のいい夜まで、毎日通わなくてはいけない。苦だとは思わない。自分で決めたことだ。
「最後にもう一度確認しとくかな」
 もう一度六花に会うまでは、きっと毎日繰り返される最終確認。それはいつまで繰り返されるのだろう。

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