まぁ、山神様の社があるからと言って、別段気にする必要もないであろう。今は鬼のことだけ考えていればいいのだから。
 それに、日が暮れるまでもう時間がない。早くしなければ、鬼が言っていた『新月の夜』が来てしまう。夜が来る前に屋敷の中を把握しておかなければ、何かあったとき苦労するだろう。それだけではない。何故秋雨が鬼に狙われているのかも知っておきたい。そのためには、どんな些細なことでも良いから、屋敷の人たちに話を聞かなければならない。
 時間はない。
「花月さん。屋敷に戻りましょうか」
 初音の言葉に、はいと答え、花月は屋敷の中の案内を始めた。
 案内してもらった屋敷の中は、思った以上に広く、初音にはこの屋敷の内部を覚えきれる自身がなかった。
 鬼が秋雨の部屋だけにとどまっていてくれれば良いなと初音は切実に思った。
 追いつめた際に、他の部屋に逃げられたりしたら、探している間に逃げられたりしそうだ。むしろ、探している途中で屋敷内で迷ったらそれこそ笑えない。
 秋雨の部屋に鬼が現れたら、逃げられる前に仕留めれば良いだけなのだが、初音一人で上手くできるかどうか。
「何で、こう言うときに限っていないかな……あの馬鹿神主……」
 小さく呟くと、花月が首を傾げていた。
「どうかなさいましたか?」
「あ、ううん。何でもないの」
 ただの巫女が神主を「馬鹿」呼ばわりしているのをさすがに、一般人に知られるわけにはいかないだろう。
 まだ首を傾げている花月を見て、初音は別の話題を振った。
「そう言えば、この屋敷って広さの割には人が少ないですよね」
 もう屋敷を案内してもらって十数分は経っているのに、未だに人とすれ違わない。
「はい。この屋敷の御当主様が鬼を恐れて他の屋敷に移ったので、私と姫様以外はおりません」
「え」
 初音は一瞬眩暈がした。
 屋敷の大きさから見て、話を多く聞けるだろうと思っていた。だが、当てが外れた。鬼が秋雨を狙う理由が何一つわからない。手がかりになりそうな話もなかった。この状態で仕事をすれと言うのだろうか。
「大丈夫ですか、初音さん?」
 余程顔色が悪かったのだろうか。花月が心配そうに初音の顔をのぞき込んできた。
 初音は、笑顔を浮かべて大丈夫だと言った。
「それよりも、二人以外の全員は他の屋敷に行ったのよね?」
 それがどうかしたのだろうかと、花月は首を傾げていた。
「? えぇ」
 つまり、この屋敷の主人―すなわち秋雨の父親は、鬼に恐れをなして逃げたのだ。自分の娘を置いて。鬼に狙われるのは秋雨ではなく、この屋敷の主人の方が良いのではないだろうか。
 そうは思ったが、初音は口に出来なかった。
 我が身可愛さに他人を犠牲にする人間は大勢いる。そんな人達でも生きているのだから、妖怪に狙われた方が良いなどということは思ってはいけない。命がある物を死んだ方が良いなどという眼で見てはいけない。
「もう、夜になりますね」
 初音が唐突に話を逸らすと、花月は慌てて空を見上げた。
「姫の食事ももう終わった頃ですよね?」
 花月は小さく頷いた。
「もう薬が効いて寝てらっしゃる頃だと思います」
「では、姫の部屋から一番遠い部屋に隠れていてください。姫もそちらに」
 頼むような物言いだったが、それは反論を許さなかった。
 花月は従うほかなかった。

 初音は、秋雨の部屋に一人だった。
 妙に広い部屋。
 この広い部屋で、秋雨は何を思ったのだろう。自分を見捨てて逃げた父親に対して。鬼に狙われているとわかっていながら、逃げずにここで待っていたのは何故だろう。どうしてあんな強い瞳でいられたのだろう。
「……仕事前に、考えることじゃないな」
 箒を握りしめる手に、力を込めた。
 その途端、大きな音がした。
 そして、壁が崩れた。
「秋雨、迎えに参ったぞ」
 それほど大きな鬼ではない。天井に頭が着かない程度だ。
「それくらいの大きさなら、大人しく入り口から入りなさいよ」
 睨み付けながら軽口を叩くと、鬼は初音を初めて視界に入れた。
「貴様は何だ?」
「初音よ」
 見た目は、そう強そうではない。一人でも何とか出来そうだと思う。だが、その分速さがあるのかもしれない。
 さぁ、どうしようか……
 初音は、小さく笑みを浮かべた。

 

やられる前にやる!

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